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Friday, 20 January 2017

むつかしい話は苦手でして

早川書房の雑誌「悲劇喜劇」の一月号を読んだ。
落語特集だつたからだ。
普段は読まない雑誌といふこともあり、毎号掲載されてゐる通常の記事も読んだ。
巻末に劇評が掲載されてゐる。
劇評家の人がふたり、対談方式で見た芝居について語りあふといふ形の記事だ。
一ヶ月くらゐの間にこんなにたくさんの芝居が上演されてゐるんだなあ。
自分の見てゐる舞台なんてそのうちのほんのわづかで、さらにそのうちの一公演きりなんだなあ。

しかも、なんだかむづかしい内容の芝居が多い。
実際に見たわけぢやなくて、見てきた人の話を聞いてさう思ふので、自分で見たらさうは思はないのかもしれない。

でも、なんとなくだけど、世の中むづかしい内容のものの方が高尚だしさういふものでなければやる意味がない、といふ風潮はあるよね。

「むづかしい内容の芝居」といふのは、「人生如何に生きるべきか」とか「人間の生きてゐる意味とは」とか「人と人との関係に潜む名状しがたいもの」とか、そんなやうなことを描いたもののことだ。
もつといふと、なにか主題があつて、それにもとづいて作られたやうな芝居、しかもその「主題にもとづいて作つたものですよ」といふことが透けて見えるやうな芝居も入る。

歌舞伎にもある。
新作歌舞伎の多くは、なにか主題があつて、それを訴へやうとしてゐるやうに見受けられる。
スーパー歌舞伎なんかさうかな。
スーパー歌舞伎の「三国志」の惹句は「夢見る力」とかだつた。
うーん、なんかさー、歌舞伎にさういふもの、求めてないんだよねえ。
「あらしのよるに」もさういふ感じがした。
種族を超えた友情、みたやうなさ。
さういふのは別の芝居で見るから(といつて、やつがれは見ないのだが)、歌舞伎でさういふ無粋なのはやめやうよ。
最近見た中では「阿弖流為」くらゐかな、さういふメッセージ性のやうなものを感じなかつたのは。あ、「GOEMON」もさうかな。
「ワンピース」は「仲間大事」、でせう。

でもどうやら、さういふ訴へたいことのあるメッセージ性の高い芝居の方が受け入れられてゐるやうな気がするんだよなあ。
おそらく、見た後なにかが残つた気がするからだと思ふ。
あと、国語教育でせうね。「主人公の云ひたいことを何文字以内で書きなさい」みたやうな。「主人公」でなくて「この話」の場合もあるか。

現在、歌舞伎座で真山青果の「将軍江戸を去る」がかかつてゐる。
大政奉還後、「薩長のやることは納得いかん、徹底抗戦だ!」といふ慶喜と「戦争はいかん!」と必死で説く山岡鉄太郎の話、と書くと端折り過ぎかな。
「戦争はいかん」「戦争をすれば苦しむのは民百姓だ」といふのが、青果の云ひたかつたことだと思つてゐる。
また、立場の弱い幕府側から敢て戦争を回避するといふ点も、描きたかつたことなのだらうといふ気がする。
さう思ひつつ、でも歌舞伎でやるんだから、それが表だつちやダメなわけでさ。
新劇ならいいけども。
そこがこの芝居のむづかしいところなんではないかと思つてゐたのだが。

きつともう、さういふことは考へないんだよね。
なにかを表現する、演じるといふのはなにかしらの主題を背負つてそれを訴へるための手段なのだらう。

今回見た「将軍江戸を去る」にはあまりメッセージ性は感じなかつたけどね。
初日に見たので、全体的に消化し切れてゐない感じの舞台だつたからかもしれないけど。

今後はますますかういふ「自分の訴へたいことはこれなんだ!」「かういふことが云ひたいんだ、自分は!」みたやうな芝居が増えていくんだらう。
さういふのに興味がないから歌舞伎を見てるんだけどなー。

今後、歌舞伎を見なくなるだらうと思ふ所以のひとつはそこにある。

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