早起きして「鬼平犯科帳」を見ない理由
平日は帰宅後に見てゐる「鬼平犯科帳」などを、朝早起きして見た方がいいのではないか。
なぜそんなことを考へてゐるのかといふと、「鬼平犯科帳」とかを見ると気分が昂揚するからだ。
異様にもりあがる。
もりあがらないこともあるけれど、でもなにかしらもりあがる要素はある。
いつもは夜見てゐるので、睡眠によつてご機嫌な気分はリセットされてしまふ。
朝起きてから見れば、その日一日、ご機嫌な状態で過ごせるのぢやあるまいか。
一日はムリでも、朝くらゐはさ。
でも、多分早起きして見ることはないだらうな。
朝、一時間ていどのTVドラマを見られるくらゐに早起きするやうに早寝をするのがむづかしいからといふのが一番の理由だが。
夜、気分がいい状態でゐられるのは、通勤電車などに乗る必要がないからだらうといふ気がするから、といふのも理由のひとつである。
帰宅したら、通勤電車に乗つて、不愉快な人に出会つたり、遅刻しないやう職場につけるか苛々したりすることがない。
早起きして朝見ることにして、いい気分にはなつたものの、乗るべき電車がやつてこなかつたり、それで別の電車に乗つたらぎゆうぎゆう詰めの上、電車がなかなか進まなかつたり、そんなのお互ひさまなのにうるさい客が乗つてゐたりしたら。
それでなくても駆け込み乗車をする客やら、両手でスマートフォンを使つてゐるから電車が揺れると倒れてくる客やら、やたらと大きな音量で音楽を聞いてゐる客やら、そんな客と乗り合はせたとしたら。
せつかく早起きしていい気分になるやうなTVドラマを見ても、まつたく意味ないと思ふんだよね。
意味ないどころかイヤな気分になつてしまふ。
先日の「鬼平犯科帳」はサブタイトルが「凄い奴」、原作でいふ「本門寺暮雪」だつた。
「凄い奴」は天本英世。始終菅笠を深くかぶり、黒い着物に黒つぽい袴姿で表情はよく見えない。「殺気といふか妖気といふか」といふ表現が実によく似合ふ。こんなに似合ふ俳優もまたゐないのぢやあるまいか。
井関録之助は中谷一郎で、ちよつと「助け人走る」を思ひ出させるやうな坊主姿で出てくる。
やつがれ世代だと中谷一郎といへば「水戸黄門」の風車の弥七といふ向きも多からうが、やつがれはどちらかといふと「江戸の鷹」の御鷹組の副長や、諸々の時代劇の悪役、あるいは岡本喜八などの映画に喜劇的な役で出てくる方が好きだつたりする。
もちろんこの録さんも好きなタイプだ。
「凄い奴」の雇ひ主である名張の利兵衛は小栗一也で、上方の肝の据はつた大親分といふ貫禄十分だし、その利兵衛とやりあふ大滝の五郎蔵の内田良平も泥棒の悪の感じと密偵としての責任感とをよく出してゐる。
この利兵衛と五郎蔵との対決もまた緊迫していいんだなあ。
天本英世の凄い奴は鬼平(丹波哲郎)と録さんとのあとを追つたりするのだが、たまに姿をくらます。このステルスな感じが如何にも天本英世的だ。
最後は案外あつさり斬られてしまひ「なーんだ」と思つたところからの階段落ちで、なんかもうおなかいつぱいといつたところ。
さうさう、肺病病みの侍として伊藤久哉が出てくるのもいい。ちよつと胸病んでるみたやうな感じ、することあるぢやあありませんか、伊藤久哉。
といふわけで、なんだかこー、ものすごくもりあがつたんだよね、見てゐて。
見た後も。
早起きして、朝見ることにする?
試してみる価値はありさうだが、さて。
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