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Wednesday, 17 August 2016

昼行灯考

昼行灯とは、昼間つけた行灯のやうにぼんやりとしてゐて役に立たない人のことを嘲つていふことばである。

昼行灯の代表といへばこれはもう大石内蔵助で、忠臣蔵を題材にした物語なんぞを読むと、普段「昼行灯」とバカにされてゐる内蔵助について、「昼行灯は、昼間は役に立たない。でも夜になれば話は別」といふやうなことをいふ人がでてきたりする。
なんとなくあとづけの解釈のやうに感じられる。
いま物語る人は、内蔵助が五十人弱の赤穂浪人たちをとりまとめ、みんごと仇敵・吉良上野介の首級を手にしたことを知つてゐる。
だから、内蔵助が「昼行灯」とバカにされてゐるのを見て「昼(平時)には無能かもしれないが、夜(有事)には有能である」といふやうなことを書いたり登場人物にいはせたりしたくなるのだらう。

昼行灯は夜には使へるやうになる。
似たやうな表現に「夏炉冬扇」とか「秋の竹夫人」といふことばがある。こちらはどこか艶めかしさを覚えることばだ。
「昼行灯」が役に立たない人間をさすことばだとすると、「秋の竹夫人」はともかく「夏炉冬扇」といふのは寵愛を失つた女の人をさすことが多い。
炉は冬になればまた使はれるし、扇は夏になれば涼を与へてくれるやうになる。
だが、行灯とちがつて、炉や扇には適切な季節がめぐつてきたらまた有用になるといふ印象がない。
うち捨てられてそのまま、といふ感じがする。
それは前述のやうにかつては主君の心を独り占めしてゐた寵姫のおちぶれたやうすをさすときに使はれるからかもしれない。
あるいは、行灯といふのは夜になればすぐにでも有用になるけれど、炉や扇は来年になるのを待たなければならず、そのあひだずつと無用のものだからといふこともあるだらう。

ひとたび寵愛を失ふと、二度と得ることはできない、とはよくいはれることである。
かつての寵姫が自分の座を奪つた新しい相手に復讐をはかるといふのはよくある話だ。
その新たな寵姫を殺したとして、もとの寵姫にまた主君の愛が戻つてくるかといふと、さういふことはあまりないのださうな。
ほんたうにさうなのかどうか、確認のしやうがないのが残念だが、たとへば気に入つてゐるペンがあつたとして新たに別のペンを買つたらそちらの方に愛情がうつつてしまつたとしやう。新たなペンが壊れた場合、もともと愛用してゐたペンに愛情が戻るだらうか。
と考へると、戻る気もするし、壊れたのとおなじやうなペンを買つてきてしまふやうな気もする。
いづれにしても、復讐するなら自分の後釜ではなく自分から心をうつしてしまつた主君なのではないかといふ気がするが、これがさうならないのがまた不思議だ。
ホセはカルメンを殺すのにね。

昼行灯とは、また、勤め人をさすことが多いやうにも思ふ。
一条大蔵卿のことを「昼行灯」とはいはぬ気がするからだ。
大蔵卿にだつて、一応は職務があらうし、身分としては天子の部下なんだらうけど、有り体に云つて、働いてゐるといふ感じは皆無だ。
あの状態で働けるとは思へないけどさ。

こんなことを書くのも昨日Twitterで「昼行灯が実は有能な人物のことをさすのは中村主水や後藤隊長の影響だらう」といふやうなつぶやきをみたからだ。
うーん、内蔵助ぢやないのかな。
ま、いいか。
中村さんは昼行灯の名に恥ぢず、昼間はぼんやりしてゐるかもしれないが、夜になると見事に仕事(/仕置/商売/whatever)する。
後藤さんははどうかな。
内蔵助?
討ち入りは夜だつたよね。

もちろんさういふ話ではない。

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