安い朱色の「三人形」
先週、大阪松竹座で二月花形歌舞伎を見てきた。
昼の部のうち、「義経千本桜」の「大物浦」「碇知盛」は、後半が絶叫合戦になつてしまふのは想定内だし、こののち芝居の引き出しの増えることがあれば解消されるだらう。
問題は「三人形」だ。
「三人形」は奴・傾城・若衆の三体の人形に命宿つて舞ひ踊るといふ所作事である。
傾城の出てきたときのショックといつたらなかつたねえ。
衣装の朱色の安つぽいこと。
品もなにもありやしない。
もう二十年も前だらうか。
衣装の赤い色がぺかぺかと安つぽくなつていけない、といふ話があつた。
当時はよくわからなかつたけれど、「三人形」を見たときに「かういふことなのかな」と思ひ出した。
朱色だけならまだしも、帯が緑地なのがまた念入りに安つぽい。
文楽や歌舞伎で緑色と朱色との衣装を着る役つて、あんましいい人ぢやあない。
なんかもつとほかの色合ひにはできなかつたのだらうか。
以前見たときは朱色ではなくて赤だつたやうな気がする。
チラシの写真だとそんなに安つぽくも見えないんだけどな。
照明の問題だらうか。
さらにいふと、この傾城の衣装の朱色が若衆の衣装の色と壊滅的に合はない。
若衆は上が青紫、袴が明るい黄緑といつた衣装で、これは以前見たのとおなじだと思ふ。
この青紫と朱色とが実に合はない。
見てゐてつらくなつてくるくらゐに合はない。
歌舞伎を見て「この色合はせ、つらい(>_<)」とか思つたの、はじめだよ。
歌舞伎がほろびるとしたら、かういふところから滅びるんだらう。
歌舞伎座で、大道具のお粗末さに毎月さう思ふ。
床や畳を表現する布の敷きかたが、あまりにもいい加減だ。
ところどころ皺がよつて浮いてゐる。
今月はたうとうその浮いたところに足を取られた役者がゐたといふ。
見てゐると、大道具担当の中に粗忽な人がゐるのがわかる。
盆が回つてとまると、大道具の人々が出てきて上手下手それぞれの布の端を引つ張つてのばす。
このとき、布の両端をきちんとのばす人と、一番長くて鋭角の端だけしかのばさない人とがゐる。
後者のやり方をすると皺ができるといふ仕組みだ。
客席から見てゐてわかるのだから、大道具や役者、舞台関係者はみなわかつてゐるだらう。
わかつてゐて放置してゐたから蹴つまづく役者が出てくる。
これが年老いた役者でそのまま転んで骨でも折つてゐたらと思ふとおそろしくて仕方がない。
織りや染めにしてもさうだ。
玉三郎がときに超絶豪華な衣装を着るのはなにも自分をうつくしく見せるためだけではあるまい。
さういふ衣装を作ることによつて技術の継承をうながしてゐる。
さうだと信じてゐる。
何年も前にもう豆絞りの手ぬぐひは染められなくなつた、と聞いた。
このとき、確か菊五郎が一疋買ひ占めたと耳にした。
豆絞りの手ぬぐひがなかつたら、浜松屋の引つ込みができなくなる。
それとも買ひ占めたと聞いたのは藍微塵だつたか。
「切られ与三」の源氏店の場で、与三郎の着てゐる衣装の生地が藍微塵だ。
豆絞りはそれでも有松絞りでまだあるやうだから、藍微塵かもしれないな。
染めた赤い色がぺかぺかするのもさう。
襖の花丸が碌々描けてゐないのもさう。
かういふところから歌舞伎は滅びてゆくのだらう。
衣装や鬘、大道具・小道具は、今後はこれまで「歌舞伎らしい」と思はれてきたものとはと変はつてゆくのかもしれない。
「あらしのよるに」などを見ても、大道具で建物などを作成するよりプロジェクション・マッピングを取り入れていくのかな、といふ気がしてゐる。
でも、それは歌舞伎なのかな。
なにか違ふものになるのではないかな。
そんな気がしてゐる。
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