好きなものごとを書く
好きなことを書くと気分がよくなる。
つひ最近、そのことに気がついた。
考へてみれば去年劇団☆新感線の「五右衛門VS轟天」について覚えてゐることをありつたけノートに書き出してゐたときの昂揚感たるや。
千穐楽を迎へて「五右衛門VS轟天」ロスに陥るかと思ひきや、ずつとハイな状態がつづいてゐた。
さみしさは、書き終はつたときにやつてきた。
もう、書くことがない。
書いたことを見ながら思ひ出したことは書けるけれど、そんなのはたいした量ぢやない。
量も必要なんだな、気分をあげるには。
そんなわけで、ここのところこの blog にもできるだけ意識して好きなことについて書いてきた。
そのつもりだ。
「ウルトラ仲蔵」の話なんかは、もう書かずにゐられない感じだつたし、「じーんず屋ようこたん」もさう。
でも、ほんたうに好きなものについては、どうにも書けない。
直接書かうとしてうまく書けないから、どうしても搦手から書くことになる。
さうすると、なにがなんだかわからなくなつちやふんだよねー。
先日、國學院大學で川本喜八郎の「死者の書」を見てきた。
以前も書いた大伴家持のセリフに「この世を動かすのはあきらめない人間なのかも知れない」といふのがある。
世の中を動かしてゐるのは、好きを好きと正直に云へる人なのかも知れない。
「なのも知れない」ぢやなくて、さうなんだらう。
この世を動かせない、この世を変はられないのに、なにを書くのか。
思ひきつて、書けないことを書いてみるか。
書けるかなぁ。
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