箇条書きはつぶやきだ
箇条書きはつぶやきだ。
Bullet Journal は、もともとは Rappid Logging を標榜するものだ。
即座に記録するためにはダラダラと長い文章を書いてなどゐられない。
箇条書きで簡潔に書きとめる。
これが Bullet Journal の真髄である。
世の中には「メモは役にたたない」といふ考へ方もある。
断片的なメモ書きは役にたたない。
あるていど長さのある文章に起こした方がいい。
大学教授や助教授(当時)といつた研究に従事し論文を執筆することを常とする人々がそんなことを書いてゐたのを読んだことがある。
それを見て、さうだよなあ、と思つたものだつた。
断片的にメモを書きとめて、あとで見て前後関係がわかんなかつたりとかね。
その発想に至る道筋があつたはずなのだ。
それも含めてのアイディアである。
でもそこが思ひ出せない。
「メモは役にたたない」といふ発言をした人がさういふ意図で云つたのかどうかは定かではない。
でも自分はさうだつた。
なぜ自分が Moleskine のポケットサイズ一ページをびつしり埋めるやうに書くかといふと、それくらゐ書かないと残せないものがあるから、あると思つてゐたからだつた。
そして、それは正しいといまでも思つてゐる。
さういふ人間が箇条書きをするとどうなるか。
単に見た目が箇条書きになつただけで、延々とおなじ話題についてメモを書きつづけることになる。
そして、箇条書きのひとつの書き方が、まるで Twitter でつぶやくときのやうな書き方になつてゐる。
さうか。
Twitter でのつぶやきは箇条書きか。
やつがれの中では、「つぶやき=箇条書き」だ。
だから箇条書きすることに抵抗感があまりないんだな。
やつてることおなじだもの。
箇条書きのいいところは、前後関係にあまり縛られないことにある。
リニアに書きとめることになるからマインドマップのやうな自由さには欠ける。
でも文章で書いてゐるときよりはそこんとこ自由。
そこがいまのところ気に入つてゐる。
ほんたうは、箇条書きで書きとめたことからちやんと文章を起こすといいんだけどね。
どうしてもそこにたどりつけない、といふ話は以前書いた。
たどりつきたいんだが、どうしても時間的制約があつて、な。
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