惰性からの脱出計画
日々惰性で生きてゐる。
NHKラジオの語学講座も、ほぼ惰性で聞いてゐる。
よくつづくものだと我ながら思はないでもないのだが、惰性だからつづいてゐるのだ。
ものごとを positive にとらへる人なら「習慣になつてゐる」といふのかもしれない。
残念ながらやつがれは世の中をそんなに positive にはとらへられない。
'Cause I was born to be blue.
そんなわけで、惰性だけでNHKラジオ語学講座をつづけてゐる。
惰性のなにがいけないかといふと、無意識に聞くことがあることだ。
聞き流してしまふのだ。
これだと聞いてゐる意味がない。
平日は毎日やつてゐることだから、ふと意識がとぎれることがある。
さういふときに重要な文法の話とかされると、全部すつとんでしまふ。
格変化とかね。動詞の活用とかされても、記憶に残らない。
意味がない。
意味はなくても毎年聞いてゐると、意識があるときもあるから、そのときは記憶に残る。
残るけど……忘れるよね、大抵。
なぜ忘れるのかといふと、使はないからだ。
使ふことがない。
使ふ必要がないのである。
普段生きてゐて、日本語以外の言語が必要な状況が発生しない。
そら覚えないよね。
それに、一生外国語を身につけることはできない、といふことに最近気がついてしまつた。
最近、といふところが念入りに情けないが、仕方がない。気づいただけよいことにしたい。
なぜ外国語を身につけることができないのか。
必要がないから、といふのがひとつ。
もうひとつは、日本語でだつて碌々他人と意志疎通がとれてゐないぢやあないか、といふことだ。
ことばをなんのために使ふのかといへば、そらやはり意志疎通のために使ふのだらう。
(一応)母国語である日本語を使つてさへ他人と意志の疎通をはかれない人間が、外国語を覚えたからといつて意志疎通ができるやうになるだらうか。
ならないね。
ならない。
なるとは思へない。
そんなわけで、NHKの語学講座などもうすつぱりやめてしまはうかとも思つたのだが。
惰性なのでなかなかやめられない。
サンクコストでもあるのかもしれない。
これまでつづけてきたのにいまさらやめるなんて、といふ思ひは、サンクコストになつてしまつてゐるから浮かぶのだらう。
そこで、来月からは聞くことは聞くけど、つまらないなと思つたり、これ以上覚えるのはムリだな、と思つたら聞くのをやめることにしやうと思つてゐる。
それにはしばらく聞き続ける必要がある。
講座が初歩の初歩の内容からはじまるからだね。
惰性で聞きつつも、どうやら四月や十月の開講直後はそれなりに真面目に聞いてゐることが多いのらしい。
実際につづけるかどうか決めるのは十一月になつてからかな。
二ヶ月後にどうなつてゐるのか。
ちよつと楽しみではある。
やつぱり惰性でつづけてゐるやうな気がするけどね。
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