やつぱり云ひ訳
こどものころから親や学校に云はれたことはさつぱりつづかなくて、「自分には根気といふものがないんだな」とずつとさう思つてゐた。
夏休みになると一日の生活をふり返つて、今日の天気はどうで、ラジオ体操には行つたから「○」、ゴミ捨てのお手伝いはしなかつたから「×」などとつける表があつた。
これを夏休みのあひだ毎日つける。
本来は毎日つけるべきなのだ。
でも、大抵は8/31にまとめて全部つける。
天気のことなど記憶にないからあいまいになる。
いまだつたらWebで検索をかければすぐなのにね。
また、親から「あれをやれ」「これをやれ」と云はれたこともつづかない。
部屋のかたづけやピアノ・そろばんの練習がそれかな。
毎日しなければいけないのに身につかないのに、できない。
自分には毎日毎日こつこつとなにかをしつづけることができないんだな。
長いことずつとさう思つてゐた。
ところが、最近になつて自分でやると決めたことは案外つづけられることに気がついた。
Bullet Journal に Tracker といふ形でその日一日できたことを○×でつけてゐる。
どの項目もほぼ毎日できてゐる。
やつてゐることはたいしたことではない。
でも親に云はれてつづかなかつた目の体操なども、いまはほぼ毎日できてゐる。
旅行などにいくとうつかり忘れてしまふこともあるが、また翌日からはつづけられてゐる。
なんだ、できるんぢやん。
自分にもひとつのことをずつとつづけることができる。
気がつかなかつたなー、いまのいままで。
そんな感じで気をよくしてゐたのだが、ただひとつできないことがある。
それは、睡眠時間を優先すること、だ。
一番重要だな睡眠時間の優先ができてゐない。
以前よりましになつてゐるのは確かだ。
以前は睡眠時間を削るやうにしてあみものやなにやらをしてゐた。
さうする以外に編む時間を捻出することができないからだ。
始発で出かけて終電で帰宅して、それでもあれこれやつてから寝てゐた。
朝起きて出勤して帰宅して夜寝る。
それだけの暮らしになんの意味があらうか。
当時はさう思つてゐた。
いまでもさう思つてゐる。
でもしたいことをするには気力や体力が必要だ。
睡眠が不足してゐてはしたいことも碌々できない。
そのことに気づいて、矛盾してゐるやうではあるけれどもしたいことをいろいろあきらめて睡眠時間の確保に汲々としてきた。
さう、汲々としてゐる。
睡眠時間の確保に。
一説によると、就寝時間がずるずると遅くなるのは、「やりきつた」といふ思ひがないからだ、といふ。
その日一日、したいことを思ふ存分してゐれば、なにもいつまでも起きてゐる必要はない。
ちやつちやと寝て、明日にそなへればいい。
そして明日、またしたいことを思ふ存分するのだ。
これには一理ある気がする。
確かに自分には「やりきつた」といふ感覚があまりない。
まつたくないと云つてもいいかもしれない。
最近だと京都に行つたときかな、「やりきつた」感を得ることができたのは。
それ以外は毎日したくもないことをこなすのに精一杯で、したいことなどほとんどできてゐない。
だから未練が残つてなかなか布団に入ることができないのだ。
では、たとへば今日K.ITOYAのやうな店が開業するとして、帰宅時に立ち寄るか、といふと、おそらく立ち寄らない。
立ち寄るとそれに時間をとられて睡眠時間がすくなくなるからだ。
立ち寄つた分の時間は、ほかのことで吸収しろよ、といふ話もある。
でも日々自分の行動を計測した結果、削れる時間はもう夕食の時間か入浴の時間しかない。
夕食を削つて文具店に行くか。
「やりきつた」といふ達成感を得るためには、睡眠時間を犠牲にする必要がある。
勤務時間や通勤時間はこれ以上削れないしね。
さうすると、毎日「今日もなにもできなかつたなあ」といふ未練ばかりがたまつていつて、それで就寝時間もどんどん遅くなつていく。
この達成感のなさをのりこえて布団に入るしかないのか。
さうするしかないとわかつてはゐて、でもやつぱりできないんだよなあ。
残る選択肢は、仕事をやめる、だが。
それをしてしまつては生計がたたなくなる。
わりきるしかないんだらうな。
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