理想の言葉遣ひがない
自分が「これ!」と思ふやうな言葉遣ひで書けたらなあと思ひつつ書けてゐない。
結局、自分が「これ!」と思ふやうな言葉遣ひといふのが具体的にはないんだな。
かういふことばを遣つてみたい、といふのはある。
いまはもう店じまひしてしまつた喫茶店の女将に年を訊かれたことがある。
通勤途中ずつと気になつてゐて、帰りしなに覗いてみたら席があいてゐたので入つた店だつた。
閉店間際ほかの客がゐなくなつて、なぜかやつがれは女将と話し込むことになつた。
遠くに転勤になりさうなのだと話したら、「そんな仕事、やめちやひなさいよ。このあたりにならいくらでも仕事があるわよ」と云はれた。
このときに「いくつなの」と訊かれたのだつたと思ふ。
「もうすぐ四十郎です」
さう答へた。
一度云つてみたかつた。
この機会を逃したら、もう絶対口にすることも遣ふこともないことばだつた。
すくなくともそのときはさう思つた。
使へる期間は限られてゐる。
しかも、通じる相手に云ふ必要がある。
通じなくてもかまはないのかもしれないが、通じた方がいい。
結局その後「もうすぐ四十郎」と答へる機会がなかつたので、このとき口にして正解だつた。
反対に遣ひたくないことばといふのもある。
たとへば「奴」とか「ヤツ」。
ことばの並びでどうしても「奴」と云ひたいこともあるので、完全に遣はないとはいへないが、できるだけ避ける。
それで「アレ」とかになつてしまふのが目下の悩みだ。
なにかいい言ひ換へがあるといいんだけどな。
「やる」よりも「する」の方が好ましいと思つてゐるけれど、これもやつぱり「やる」を遣つてしまふときもある。意識しないと「やる」になりがちかもしれない。
あと絶対遣はないのが「エロス」を省略したことばとその派生語だ。
これはなにがあつても遣はない。
と云ひたいところだが、引用するときには仕方なく遣ふ。
でもあんなイヤなことばはちよつとほかにはない。
しつかりとしたご両親の膝下でお育ちになつたらう人でも普通に遣つてゐるのを見聞きすると、自分の方がをかしいのだらうかと思ふこともある。
でもイヤなものはイヤなのだ。
そんな感じでことばに関する好き嫌ひはある。
でも文体となるとどうかなあ。
「かう書きたい」「かう喋りたい」といふ具体的なイメージはない。
ぼんやりとしたものならあるのだが、つかみきれない。
できるだけかつちりした言葉遣ひをしたいと思ひつつ、くだけてぞんざいな言葉遣ひも好きだ。
必要に応じて遣ひわけられるといいのかもしれない。ほんたうはね。
むづかしさうだけれどもね。
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