歌舞伎の本を読んでゐたころ
芝居を見に行くやうになつたころは、東京からすこし離れたところに住んでゐた。
ゆゑにさう足繁く通ふわけにもいかなかつた。
最初のうちは友人を誘つてゐたこともあり、さうしよつ中誘ふのも気が引けた。
なんにでも興味を示しなんでもやつてやらうといふ人ではあつたが、こちらの趣味に引きずり回すのはどうだらう、といふ気持ちがあつた。
お互ひ frugal であつたからといふこともある。
それでどうしてゐたのかといふと、仕方がないので芝居に関する本を読んでゐた。
といつて、たいした本を読んでゐたわけではない。
地元や学校の図書館に行つてめぼしい本を借りて読んだり「演劇界」のバックナンバーを見たり江戸時代の役者評判記の類を読めぬなりに眺めてゐたりした。
「演劇界」バックナンバーや役者評判記を読むきつかけは、橋本治だつた。
芝居を見始めて「これは今後も見続けるな」と思つたころ、一番気に入つてゐたのが橋本治による歌舞伎の話だつた。
当時は「広告批評」に芝居の話や役者絵の話などを書いてゐたことがあつたやうに思ふ。
それと、当時発売されたものと記憶する三島由紀夫の「芝居日記」とがその後の芝居見物人生に影響を与へた二大柱だ、と自分では思つてゐる。
「演劇界」のバックナンバーを読むやうになつたのは、橋本治が「昔の劇評には、「誰某のなんといふ役はこれこれかういふしぐさをしてゐたが、それは役の性根とあつてゐない」みたやうなことが書かれてゐる」と書いてゐるのを読んだからだ。
しぐさで役の性根とあふかどうかだなんて、当時のやつがれにはわからなかつた。
いまでもわからない。
当時の「演劇界」その他の劇評には、そんな内容は書かれてゐなかつた。
それで昔の劇評を読み始めてみたのだけれども、これがてんでわからなくてねえ。
そもそも芝居自体を知らないし、見たことのない芝居について書かれてもさつぱりわからない。
結局、写真を見たり役者へのインタヴュー記事を読んだりするばかりだつた。
「演劇界」はたまに「梨園の奥様特集」をすることがあつて、片岡秀太郎と高田美和とが仲よく写つてゐる写真を見た記憶がある。おなじページか向かひのページに坂東彦三郎夫妻の写真が載つてゐた。
そんなことしか覚えてゐないのが我ながら情けない。
役者評判記の方はもつとわからなかつた。
古文を読む素養がなかつたといふのが大きい。
江戸時代のものではあるけれど、いまの文体とはやはり違ふ。
それに、「わかる人にはわかる」書き方をしてゐるのもわからない理由のひとつだ。
いま読んだらもつとわかるのかなあ。
とにかく「おもしろいことおもしろいこと」を求めて読めぬなりに眺めてゐた。
それくらゐ、芝居に飢ゑてゐたといふこともあらう。
結果、なんだか頭でつかちな芝居好きになつてしまつた。
でも考へてみたら、歌舞伎を見たいと思ふやうになつたのはそれよりももつと前だし、学校の音楽室の準備室にあつた歌舞伎のムック本を音楽の教師に頼みこんで貸し出してもらつたりしてゐたことを考へると、もともと頭でつかちではあつたのだ。
このときのムック本で中村歌右衛門と実川延若とを覚えたんだもんね。
ふたりともビジュアルが強烈だつた。
梅幸の「藤娘」を見たいと思つたのもこのころ読んだ本のせゐだし、「切られ与三」のお富は雀右衛門(先代)がいいらしいと知つたのもさうだ。
いづれも実際に見ることが叶つたのは、幸せなことだと思つてゐる。
さうさう、宗十郎と先代の時蔵、先代の錦之助の三人が赤姫のこしらへで一緒に座つてゐる写真なんかもこのとき見たんだよなあ。白黒写真だつたけど、いい写真だつた。なんの役だかさつぱりわからなかつたけどさ。やつがれの小川家推し人生はこのあたりからはじまつたのかもしれないなあ。
二段階で頭でつかち養成ギプスをはめられたやうなものなので、この性質はおそらく今後もなほらないだらう。
とはいへ、だからといつて理屈とか理論とかはさつぱり頭に入つてゐないので、そこらへんでバランスがとれてたりしないかな、と思つてもゐる。
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