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Tuesday, 31 January 2017

新局面

新たな局面に突入した。
タティングレースのモチーフつなぎのことである。

Masquerade

Mary Konior のデザインしたモチーフ Masquerade は長いこといくつも作つてきたが、一番多くつないだもので九枚だつた。
九枚つなぎはいくつ作つたか忘れるくらゐ作つてゐる。
四枚つなぎも作つたことがある。

現在、十枚つないでゐて、これがやつがれの中では新記録なのだつた。
Masqueraade については、ね。

モチーフつなぎをつづけてゐると、時折 reluctant な気分に落ち込むときがある。
もういいぢやん、みたやうな。
これ以上つないでどうするんだよ、みたやうな。

本のとほり作つてゐるのなら「本にさう書いてあるのだから」と気を取りなほすこともできる。
とくにつなぐ数の定められてゐない場合はかうなるとどうしやうもない。

以前、極細毛糸でモチーフつなぎのスカーフを作つたときは、最初から百枚つなぐと決めてゐた。
一日平均して二枚は作れるから二ヶ月もあればできるだらうと判断してゐた。
実際作つてみたところ、六十六枚くらゐつないだところで十分な長さになつたので、そこでやめた。
作るまへから自分で「何枚つなぐ」と決めておくのがいいのかもしれないなあ。

そんなわけで、タティングレースもぼちぼち進んでゐる。
Magic Thread で糸始末をしてゐるので、縫ひ針を使ふ必要がない、といふのが続いてゐる所以のひとつだと思つてゐる。

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Monday, 30 January 2017

気分は前向き

指なし手袋の右手用は、親指のまちの途中まで進んだ。

相変はらず遅々として進まないが、それでも左手用よりは進みが早いかな、と思つてゐる。

以前からここに編めなくなつた理由を書いてきた。
睡眠時間を優先してゐるから、といふのが結論だつた。
最近、考へてゐたらもうひとつ理由があることに気がついた。
土日に出かけることが多いからだ。
出先にはあみものは持参しない。
以前は持ち歩いてゐたのだし、また持ち歩くやうにすればいいのかもしれない。
でも出かけるまへに、「今日は編んでるひまはないな」と思ふことが多いんだよね。
編むからには、まとまつた時間がほしいし、できれば落ち着いて座りたいと思ふ。
さういふ時間や場所の算段ができるだらうか、と考へて、「まあ、ムリだな」と思ふわけだね、大抵は。
それで持ち歩かなくなつてしまつた。

世の中、なににしても数を作ることが大切だ、といふ話がある。
だいぶ前にここにも書いたかもしれない。
千時間かけるといい、といふ話と似たやうな話かと思ふ。
思へば不器用でならしたこのやつがれがまがりなりにもくつ下を編めるやうになつたのは、たくさんのくつ下を編んだからだ。
ここのところあまりれ編まなくなつてしまつたのですつかり腕が落ちてしまつたが、でもひとたび身につけたものはまつたくなくなつたりはしないやうだ。

いまはたくさん編むことはできてゐないけれど、つづけてゐれば極端に下手になることはないだらう。
さう思つてせつせと指なし手袋を編んでゐる。
次は指のある手袋を編みたいのだが。
袖なし羽織も控へてゐるんだよな。

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Friday, 27 January 2017

製本未満

去年の一月からシステム手帳を使ひはじめた。
去年書いた分や去年のスライド手帳をまとめて製本しやうと思つてゐてまだできてゐない。
表紙用の紙も買つてゐないし、製本テープやボンド(またはセメダイン。どちらにするかも決めてゐない)もまだだ。

以前は、ユザワヤに行けば全部そろつたのだが、最近のユザワヤの品ぞろへはよくわかんなくてなー。
行かなくなつたからといふのもあるれど。

なぜユザワヤに行かなくなつたのかといふと、売場が縮小されてほしいものが見つからなくなつたからだ。
売場の縮小は、おそらくネット通販で買ひものをする人が増えて客が減つたからだと思はれる。

ボンドは文房具店になら大抵あるし、製本テープもちよつと大きめの店にならある気がする。色を選ばなければあるんぢやないかな。
問題は表紙の紙だ。

厚手の紙で、できれば色が付いてゐるといいなあ。
かういふのは画材屋に行つた方があるのかなあ。
それとも伊東屋のパピエリウムのやうなところに行けばいいのか知らん。
どこに行けば自分の求める紙がたくさんあるのか、チトわからずにゐる。

伊東屋とか東急ハンズとかに行けばあるのかなあとは思ふが、我が家からはちよつと遠い。
しよつ中出かけてはゐるけれど、行く先の途中にもない。
ちよつと遠回りをする必要がある。
たいした手間ではないのだが、そのちよつとした「余分な動き」がめんどくさくてそのままになつてゐる。

ちよつとより道をすることを考へたら、製本作業の方がよほどめんどくさいんだけどね。
実のところは、製本する気がないのかもしれない。

メモ用紙にはLIFE の NOBLE REFILL を使つてゐた。
メモ用紙にしては厚手の紙だ。
去年使用したリフィルを手にすると、製本するのに適した厚みがあるやうに思ふ。
失敗しても六つの穴があいてゐる。
バインダにはさめばいい。
さう思ふことにして、まづは紙や製本テープを探しに行くか。

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Thursday, 26 January 2017

怒りたいのに怒れない

人間が瞬間湯沸かし器にできてゐる。
しかし、自分のいまゐる状況でどのていど怒つていいものやら見当がつかないことが多く、怒りは内側にたまつていく。

先日、映画「ダイナマイトどんどん」を見た。
笠置シヅ子の「東京ブギウギ」が町中に流れる昭和二十五年の小倉を舞台にした映画だ。
やくざ同士の抗争がはげしく、進駐軍からもなんとかせいと文句を云はれ、各組の幹部を集めて警察署長の云ふことには、なにか平和的に争はんかい、と。
そこで各組対抗野球大会が開催される、といふ話である。

映画の中で、登場人物たちがとにかくよく怒る。
すぐ怒る。
怒る前にもうちよつと考へたらいいんぢやないかといふやうな状況でもおかまひなしだ。
任侠映画といふのはさうしたものなのかもしれないが、いつたいどこをどうしたらこんなにすぐ怒りを表に出せるやうになるのだらうか。
なんだかうらやましい。

任侠映画に出てくる人の怒りの原因は、「自分がバカにされた」「自分の所属する組がバカにされた」「自分の兄弟分がバカにされた」といつたところか。
「バカにされる」と怒りの導火線に火がつく仕掛けになつてゐる。

バカにする相手は敵対する組の人間であることもあれば、おなじ組の仲間であつたりもする。
相手はいづれにしてもおなじ任侠道をゆくものが多いから、相手もまた即怒る。
そして実力行使といふことになる。
喧嘩の腕前にも自信があるから怒りを即表現できるんだらうな。
見るからに弱つちい下つ端も即怒つたりもするけれども。
でも弱つちい下つ端の場合は、喧嘩に負けたりすると「可愛い弟分をよくもやつてくれたな」といふので兄貴分が敵をとつてくれたりする。
そこまでいかなくても、助成してくれたりする。
怒るにも、根回し的なものが必要なのだ。

ひるがへつて考へてみると、やつがれには腕に覚えがない。
怒つて、万が一乱闘なんぞといふことになつたときにうまく逃げ仰せる自信も相手をこてんぱんにのしてしまふ自信もどちらもない。
さらにはうまく怒りをしづめ(たふりをし)て、その場をまとめる力量もない。
だから瞬間的にカッとなつても、つひ怒りを内にこめてしまふのだらうな。

さらにいふと、やつぱり怒つていい状況かどうかといふ判断ができないからさうなる、といふ話もある。
それについてはまた機会があつたら述べたい。

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Wednesday, 25 January 2017

寒さと管子と大統領

ひどく寒い。
職場も寒ければ自宅も寒い。
職場が寒いのは全館空調のため細かい制御がきかないからで、自宅が寒いのは手元不如意だからだ。
自宅が寒いのだから、暖房をつければいい。
しかし、つけるには灯油がゐる。
灯油を購ふ代金はなんとか捻出するとして、灯油を入手しに行く時間がない。
以前はガス暖房が使へたが、家人が穴をふさいでしまつた。
電力を使用する暖房は電気代が怖くて使ふことができない。
床暖房を取り入れるなどリフォームするなどもつてのほか。
ましてや引つ越しなど論外である。

そんな余裕はないのだつた。

月曜日も火曜日も、暖房なしで乗り切つた。
今朝灯油を入手する算段がついたので、今夜はファンヒータを稼働することができるだらう。

寒いのは季節のせゐだ。
気候のせゐでもある。
それはもうどうしやうもない。
それに対して有効な対応策がとれないのは、冒頭にも書いたとほり生活に余裕がないからだ。
生活に余裕がないと、即物的なことしか考へなくなる。
以前、「リベラルは抽象的なことばや表現を好む」といふ記事をWeb上で読んで、「なるほどなあ」と思つた。
日々住むところや食べるものの心配をしなければならない人間の心には届かないはずである。

「衣食足りて礼節を知る」といふことばがある。もととなることばは「管子」に掲載されてゐるといふ。
これをもつて「衣食が足りてゐるのに礼節を知らない人間が多すぎる」などと難ずる向きがあるが、それは違ふんぢやないかな。
礼節を知るにはまづ衣食が足りてゐることが必要だ、といふことであつて、衣食が足りてゐれば礼節を知るはずだ、といふ意味ではないんぢやあるまいか。
辞書などには「生活が安定すればおのづから礼儀を重んじるやうになる」といふ解釈が載せられてゐることもあるけれど、「生活が安定すればおのづから礼儀を重んじる余裕も生まれる」くらゐが正しいやうな気がする。

つまり、衣食が足りると余裕が生まれる、といふことだ。

米国大統領選についてはまつたく追ひかけてゐなかつたのでよくわからない。
でも、まづ衣食が足りるやうになれば、自然といろんなことを考へる余裕も生まれるんぢやないか。
すなはち、新大統領が自分の目指すところをあるていど実現できたら、似たやうな人を大統領に選ぶ人は少なくなるのではないだらうか。

さう考へると、あるていどは成功してほしいなあ、と思つたりもするのだつた。

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Tuesday, 24 January 2017

怠惰ゆゑ

タティングレースのモチーフつなぎは十枚目のモチーフを作つてゐる最中で、まだつながつてはゐない。

Masquerade

つなげるかどうか悩んでゐる、と前回書いた。
最初はつなぐつもりでゐたので、このままつないでいかうといまは思つてゐる。

ところで、シャトルに巻いてゐた糸が足りなくなつてきた。
モチーフを作りはじめる前は「足りるかなー」と思つてゐた。
見込みが甘かつた。
シャトルと書いたが、実際に糸を巻きつけてゐるのはボビンなので、ほどいてどれくらゐあまつてゐるのか確認すべきだつたね。
これは今後の教訓としたい。
と、おなじやうなことが起こるたびに毎回思つてゐる気がする。

いま作つてゐるモチーフは、Mary Konior のデザインした Masquerade だ。Tatting with Visual Patterns といふ本に載つてゐる。
このモチーフは、シャトルと糸巻きからの糸とで作る。
でも、シャトルを二つ使つた方がいいことの方が多い。

持ち運びやすいといふのが一点。
片方のシャトルの糸が足りなくなつた場合に糸巻きから糸を補充しやすいといふのがもう一点。
主遣ひのシャトルがなんらかの理由で使へなくなつたときにもう片方を使へるといふのがさらに一点。

シャトルと糸巻きとのいいところは、糸が足りなくなつたら即糸巻きから補充できる点だらう。
シャトルを二つ使ふことにして糸巻きも持ち歩けばいいのかもしれないが、それだと「持ち運びやすくなる」といふシャトル二つ使ひの長所がそがれてしまふ。

なにもシャトルを二つ使ふこともないのか。
あみもの用具に編み込みの時などに使ふ糸巻きの芯のやうなものがある。
そんなものを買はなくても、厚紙などに糸を巻き付ければいい。
さうも思ふ。

途中で糸を補充しやすくするための打開策はいくらでもある。
わかつてゐてやらないのは、単に怠惰なだけなのだつた。

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Monday, 23 January 2017

左手はできた

指なし手袋は、左手用ができあがつた。

Fingerless Mitt

あとは親指の伏せ止めだけといふ状態で一週間くらゐはふつてあつた。
なんとなくやる気が出なかつた。
昨日伏せ止めをして、手にはめてみたところ、あたたかいんだな、これが。

糸は Jaeger の Matchmaker Merino DK を使用してゐる。
編んでゐるあひだは「やはり4Plyで編むべきだつたか」と思つてゐた。
編み地が厚くて手にはめた状態で仕事をするのには向かないかと思つたからだ。

でも実際にはめてみると、あたたかいしこれはこれでいいんぢやないかといふ気がしてきた。
そんなわけで、右手用もさつそく編みはじめてはゐる。
対になるものを編むときの極意だからだ。
片方が編めたら、即もう片方に着手する。
鉄則である。

指なし手袋を編まうと思つたのは、職場が寒いからだ。
机が冷え切つてゐて、手を乗せてゐるだけで冷えていくことがある。
これは指なし手袋だな、と思つたのだが、生憎とこれといつた指なし手袋がなかつた。

そこで新たに編むことにしたのだが。
なんだか難航してゐる。
昨日編んでゐても全然楽しくならないしね。

くつ下とか手袋とか、ちいさいものをくるくる編むのは好きだ。
Magic Loop で編んでるのがいけないのかなあ。
四本針とか五本針で編んでゐたらもつと楽しいのかもしれない。

あるいは、単になにもやる気が出ないだけなのかも。

そんなわけで、指なし手袋の完成には時間がかかるだらう。
指のある手袋も編みたいと思つてゐるのだけれど、できあがるかどうか……。

袖無し羽織はまつたく進んでゐない。
来期に持ち越しだな。
はじめただけでもよしとするか。

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Friday, 20 January 2017

むつかしい話は苦手でして

早川書房の雑誌「悲劇喜劇」の一月号を読んだ。
落語特集だつたからだ。
普段は読まない雑誌といふこともあり、毎号掲載されてゐる通常の記事も読んだ。
巻末に劇評が掲載されてゐる。
劇評家の人がふたり、対談方式で見た芝居について語りあふといふ形の記事だ。
一ヶ月くらゐの間にこんなにたくさんの芝居が上演されてゐるんだなあ。
自分の見てゐる舞台なんてそのうちのほんのわづかで、さらにそのうちの一公演きりなんだなあ。

しかも、なんだかむづかしい内容の芝居が多い。
実際に見たわけぢやなくて、見てきた人の話を聞いてさう思ふので、自分で見たらさうは思はないのかもしれない。

でも、なんとなくだけど、世の中むづかしい内容のものの方が高尚だしさういふものでなければやる意味がない、といふ風潮はあるよね。

「むづかしい内容の芝居」といふのは、「人生如何に生きるべきか」とか「人間の生きてゐる意味とは」とか「人と人との関係に潜む名状しがたいもの」とか、そんなやうなことを描いたもののことだ。
もつといふと、なにか主題があつて、それにもとづいて作られたやうな芝居、しかもその「主題にもとづいて作つたものですよ」といふことが透けて見えるやうな芝居も入る。

歌舞伎にもある。
新作歌舞伎の多くは、なにか主題があつて、それを訴へやうとしてゐるやうに見受けられる。
スーパー歌舞伎なんかさうかな。
スーパー歌舞伎の「三国志」の惹句は「夢見る力」とかだつた。
うーん、なんかさー、歌舞伎にさういふもの、求めてないんだよねえ。
「あらしのよるに」もさういふ感じがした。
種族を超えた友情、みたやうなさ。
さういふのは別の芝居で見るから(といつて、やつがれは見ないのだが)、歌舞伎でさういふ無粋なのはやめやうよ。
最近見た中では「阿弖流為」くらゐかな、さういふメッセージ性のやうなものを感じなかつたのは。あ、「GOEMON」もさうかな。
「ワンピース」は「仲間大事」、でせう。

でもどうやら、さういふ訴へたいことのあるメッセージ性の高い芝居の方が受け入れられてゐるやうな気がするんだよなあ。
おそらく、見た後なにかが残つた気がするからだと思ふ。
あと、国語教育でせうね。「主人公の云ひたいことを何文字以内で書きなさい」みたやうな。「主人公」でなくて「この話」の場合もあるか。

現在、歌舞伎座で真山青果の「将軍江戸を去る」がかかつてゐる。
大政奉還後、「薩長のやることは納得いかん、徹底抗戦だ!」といふ慶喜と「戦争はいかん!」と必死で説く山岡鉄太郎の話、と書くと端折り過ぎかな。
「戦争はいかん」「戦争をすれば苦しむのは民百姓だ」といふのが、青果の云ひたかつたことだと思つてゐる。
また、立場の弱い幕府側から敢て戦争を回避するといふ点も、描きたかつたことなのだらうといふ気がする。
さう思ひつつ、でも歌舞伎でやるんだから、それが表だつちやダメなわけでさ。
新劇ならいいけども。
そこがこの芝居のむづかしいところなんではないかと思つてゐたのだが。

きつともう、さういふことは考へないんだよね。
なにかを表現する、演じるといふのはなにかしらの主題を背負つてそれを訴へるための手段なのだらう。

今回見た「将軍江戸を去る」にはあまりメッセージ性は感じなかつたけどね。
初日に見たので、全体的に消化し切れてゐない感じの舞台だつたからかもしれないけど。

今後はますますかういふ「自分の訴へたいことはこれなんだ!」「かういふことが云ひたいんだ、自分は!」みたやうな芝居が増えていくんだらう。
さういふのに興味がないから歌舞伎を見てるんだけどなー。

今後、歌舞伎を見なくなるだらうと思ふ所以のひとつはそこにある。

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Thursday, 19 January 2017

その後のナガサワオリジナル マルチペンケース

ナガサワ文具センターオリジナルの7本差しマルチペンケースを使つてゐる。

以前、「分不相応なものを買つてしまつた」と嘆いたこともあつたけれど、案外便利に使つてゐる。
とりあへず、かばんに入るやうであれば持ち歩いてゐるしね。

かばんはル・ボナーのものをもつぱら使つてゐる。
ル・ボナーのかばんには、内ポケットの数が最小限であるものが多い。
今日持つてきてゐるタンク・トートなどもさうで、内ポケットとして片側にファスナーつき、反対側にファスナーのないポケットが二つあるだけだ。まちはない。
がばつと広いスペースにものを入れるといつた雰囲気のかばんで、これはこれで気に入つてゐる。

パパスもさうかな。
外にファスナーつきのポケットがあり、内側にはタンク・トートとおなじやうな感じでポケットがついてゐる。ファスナーのないポケットが二つにわかれてゐるところがタンク・トートとは違ふ。
あとは広いスペースに好きなやうにものを入れる。さういつた趣のショルダーバッグだ。

どちらかといふと小分けのできるポケットがたくさんあるかばんを好んできたが、ル・ボナーのかばんを使ふやうになつてポケットはなくてもなんとかなるのかな、と思ふやうになつた。

たとへばタンク・トートを使ふときはやはりル・ボナーのピッコロといふこぶりのセカンドバッグのやうなかばんをバッグ・イン・バッグとして使用してゐる。
ピッコロの中に財布などを入れて、タンク・トートに入れてゐるあひだはファスナーを開いて中のものを取り出しやすいやうにしてゐる。
これが案外いい感じなんだな。

マルチペンケースもとりはずしのできる内ポケットのやうな感じで使用してゐる。
タンク・トートやパパスに入れてゐるときは、なるべくペンケースは丸めない。できるだけ平たい状態で入れる。
そして、大きめのポケットにはiPhoneを入れるやうにしてゐる。
これまではファスナーのない内ポケットに入れてゐた。
よく取り出すものはほかのものとは一緒のポケットには入れないやうにしてゐる。
取り出したくないものも一緒に出てきてしまつたり、その結果うつかりなくす可能性があつたりするからだ。

マルチペンケースの大きめのポケットはiPhoneだけ入れるといふ用途にばつちりなところが気に入つてゐる。

以前は「七人の侍」ならぬ「七本のペン」について書いた。
現在のところ、マルチペンケースの中身は写真のとほりの布陣になつてゐる。

ナガサワ文具センターオリジナルマルチペンケースとその中身

Moleskine を使つてゐるので、Moleskine でも使へるペン、それと、Bullet Journal 用にちよつと太めのペンや赤や明るい青などのインキを入れたペンを選んでゐる。
ふたつきの大きめのポケットにはFRISKとFRISKフォン。いつのまにかFRISKの方がPHSより大きくなつてゐてびつくりだ。

買つた直後は「失敗したかも」と落ち込んでゐたが、日々便利に使へてゐるので、これはこれでいい買物だつたのかな。
さう思ふことにしたい。

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Wednesday, 18 January 2017

世界を狭める引用好き

先週の水曜日、新文芸坐で「ああ爆弾」を見た。

「ああ爆弾」は岡本喜八監督作品で、1964年の映画だ。
Wikipedia によると「ジャズからロック、浪曲に狂言、果ては題目までを駆使した和製ミュージカル映画である。」とある。

ほかにも、「猫の首に鈴をつけ」たあと能の「安宅」の最後の部分が流れるし、主人公・大名大作(伊藤雄之助)が「南無阿弥陀仏」、その妻・梅子(越路吹雪)が題目である「南無妙法蓮華経」と唱へつづけるうちに互いの唱へてゐるものが入れ替はるのは歌舞伎の「連獅子」だ。
大作が引つ込むときにお囃子めいたものが流れるのは噺家が高座を降りるときの感じに似てゐるし、義太夫もあつたやうに思ふ。

なんか、いろいろてんこ盛りな映画だつた。
引用とパロディとがわんさと詰め込まれてゐる。

かういふ作品に弱い。
考へてみれば、歌舞伎が好きなのも、とくにいはゆる「古典」といはれる作品が好きなのも、えうはそこだ。

「実盛物語」は、斎藤実盛が白髪を黒く染めてゐたといふ話と、手孕村のいはれとをうまく一緒にして作つた話だ。

「盟三五大切」は「仮名手本忠臣蔵」の世界に「五大力恋緘」をもつてきたといふ趣向。

「法界坊」の外題は「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)」。
つまり隅田川もののひとつで、だから吉田家の若君とかが出てくる。

さういふ、「ああ、これ、知つてる」とか「さうきたか」といふのが芝居見物のひとつの醍醐味だと思ふんだよなあ。

最近だと、PNSPこと「ペンヌリサンポーサンポーペン」などは「ああ爆弾」における狂言がかりの部分と似たやうなものだと思つてゐる。
恥づかしながら、PPAPを見たことがないのだが、それでもPNSPがもともと芝居の中にあつたものではない、なにかを引用したものであることはわかる。

なんでこんな引用だらけのものが好きなのか。
だいたい、「この部分はかくかくしかじかのものからの引用である」つて、知らなきやわからないぢやない。
「ああ爆弾」にしても歌舞伎にしても、引用元を知らないものはたくさんある。
そもそも引用してゐることを知らないものが山とある。
知らないといふことは、それが引用であるかどうかはわからない。
わからなかつたら「好き」とはいへないやね。

つまり、自分は自分の知つてゐる極めて狭い範囲のものごとが引用されてゐるものが好きなのだ。
すなはち、好きなものが至極限られてゐるといふことだ。
自分の世界を狭めてゐるのである。

まあ、楽しいからいいけどね。

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Tuesday, 17 January 2017

大きいものをひとつか小さいものをいくつかか

タティングレースは九枚目のモチーフを再度作りなほした。

Masquerade

現在は写真のやうな感じである。
今週中には九枚つながるであらう。

これまでは、Masquerade (Mary Konior の Tatting with Visual Patterns といふ本に掲載されてゐるモチーフ) をつないで3×3のこの形になるとなんだか満足してしまひ、完成といふことにしてゐた。
今回は違ふ。
今回は、Lisbeth #40 一玉を使つて何枚 Masquerade が作れるかを確認するのが目的だ。
ここでやめるわけにはいかない。

だが待てよ。
別になにか大きいものを作る必要はないんぢやあるまいか。
3×3のドイリーのやうなものはそれとして完成品とし、残りの糸でまた Masquerade をつないだものを作ればいいのではないだらうか。

さういふ考へ方もあるなあ。

問題は、残りの糸で3×3のドイリーもどきを作れるかどうか不明だといふことだ。
3×3でなくてもいいのかもしれないけどね。
2×2でもいいかもしれない。
2×3だつて悪かない。

さう思ひつつ、これまで3×3を超えるサイズのものを作つたことがないので作つてみたい気もしてゐる。
使ひ道はない。
3×3にしたつて使ひ道はないのはおなじだ。
使ひ道のない大きいものをひとつ作るか、小さいものをいくつか作るかの違ひだ。

うーん、ここはやはり初志貫徹でいくかな。
初志、といふやうな大げさなことはないけれども。

別にちよこちよこと作つてゐる Chinese Coin Bookmark は、一カ所つなぎわすれてゐるところを見つけてちよつとショックを受けてゐる。
あとで昔ながらの方法でつなげばいいかな。
さう思つて、気にせず先を続けてゐる。
あんまし進んではゐないけれどね。

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Monday, 16 January 2017

寒すぎる

指無し手袋は片方の手の親指を編んでゐる。

Fingerless Mitts in Progress

ゴム編み止めをすればできあがり、といふところで止まつてゐる。
二目ゴム編み止めはすでに四本の指を通す部分で使つたので、できないわけぢやない。
ではなぜ止まつてゐるのかといふと、有り体に云つて、寒いからだな。
手先が冷える。
手先が冷えるから指無し手袋を編みはじめたのに、それが理由で進まないといふのは本末転倒といふかなにかが違ふ気がする。

でも、あみものつてさういふものなんだらう。
セーターは、本格的に寒くなる前に編みはじめるものだ。
完成にかかる時間を割り出して、寒くなつたら着られるやう考へて編みはじめる必要がある。

ただ、あまり早い時期にはじめるとまだ暑かったりして編み気を損ねることがある。
また予想外に暖冬だつたりするとこれまた編み気に影響する。

いままではさう思つてゐたんだけれど、寒すぎるといふのもダメなんだな。

羽織も滞つてゐるし、このままだと春が来てしまふ。
羽織は次の冬に持ち越しかなあ。

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Friday, 13 January 2017

演目が好きなのか役者が好きなのか

長いこと、「河庄」や「雁のたより」などは好きな芝居だと思つてゐた。
実際好きだつたし、かかると聞けばうれしい演目だつた。

どうやら「河庄」や「雁のたより」が好きなわけではないらしい、といふことに気がついたのはわりと最近のことである。

「河庄」自体が好きだつたわけではない。
中村鴈治郎(三代目。以下「3」)が紙屋治兵衛を演じるときの「河庄」が好きだつたのだ。
「雁のたより」も同様で、鴈治郎(3)の三二五郎七で見る「雁のたより」が好きだつた。
ほかの役者で見る「河庄」や「雁のたより」は別段好きでもなんでもない、むしろあまり好みではない方なのらしい。

さういへば、鴈治郎(3)襲名のあとだつたらうか、歌舞伎を通じて知り合つた人に「あなた、鴈治郎(3)のこと好きだものね」と云はれてびつくりしたことがある。
そ、そーかなあ。
考へたこともなかつた。
いま思へば、そのとほりだつたのかもしれない。
すくなくとも当時は。

政岡とかも好きだつたし、四月に中村吉右衛門の内蔵助の「南部坂雪の別れ」で見た瑤泉院も「四月に「南部坂雪の別れ」かよ」と見る前は思つてゐたものの、見たらものすごくよかつたし。
「時雨の炬燵」もよかつたなあ。片岡秀太郎のおさんで。
「雁のたより」のお玉どんも秀太郎だつたか。
「二月堂」の渚の方も忘れられない。
定高とかね。よかつたよねー。
「吉田屋」の伊左衛門も、鴈治郎(3)に限る。
それくらゐに思つてゐた。

そんな鴈治郎(3)だつたが、山城屋を襲名する少し前からなんとなく以前ほど好きではない気がしてゐた。
芝居が長いのである。
くどい、といつてもいい。
最初にさう思つたのが葛の葉だつた。
や、もういいから、先に行かうぜ。
見てゐてさう思つた。

さういふ時期が続いて、でも歌舞伎座のさよなら公演の「藤娘」なんてのは実にすばらしくて、たぶん、そのあたりからまたちよつと「いいかも」と思ふやうになつたやうに思ふ。
三年前の九段目の戸無瀬とか、大絶賛してたしね、当時のやつがれは。

でも、ぢやあ、山城屋が好きか、と訊かれると、やつぱり別段好きぢやあないんだよな。

なんなんだらう。
演目と役者との組み合はせ、相性、さういつたものなのかもしれないな。

「義賢最期」も好きだと思つてゐたけれど、やつがれの好きな「義賢最期」は、「中二病」といはれるだらうことを覚悟でいへば、「滅びの美学」とか「敗者の覚悟」が感じられる芝居であつて、派手な立ち回りは添へものに過ぎない。
凄惨な敗者の最期を演出するもの、または敗者の云々などを解さない客向けのサーヴィスが、戸襖倒しであつたり仏倒しであつたりするのだ、と思つてゐる。
「義賢最期」を「立ち回りがすばらしい」と誉める人が多いときは、「あ、なんか違ふ芝居なんだな」と思ふやうになつた。
どうやら成長したのらしい。

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Thursday, 12 January 2017

箇条書きあれこれ

書くことに時間が割けてゐない。

読んだ本や見てきた芝居、映画、落語のことを書くのが精一杯で、それ以外のことがほとんど書けてゐない。
歌舞伎は通常三幕くらゐある。
落語はこれまた最低でも三つくらゐは噺をする。
映画は名画座系に行くと二つ見ることもある。
逐一書いてゐると、それだけで終はつてしまふ。

なにかもつとかんたんに書ける方法がないかと思つたのも Bullet Journal をはじめた理由のひとつだつた。
Bullet Journal は Rapid Logging を標榜するものだ。
素早く即座に記録を残すために箇条書きを使用する。

Instagram や Pinterest で見るかぎり、Bullet Journal を用ゐてゐる人々のうち、Rapid Logging に重点をおいてゐる人はそんなにゐないやうな気がするけどね。
写真に残すせゐかもしれないけれど、Rapid であるよりは Neat であれ、みたやうな感じがする。
デコラティヴな文字で書き込んでみたり、きれいに色分けしてみたり、見た目に楽しいものが多いからだ。

見た目は重要だ。
ぱつと見てわかるやうに書くことは大切なことである。
とくにあとで見返す可能性の高い手帳の場合はさうだ。

しかし、見返すにはまづ記録を残さなければならない。
それには上記 Bullet Journal の Webページで紹介されてゐるやうな極々シンプルな書き方の方がむいてゐる。

そんなわけで、去年の二月に Bullet Journal をはじめたときには芝居などの感想もすべて箇条書きで書いてゐた。

箇条書きのいいところは、一文一内容にしやすいことだ。
達意の文章を書くには「一文一内容」ははづせない、とものの本にはある。
だらだらと長く書くよりも、一文には内要はひとつにして書いた方がわかりやすくなる。
まれに、前後関係や因果関係があつてつないだ方がわかりやすくなる文もある。
でもそれだつたら箇条書きにして順番を振ればいいんぢやあるまいか。

ほかに箇条書きのいいところといふと、書き忘れたときに追記しやすい、といふことがある。
Aといふ内容のことを書いて、Bといふ内容のことを書く。
その後でAとBとのあひだには実はCがあつたことが判明したとする。
通常の文章だと、AとBとのあひだにCを入れるやうな工夫するだらう。
いまだつたら付箋でも貼るかな。
箇条書きだつたら、AとBとのあひだに「何ページ目に追記あり」みたやうなことだけ書いておいて、別のページにCを書いてもいい。Cのところにも「別のページのAとBとのあひだに入る」みたやうなことを書いておく。
Bullet Journal の手法を借りるなら、記号を決めておけば、ダラダラと文章で「別ページのどこ参照」などと書く必要はない。
普通の文章でもおなじことはできる。
箇条書きだと一文が短いので、入れやすいのだ。

箇条書きはとてもいい。
でも、なんとなくやつがれには向かなかつたんだな。
なんでもかんでも箇条書きといふわけにはいかなかつた。
箇条書きのみにして以降、だんだん記録をとらなくなつてしまつた。
箇条書きだけが問題とは限らない。
当時ひさしぶりにシステム手帳を使ふやうになつて、まだ書くのになれてゐなかつたのかもしれない。
それで、綴じ手帳を「なんでも書く手帳」として使ふやうにして、システム手帳は基本的にはスケジュール管理のみにしたのだつた

ほんたうは最初に箇条書きであるていど書き出しておいて、そこから文章を組み立てた方がいいやうな気はしてゐる。
Bullet Journal をはじめたばかりのころは、さう考へてゐた。
でも清書をしてゐる時間がない。
おなじことを二度書くくらゐだつたら、いま書きたい別のことを書きたい。

これまたほんたうは清書はした方がいいんだけどね。
Bullet Journal なり「なんでも書く手帳」なりにとりあへず書き留めたことを、別のノートにあらためて書いたらいいのにな、とは思つてゐる。
そのために使へさうなノートもある。
でもいまはその時間がないんだよなあ。
「なんでも書く手帳」に書いてゐる時間だつていまなかなかとれないんだからさ。
無駄に過ごしてゐる時間をなんとかすればいいのかもしれないが。
それができたら苦労してゐないわけで。

その無駄な時間を有意義に過ごすために、スライド手帳なり Bullet Journal を使ふといいと、これまた思つてはゐる。
思はないよりいい。
さう思ふことにもしてゐる。

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Wednesday, 11 January 2017

チケットの半券を貼り込む

現在「なんでも書く手帳」には Moleskine のポケットサイズ無地を使用してゐる。

Moleskine だと、芝居や映画の感想などを書いたページにチケットの半券を貼り込みやすい。
Smythson の Panama だと躊躇してしまふんだよなあ、半券の貼り込み。

最初に半券の貼り込みをはじめたのは、二年前にトラベラーズノートを使用してゐたときのことだ。
展覧会や講演会でもらふ資料がA4サイズやA3サイズで、これを三つ折りにしたらトラベラーズノートに貼り込めるのではないか。
さう思つてやつてみたら、ことのほかよかつた。
情報の一元化だ。
さう思つたからだ。
そんなわけで、チケットの半券も一緒に貼つてみた。

もともとは、トラベラーズノートのクラフト用紙をスクラップブック代はりに使用してゐた。
でも長くは続かなかつた。
芝居や映画、展覧会のあとだけ取り出してきて貼り込むといふ作業が、やつがれにはむかなかつたからだ。

常用し持ち歩いてゐる手帳に貼るのが自分にはむいてゐる。
一昨年、さう思つた。

当時はトラベラーズノートを使つてゐたんだから、普通のノート(方眼罫を使用してゐた)と一緒にクラフト用紙のノートもはさんでおけばよかつたんだとは思ふ。
でも、かばんの小さいときはカヴァをはづして使つてゐたからやつぱりダメかな。

その後は、神戸手帳などはカヴァの見返しに袋がついてゐるのでそこに半券を入れておいたり、Panama の場合は使ひきつたときにその手帳を使用してゐる最中の半券をはさんだりとかしてゐる。
Moleskine のときはページに貼り込む。
残念ながら、展覧会や講演会でもらふやうな資料やチラシは貼り込めないので、「またトラベラーズノートに戻らうかな」と思ふこともある。

ところで、現在スケジュール管理にはバイブルサイズのシステム手帳を使用してゐる。
ここに貼り込むことはできないだらうか、といふのがもつかの検討事項だ。

システム手帳は可能な限り薄くしたいと思つてゐる。
過去にリフィルを詰め込みすぎて結局使へなくなつたことがあるからだ。
いまは月間予定表とスライド手帳、方眼用紙のリフィルのみをはさんでゐる。
これが快適だ。
方眼用紙は LIFE の NOBLE REFIL を使用してゐて、これの表紙がちよつとした下敷き代はりになるのもいい。

といふことを考へると、やはりシステム手帳には半券などは貼り込めないかなあ。

半券などを貼り込むと、ページをぱらぱらめくるといふことかができなくなる。
これがいまのところ唯一の問題点だ。
手帳が分厚くなることは、あまり問題とは思つてゐない。
Moleskine だからゴムのバンドがあるしね。
トラベラーズノートでもそれは同様だ。
情報の一元化といふ意味ではとてもいいんだけれどねえ。

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Tuesday, 10 January 2017

あさましき Tatter

大変ショックなことである。
タティングレースのモチーフをつなぎ間違へてしまつたのだつた。

間違へたところまでほどくのにかかる時間を考へた結果、「切らう」といふことに決めた。
人生は間違へたタティングのスティッチをほどくには短い。

だが、気落ちしてしまつたことは確かである。

時間もきてしまつたので、切るのも新たなモチーフを作るのもまた今度だ。

タティングレースは、基本的には職場で昼休みのあまつた時間にしてゐるのみなので、この年末年始はまつたくといつていいほど進んでゐない。

Chinese Coin Bookmark も、まだコインの半分をつなげてゐる最中だ。
作り方に掲載されてゐる写真ではコインを三枚作つてゐるけれど、五枚くらゐは作りたいと思つてゐる。
それとも三枚でやめておくべきか。
悩むところではある。

なぜ悩むのか。
Chinese Coin Bookmark はシャトルを二つ用ゐる。
作り始めはシャトルとシャトルとの糸がつながつてゐるので、糸をつなぐ必要がない。

これはシャトルと糸玉とで作る場合も同様だ。
シャトルの糸と糸玉の糸とがつながつてゐる状態から始めるのが一番楽だ。

めんどくさがり過ぎるかなあ。
過ぎるかもしれないなあ。

あみものでも、「糸端の始末まで含めてあみものだと思つてゐるから、全然苦にならない」、といふ人がゐる。
あみものもさうだし、タティングもさうだらう。
糸端の始末まで含めてタティング。
いや、整形するところまで含めてタティング。
さうでなければものは完成しない。

Chinese Coin Bookmark でコイン型のモチーフを五枚つなげやうと思つてゐる所以は、せつかく楽に作り始めることができたのだから、それを存分に享受したいから、だ。
我ながらあさましいことだ。

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Monday, 09 January 2017

指無し手袋を編む

指無し手袋が必要だ。

以前も書いたやうに、現在の職場は異様に冷える。
休み明けのせゐかもしれないけれど、先週はことに冷えた。
なにしろ、いつも暑がりで冬でも冷房をつけてゐた社員が「寒い」といつて上着を着るありさまである。

すでにある指無し手袋を使へばいいのだが。
実は指無し手袋つてあんまし編んだことがないのだつた。
現在はめてゐる Regia Silk-4Ply で編んだ Serpentine Mitts ぐらゐかなあ。
Rowan の Big Wool で編んだ、並の指有り手袋よりもあたたかいものもあるけれど、これはごつくて仕事をするときには向かない。
リストウォーマはいくつか編んだけれど、できれば親指を出すところがほしいんだよね。

そもそも手袋をあんまり編んだことがない。
指を編み出すのが面倒くさいからだ。
指自体はいいんだけれど、糸端の始末が、ね。めんどくさい。

くつ下はずいぶんと編んだしこの後もまだまだ編むつもりでゐる。
くつ下は糸端があまり出ないからだらうなあ。
なにしろトルコの人はくつ下を編んでも糸端はそのままにしてフェルト化するにまかせるといふ話もあるくらゐだ。
編み込みにしたら話は別だらうけど、編み込みのくつ下もほとんど編んだことがないしな。

手袋の方がくつ下よりいいのにね。
なにがいいといつて、「編んだんだー」と見せびらかせるではないか。
足を突き出して「編んだんだー」といふのはなんだかあまり様子がよくない。
手袋なら、顔の前にでも手を掲げて「編んだんだー」ができる。

そんなわけで、一時手袋を編まうと思つた時期がある。
実際はそんなに編まなかつた。
手袋つて、一対あれば事足りるんだよね。
色とか柄とかいろいろと考へて編めばいいのかもしれないけれど。
それに、上に書いたやうに糸端の問題もある。

しかし、ここに編む理由が生まれた。
寒い。
冷える。
手先をなんとかしなければ。

まづ毛糸を探してきた。
あると思つてゐた Jaeger の Matchmaker Merino 4Ply がない。
4Ply ではなくて DK だつたのだ。
ああー、なんといふことでせう。

考へて、なけなしの Matchmaker Merino 4Ply の中から紫色の最後の二玉をひつぱりだして来た。

For Fingerless Mitts

そして、結局 Matchmaker DK の深緑色で編みはじめた、と。

For Fingerless Mitts

編みはじめて思つたことは、仕事をするときにはめるのなら 4Ply で編んだものの方がいいかもしれないなあ、といふことだつた。
DK で編むと地が厚すぎる気がする。
まだできてないけど。

今回、久しぶりにマジックループで編んでみた。
といふのは、外出先でも編みたいと思つたからだ。
ほんたうは4本とか5本の針で編むのが好きなんだけどもね。
先端恐怖症の人もゐるだらうし、それに輪針の方がなくしづらい。

家で落ち着いてゐるときには袖無し羽織を編んで、外では指無し手袋を編む。
完璧ぢやあないか。

まあ、実際はそんなに完璧でもないのだけれどもね。

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Friday, 06 January 2017

規則正しい生活から落ちこぼれる

この年末年始の休みも「夜はその日のうちに布団に入り、朝は目が覚めて日が昇つてゐたら起きる」を励行した。

休みの日がつづくときにかういふきまりにしてからたぶん三年くらゐたつ。
年末年始の休みと五月の連休、うまく休みがつづくやうなら九月の連休にも適用してゐる。

なぜこんなきまりを作つたのか。
休み明けに出勤しづらくならないやうに、といふのが一番の理由だ。
休み明けに出勤しづらいのはなぜか。
それまで寝たいときに寝て起きねばならなくなつたときに起きるやうな生活をしてきたところ、いきなり決まつた時間に起きなければならなくなることに躯がついていかないのぢやあるまいか。
さう考へたのである。

もうひとつの理由は、睡眠時間の確保にある。
ほんたうは朝はもうちよつと早く起きた方がいいと思ひつつ、睡眠時間を十分取るために「日が昇つてゐたら」といふ条件をつけてゐる。
五月や九月だとわりと早い時間に夜が明けるのであまり眠れないこともあるが、正月休みには有効だ。

休みのあひだも規則正しい生活を送る。
休みのあひだこそ、規則正しい生活を送る。
これで体調などもよくなるはずだつた。
すくなくとも普通だな、と思ふくらゐにはなるはずだつた。

しかしダメだつた。
正月休みの最終日、目が覚めて最初に思つたことは、「やつがれに必要だつたのは規則正しい生活ぢやあない。目が覚めてからもごろごろと布団の中で過ごすことだつたのだ」といふことに突如気がついた。
気がついたときは遅かつた。
この日は出かける日だつたからだ。
布団の中でごろごろしてゐるわけにはいかない。

おそらく、規則正しい生活を送る前に睡眠不足を解消するべきだつたんだらうな、と、いまでは思ふ。
それを解消せずに規則正しい生活を送らうとしたものだから、睡眠不足のまま休みを過ごすことになつてしまつたのだらう。

と、無理やり理屈をつけてはみたものの。
さうぢやないんぢやないかな。
単に、自堕落なだけなのではあるまいか。
規則正しい生活のできない、なまけものだからなのではあるまいか。
その証拠に三連休はずるずると就寝時間が遅くなつてしまつたしね。
でも出かける予定があつたりして、朝はきちんと起きてはゐたけれど。

そんなわけで、なんとなく不完全燃焼な感じの新年を迎へてゐる。
やれやれ。

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Thursday, 05 January 2017

Tracker はラジオ体操のスタンプの如きものか

一月の Monthly Log を作成するにあたり、 Bullet Journal にあらたなページを作成してみた。
「Tracker」と呼ばれてゐるものである。
横軸に日付をとり縦軸には日々やると決めてゐることを書く。
やつがれの場合は、「ラジオ講座を聞く」とかなので、書き込めるスペースの関係で「ラジオ」などと書いてゐる。
その日聞いたら○、聞かなかつたら×をつける。
さういふログだ。

そんなことをしなくてもラジオ講座は放送のある日、その日がダメなら翌日には聞いてゐる。
でもまあ、かういふのをつけると励みになるかな、と思つたのだつた。

ラジオ体操のスタンプみたやうなもの、だらうか。
幼稚園のときは登園するとその日の欄にシールを貼る手帳のやうなものを持参してゐたやうにも思ふ。皆勤賞用のシールを貼る欄もあつた。

今月のラジオ講座は九日からはじまるのでまだ○も×もつけてはゐないが、ちよつと楽しみではある。

Tracker は、Bullet Journal の基本構成には入つてゐない。
Bullet Journal を活用してゐる人々の紹介例を見て「やつてみやうかなあ」と思つたのではじめてみた。
一ヶ月やつてみて自分にはあはないと思つたらそこでやめればいいしね。
Bullet Journal で Tracker を使用してゐる人は、日々のマス目を色とりどりに塗つてゐたりして、見た目も楽しい。
それも真似してみやうかなと思つたけれど、手元に色鉛筆などのないときに印のつけやうがないので今回は見送つた。
Bullet Journal は Rapid Logging を標榜するシステムだ。
Logging の妨げになりさうなことはできるだけ避けた方がいい。
さう思つてゐる。

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Wednesday, 04 January 2017

消極的「ら抜きことば」の使用

いはゆる「ら抜きことば」は遣はない。
すくなくとも遣はないやうにしてゐる。
でも、気がつくと本来正しい用法であるはずの「ら」の入つてゐることばも遣はなくつてゐる。

たとへば、どうしても見たかつたTV番組を見損ねてしまつたときだ。

「あの番組、見られなかつたんだよね」

これでいいはずだ。
でも、多分、いまのやつがれはさうは云はない。

「あの番組、見ることができなかつたんだよね」

さう云ふ。
おそらくさう云ふ。
「見ることがかなはなかつた」といふ意味で遣ふ「見られなかつた」といふことばは、ここのところ耳にしないし目にしないことばだからだ。
耳慣れないことばなのだ。
ゆゑに使用を躊躇してしまふ。

これつて、消極的な「「ら抜きことば」の使用」なんぢやあるまいか。

それなら意識して「見られなかつた」とか「着られなかつた」といふべきなのか。
意識してならなんとかなる。
でも、普段喋つてゐるときに早々意識などしてゐられるものではない。
親しい人々と話に興じてゐるうちに、うつかり「あの人は用事があつて来ることができなかつた」と云つてゐる可能性は極めて高い。
だつて「あの人は用事があつて来られなかつた」なんて表現、長いこと耳にしてゐないんだもの。
しかし、このまま「来られなかつた」を遣はなくなつたら、ますますかうした表現と縁遠くなつてしまふ。

積極的に「ら抜きことば」を遣ふ日が来る日も近いのかもしれない。

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Tuesday, 03 January 2017

野望しかない

昼休みにちよこちよこ作つてゐるタティングレースのモチーフは、は九つめをつないでゐるところである。

Masquerade

このモチーフは Mary Konior の Tatting with Viasual Patterns に掲載されてゐる Masquerade だ。
Tatting with Viasual Patterns はずいぶんと好きな本で、ここに紹介されてゐるものはずいぶん作つた。何度も作つたものも多い。
Masquerade はそのうちのひとつだ。
ほかには Curds and Whey といふエジングのやうなものや、Black Magic といふ栞が好きでいくつも作つてゐる。Spinning Wheel もかな。

何がそんなに気に入つてゐるのだらう。
我ながら不思議に思ふ。
おそらく、ピコの少ないデザインが好きなのだらう、とは以前ここにも書いた。
とくに Masuquerade のピコはつなぐために存在するものばかりだ。
外周になる部分のピコだけが残る。
できれば外周部分のピコはちよつと長めにしたいけれど、ちやんと計画を立てて作らないとできないねー。
今回はレース糸一玉で何枚くらゐモチーフを作れるかを見るために作つてゐるので、その余裕はなかつた。
糸の使用量を見積もれたらちよつと大きいものを作るつもりでゐる。そのときはちやんと計算して作らないとなー。

といふわけで、またぞろ大きいものを作るつもりでゐる。
懲りないねー。
でも、小さいものを作つてもその後どうにもならないからなあ。
一時はお菓子の缶に作つたものを取つておいたこともある。
でも、一度缶に入れたらそのままになつてしまふんだよね。
それはそれでいいのかなあ。
糊でスクラップブックにはりつけるといふ手もあるが、糊がかびさうな気がしてね。

小さいものを作つてもどうにもならない、とか云ひつつ、ちよつと Chinese Coin Bookmark を作つてみるつもりでゐる。
Chinese Coin Bookmark は Jon Yusoff のデザインしたタティングレースの栞で、これまたピコはつなぐためだけに存在するものだ。
外周のピコをなくせばまつたくピコのない(やうに見える)栞になる。

といふわけで、ちよつと作りはじめてみた。

Chinese Coin Bookmark in Progress

これ、たくさんつないでヴェストとかにしたい感じなんだよね。

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Monday, 02 January 2017

羽織に飽いたら

休みの間も袖無し羽織を編んでゐる。

編んでゐて思つたのだが、これは編むより織つた方が早いのぢやああるまいか。
40cm幅でおなじ長さのものを二枚織つて、それをつなぎあはせればできるぢやあないか。
問題は、我が家には40cm幅のものをさくさく織れるやうな織り機がないといふことだ。

40cm幅のマフラーといふかストールを二枚編んでつなげばいいと思つてゐたけれど、このストールを一枚編むのも結構大変なのだつた。

といふわけで、いつになつたらできあがるのか皆目見当がつかない。

一方、指無し手袋を編みたい気もしてゐる。
といふのも、部屋が冷えるからだ。
暖房をつければいいぢやあないかといふ話もあらう。
至極当然の話だ。
問題は、職場も冷えるといふことだ。
職場の空調は全館集中管理で、こちらからはどうしやうもない。
寒い日には手が冷える。
しかし仕事はしなければならない。
そこで指無し手袋だ。

これまでも、夏の冷房のきつい時期に指無し手袋をはめたこともあつた。
リストウォーマとどちらにしやうか迷ふけれど、親指くらゐはあつた方が使ひ勝手がいいかな。

と、これを打つてゐるいまも指無し手袋をはめてゐる。
Regia の Silk-4Ply で編んだSerpentine Mitts (Rav) だ。
二目ゴム編みに交差模様といふのがことのほか気に入つてゐる。
羽織に飽きたら指無し手袋を編むことにしやう。

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Sunday, 01 January 2017

12月の読書メーター

12月の読書メーター読んだ本の数:3読んだページ数:1221ナイス数:11千字文 (岩波文庫)千字文 (岩波文庫)感想文選読み、いいよなあ。なんでやらなくなつちやつたんだらう。字の読み方も意味も覚えられて一挙両得なのに。しかも「千字文」は故事来歴とかもいろいろ覚えられるときてゐる。一粒で何度おいしいのだらう。読了日:12月03日 著者:小川 環樹,木田 章義
Apostle: Travels Among the Tombs of the Twelve (English Edition)Apostle: Travels Among the Tombs of the Twelve (English Edition)感想十二使徒それぞれの墓があると思はれる場所に赴く話。著者は幼い頃は熱心なカソリックだつたがある時教義に疑問を覚えて信心をやめたといふ。新約聖書を学問的に読み解き、様々な学者の説も紹介してゐる。でもこの本で一番おもしろいのは、各地で出会つた人々との逸話かな。トルコでことばのほとんど通じないお坊さんから寺院の説明を受ける話とか。自分にもうちよつとキリスト教に関する知識があれば、もつと違つた感想になつたのかも。読了日:12月23日 著者:Tom Bissell
いま世界の哲学者が考えていることいま世界の哲学者が考えていること感想「ハーバード白熱教室」を見てゐても感じるのだが、こんな悠長なことを考へてゐられるなんてうらやましい。この本でも格差について触れられてゐるけれど、ほんたうの格差はかういふところにあるんぢやあるまいか。紹介されてゐる本で読みたいと思ふものは翻訳されてゐないことが多い。読みたいと思ふ人は原書(または英語)で読める人か出版社が「そもそもこんな世の中の役に立たないやうな本は売れない」と判断して翻訳しないのか。読了日:12月27日 著者:岡本 裕一朗
読書メーター

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