「めんどくさい」といふ行動原理
写真はタティングレースのモチーフを六枚つないだところ。
現在は七枚目を作つてゐる最中だ。
念のため書いておかう。
このモチーフは Mary Konior の Tatting with Visual Patterns に掲載されてゐる Masquerade といふモチーフだ。
糸は Lisbeth #40 の Lavender Dk を遣つてゐる。
なにを云つてもこの色がくどいんだね、少々。
「濃い」のは好きなんだよ。
役者にしても芝居にしても「濃い」のはOK。
先日、先代の松本幸四郎の「鬼平犯科帳」を見てゐたら、草野大悟と藤岡重慶とが一緒に出てくる場面があつて(「狐火」ですな)、その濃いことといつたら。
「いいわー、濃いぃわー」と思はずつぶやくこと一度ならず。
でも「くどい」のはダメ。
敢へて例は出さないけど、「くどい」のは苦手。
やつがれ自身がくどい質だから同族嫌悪なのだな。かなしいことに。
いい色なんだけどね。
以前も書いたとほり、日の光にあたるとちよつときらきらして、いい感じになる。
でもかういふ色を遣つてゐると、もつとあつさりした色や、いつそのことレースらしく白とか生成とかを遣ひたくなつてくるのが人情だ。
とはいへ、いまはこれ以外のことに手をつけてゐる暇はない。
タティングレースなんぞをしてゐる暇があるのなら、部屋を片づけたり年賀状を書いたりするべきだ。
年賀状は、夕べやつと年賀はがきを買つたところである。
買つただけで満足してしまひがちだ。
書いて出さないといけないのに。
購入しただけで「オレはやつたぜオレはやつたぜ」と佐々木倫子の「動物のお医者さん」に出てきたシベリアン・ハスキーのシーザーのやうに盛り上がつてしまふ。
そして、忘れる。
意図的に忘れることもある。
意図的に忘れるなら、年賀状のあることを意識してゐるのだからまだいい。
はがきを買つただけで満足して、書いて出すといふ行為自体を忘れ去つてしまふこともある。
ああ、なぜ年賀状を出さないといけないのでせう。
もう出さないことにしやうかな、と思ふこともある。
なぜといつて、めんどくさいからだね。
今年、いつだつたか「行動原理から「めんどくさい」を取り除かう」と思つたときがある。
いつだつたかはもうも忘れてしまつた。
手帳に書いたはずだから、探せば出てくるだらう。
でも探さない。
いまかうして書いたから、検索すれば出てくるやうになる。
それでいいかな、と。
こんな感じで来年も「めんどくさい」を行動原理からはづせぬままに生きるのだらうなあ。
え、タティングレースはめんどくさくないのかつて?
めんどくさいと思ふこともないわけぢやない。
さういふときはしない。
さういふもんでせう。
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