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Thursday, 26 January 2017

怒りたいのに怒れない

人間が瞬間湯沸かし器にできてゐる。
しかし、自分のいまゐる状況でどのていど怒つていいものやら見当がつかないことが多く、怒りは内側にたまつていく。

先日、映画「ダイナマイトどんどん」を見た。
笠置シヅ子の「東京ブギウギ」が町中に流れる昭和二十五年の小倉を舞台にした映画だ。
やくざ同士の抗争がはげしく、進駐軍からもなんとかせいと文句を云はれ、各組の幹部を集めて警察署長の云ふことには、なにか平和的に争はんかい、と。
そこで各組対抗野球大会が開催される、といふ話である。

映画の中で、登場人物たちがとにかくよく怒る。
すぐ怒る。
怒る前にもうちよつと考へたらいいんぢやないかといふやうな状況でもおかまひなしだ。
任侠映画といふのはさうしたものなのかもしれないが、いつたいどこをどうしたらこんなにすぐ怒りを表に出せるやうになるのだらうか。
なんだかうらやましい。

任侠映画に出てくる人の怒りの原因は、「自分がバカにされた」「自分の所属する組がバカにされた」「自分の兄弟分がバカにされた」といつたところか。
「バカにされる」と怒りの導火線に火がつく仕掛けになつてゐる。

バカにする相手は敵対する組の人間であることもあれば、おなじ組の仲間であつたりもする。
相手はいづれにしてもおなじ任侠道をゆくものが多いから、相手もまた即怒る。
そして実力行使といふことになる。
喧嘩の腕前にも自信があるから怒りを即表現できるんだらうな。
見るからに弱つちい下つ端も即怒つたりもするけれども。
でも弱つちい下つ端の場合は、喧嘩に負けたりすると「可愛い弟分をよくもやつてくれたな」といふので兄貴分が敵をとつてくれたりする。
そこまでいかなくても、助成してくれたりする。
怒るにも、根回し的なものが必要なのだ。

ひるがへつて考へてみると、やつがれには腕に覚えがない。
怒つて、万が一乱闘なんぞといふことになつたときにうまく逃げ仰せる自信も相手をこてんぱんにのしてしまふ自信もどちらもない。
さらにはうまく怒りをしづめ(たふりをし)て、その場をまとめる力量もない。
だから瞬間的にカッとなつても、つひ怒りを内にこめてしまふのだらうな。

さらにいふと、やつぱり怒つていい状況かどうかといふ判断ができないからさうなる、といふ話もある。
それについてはまた機会があつたら述べたい。

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