今年の目標と辞書
今年の目標のひとつに「できるだけ辞書を引く」といふのがあつた。
ひつそりとした目標だつた。
ひつそりとしたものなので、自分の中で「あ、辞書引かなきや」みたやうなきつかけのひとつとして機能する目標だつた。
そろそろ今年の総括をする時期だ。
「できるだけ辞書を引く」といふ目標は、まあまあ達成できたものと思つてゐる。
なにしろ曖昧な目標だ。
「できるだけ」だもの。
これを「必ず」に変へてしまふと絶対達成できない。
重荷になるだけだ。
辞書を引くなどといふ目標をなぜたてるのかと考へたときに、重荷になつてやらなくなるくらゐならやめた方がいい。
そこで「できるだけ」にした。
使用してゐる辞書は iPhone 版の「大辞林」と「リーダーズ英和辞典」とだ。
「大辞林」なのは、iPhone を遣ひはじめたときに安売りをしてゐたからだ。
iPhone を持ち歩いてゐると、辞書もよく引くやうになる。
今年の目標をたてたきつかけのひとつが iPhone だ。
草森紳一は、辞書など信じないと書いてゐる。
どちらかといふと草森紳一に組みしたい方だ。
辞書は人間の作つたものだ。
必ず誤りはある。
誤字脱字のレヴェルから解釈の違ひまで、いろいろあるはずだ。
ではなぜ辞書を引くのか。
あることばが世間一般でどう受け取られてゐてどう使用されてゐるのかを知るため、かな。
たとへば、やつがれはこれこれかういふときに「編纂」といふことばを遣ふ。
でもやつがれの遣ひ方で世のほかの人に通用するだらうか。
さういふときに辞書を引く。
問題は、かういふ辞書の引き方をするなら「大辞林」よりは「広辞苑」の方がよからうといふことだ。
橋本治の著書に「橋本治が大辞林を使う」といふ本がある。
中に、編集者に「このことばの遣ひ方は違ふのでは」といふ指摘を受けて「でも辞書にはかうあります」と返すと「ご使用の辞書はなんですか」と訊かれる、といふやうな話が出てくる。
編集者が使用してゐるのは「広辞苑」、橋本治が使用してゐるのは「大辞林」だ。
橋本治の例からいつて、世の人にとつて「辞書」といつたら「広辞苑」のことなのだらう。
でも最近は、Webの辞書サイトで検索する人も多からうし、必ずしも「広辞苑」のひとり勝ちといふことはないだらう。
さう考へると、辞書も存亡の秋を迎へてゐるんだらうなあ。
別に愛用してゐる辞書があつた。
「新潮現代国語辞典」だ。
この辞書は用例の豊富さが魅力だ。
二葉亭四迷からの引用が多いやうに思ふ。
山田俊雄の編んだものであるといふことも大きい。
柳瀬尚紀との対談集「ことば談義寐ても寤ても」で、柳瀬尚紀からの質問に山田俊雄は「ここまではわかつてゐます」といふ答へ方をする。そこから先はまだわからない、とも云つてゐる。
そこが好ましいと思つたからだ。
かういふ人の編集した国語辞典ならおもしろいだらう。
さう思つたのである。
「新潮現代国語辞典」は職場で使用してゐた。
当時は客先勤務が多く、職場が変はるたびに辞書も移動させてゐた。さうかうするうちいづこかへ消へてしまつた。
次の勤務地が即決まらぬので社に戻したり家に持ち帰つたりしてゐるうちにどこに行つたかわからなくなつてしまつたらしい。
なくなつたと思つてゐたその他の品々は社の物置の奥から出てきたのだが、この辞書たけは出てこなかつた。
新版が出てゐるといふので、それを買はうかと思つてゐる。
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