年末の戯言など
分相応、といつも思ふ。
あまり上を求めてはいけない。
かといつて、下過ぎてもいけない。
みづからの分を守つて生きるのが一番だ。
そのとほり、と思ひつつ、やつぱりどこかでムリしてゐるんだよなあ。
とくに上方向に。
去年の一年の抱負といふか目標といふかのひとつが「分相応に生きる」だつた。
でも去年はそれを達成できなかつた。
それではなぜ今年の抱負といふかに「分相応に生きる」がなかつたのかといふと、「自分の分つてなんだらう」といふことがよくわからなかつたからだ。
分相応に生きるには自分の分がわかつてゐなければならない。
わからないのに相応になんて生きられるはずがない。
世の中を見てゐても、みな分相応には生きてゐないやうな気がする。
すくなくとも、年相応に生きてゐるやうには思はれない。
「心中天網島」の「河庄」を見ると、丁稚が遊女・小春に対して「をばはん」と聲をかける。
歌舞伎では、まあ、それなりに年を取つた役者が演じることもあるからともかく、文楽では小春はきれいな女だ。
いまの感覚からいつても「をばさん」と呼ぶにはどうかと思ふくらゐ若い。
でも小春は「をばはん」と呼ばれて文句を云つたりしない。
あたりまへのこととして受け取つてゐる。
「菅原伝授手習鑑」は「寺子屋」の「寺入り」部分もさうだ。
松王丸の妻・千代は自分のことを「をば」といふ。
千代は、おそらく二十代の半ばくらゐぢやないかと思ふ。
いま二十五歳くらゐの女の人に「をばさん」とか呼びかけてみな。
ぎよつとするか「失礼な!」と怒り出すか……
いづれにしても、「をばさん」だなんてとんでもない、と云ふだらうし、周囲の人もさう思ふのぢやあるまいか。
年齢ではなく、兄弟姉妹にこどもが生まれておぢやおばになつた場合も甥や姪に自分のことを「おぢさん」「おばさん」と呼ぶのを禁じる人がある。
これつて、分不相応ぢやない?
だつて、実際におぢさんおばさんになつてゐるわけだし。
往生際が悪いともいへる。
いま「匈奴列伝」を読んでゐる。
匈奴は、老人を尊ばないといふ。
なぜといつて、若くて動ける人間でないと兵隊として戦へないから、といふのだ。
一方の中国(戦国時代とか漢とか)は老人を尊ぶ。
平和な世の中で、年を経て得た経験がいろいろと役に立つ世の中だからだ。
いまは平和な世の中ぢやないといふことなのかなあ。
分相応から話がそれてしまつた。
とりあへず来年はもうちよつと芝居に行く回数を減らさうと思つてゐる。
芝居見物はやつがれにとつては分不相応なものだと思ふからだ。
残念だけどね。
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