もつたいなくて使へなかつたノートを使ふ
二年前、日本橋丸善の世界の万年筆展に美篶堂も出店してゐた。
ハードカヴァーノートの注文を受け付けてゐて、普段はないバンクペーパーのノートも作れるといふ話だつた。
これはいい機会だといふので、B6サイズでバンクペーパーのノートを注文した。
ノートができたといふ連絡があつていそいそと受け取りに行つて、二年がたつてしまつた。
なかなか使ひ道のきまらなかつた美篶堂のハードカヴァーノートに、このたびめでたく使ひ道が決まつた。
他人のことばを書く、である。
以前、Smythson の Schott's Miscellany Diary (以下、Schott's) に本や映画、芝居などから気になつた文章を書き抜いてゐた。
Schott's は持ち歩きやすく、また読んでも楽しい手帳だつた。
気になる文章をためてゆくのにこんなに適した手帳もまたない。
ぱらぱらと見てゐると、本から書き抜いたもののほかに、TVのドキュメンタリー番組で見た川本喜八郎や今敏のことばなども書いてあつたりして我ながらおもしろい。
Schott's をほぼ使ひきつて、その後はおなじやうな用途で使ふノートはなかつた。
美篶堂のハードカヴァーノートでまたおなじやうなことをはじめやう。
さう決めた。
自分の文章を書かうとするから躊躇するのだ。
他人の文章を書くのならいいぢやあないか。
すくなくとも公になつたことばだ。
それならいいノートももつたいなくない。
唯一もつたいないことがあるとしたら、それは自分の字で埋められる、といふだけで。
早速、いま読んでゐる「深川安楽亭」からすこしづつ気になる文章を書きとめてゐる。
書いてゐると、ふしぎと気持ちが平らかになつていく。
清書の効用のやうなものか。
あるいは写経か。
お手本どほりに(といつて、字の形をそのままうつすわけではないが)間違ひなく書かうとすると、自然と集中するのだらう。
なんとなくおだやかな心地になつてくる。
Schott's を使つてゐたときは、なんとか一日の欄におさめやうとして字を小さくしたり「(中略)」などをよく使つたけれど、B6サイズのノートだとさうする必要もない。
いい使ひ道を見つけた。
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