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Thursday, 15 September 2016

「シン・ゴジラ」とか「霧笛」とか

「太陽の黄金の林檎」を読み返してゐる。

ハヤカワNV文庫をもらつたのは、中学生のとき、ある年の誕生日だつたと思ふ。
友人がくれた。
この友人は萩尾望都が大好きだつた。それまで萩尾望都をほとんど読んだことのなかつたやつがれは、この友人から「スター・レッド」や「それこそ「ウは宇宙のウ」とかを教はつたのだつた。

「太陽の黄金の林檎」はこのとき読んで、確か高校生になつてから萩尾望都の「霧笛」を読んだのでまた読み返して、それつきりだと記憶してゐる。

今回読みなほすきつかけのひとつは「シン・ゴジラ」だ。
海からあらはれるゴジラと、「霧笛」の巨大生命体とがなんとなくリンクしたのだつた。
もうひとつの理由は、まあ、わかる人にはわかると思ふ。

読み返して、「霧笛」は、ほんたうにこの内容でいいのだらうか、と思つた。
この内容でいいのだらうか、といふのは、登場人物による巨大生命体の行動理由や心理の解釈をそのまま受け取つていいのか、といふことだ。

以前読んだときは、そのまま受け取つて、そして、なんかもうたまらない気持ちになつたものだつた。
でも、今回読み返してみて、「いや、それ、勝手に想像しただけでせう」といふ気持ちになつたのだつた。
「霧笛」の巨大生命体は、ほんたうに同族を求めてやつてきてゐたのだらうか。
なにか違ふんぢやないか。
ほかに理由があるのぢやないか。
人間の考への及ばないやうな、そんなわけのわからない衝動が、この巨大生命体にはあつたのではあるまいか。
そんな気がしたのである。

そんな気がしたのも「シン・ゴジラ」を見たからかもしれない。
「シン・ゴジラ」のゴジラがなぜああいふ行動を取つたのかつて、全然わからないもんね。
手がかりを見つけて「ああぢやないか」「かうぢやないか」といふことはできても、ぢやあほんたうにさうなのかどうかはわからない。
それは「霧笛」の巨大生命体も同様だ。

さう思ふと、「人間とはなんと感傷的な生き物だらうか」と天を仰ぎたくなつたりもする。
また、「人間とは、なににでも理由をつけたくなる生き物なのだなあ」、とかね。

「霧笛」は、登場人物による巨大生命体の行動理由をそのまま受け取つて読むのが正しいのだらう、とは思ふ。
思ふけど、一度芽生えた疑問はなかなか頭から去らないのだつた。

「太陽の黄金の林檎」自体はまだ読んでゐる途中だ。
頭の中に萩尾望都の絵が浮かぶこともあり、ときに「トワイライト・ゾーン(あるいは「ミステリー・ゾーン」)」の映像が浮かぶこともある。
ロッド・サーリングが不気味に登場して、ひとくさり蘊蓄を傾けて去つたりね。
いづれにしても、白黒めいた濃淡だけの世界だ。

はじめて読んだときからなんとなくノスタルジーを感じる作品が多かつたけれど、いま読むとノスタルジーを感じずにはゐられない。
この調子でほかのブラッドベリ作品を読み返すか、それとも当時読んだ別のSF作家の本を手にしてみるか。

さう考へると、ちよつと楽しい。

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