二冊流
枻出版のエイ・ムック「システム手帳STYLE」を買つて、早速やつてみたことがある。
手帳の二冊使ひだ。
システム手帳遣ひの人が何人か紹介されてゐて、なかに「システム手帳を「公の手帳」、Moleskineを「私の手帳」」にしてゐる、といふ人がゐた。
ここのところ書かなくなつてゐるのは、システム手帳だとぱつと開いてぱつと書くのがむづかしいから、とは以前も書いたとほりだ。
机のあるところならいいけれど、ないところだとむづかしい。
そして、机のないところでもメモといふよりは文を連ねたやうなものを書くやつがれには、いつでもどこでもシステム手帳といふのはむづかしいとつねづね感じてゐた。
さうか。手帳をわければいいのか。
これまでも考へなかつたわけではない。
でも、Bullet Journal をはじめてなんでも一冊で済む気楽さに慣れてしまふと、なかなか複数冊使ひに踏み切ることができなかつた。
一冊使ひだと信じてゐるのは自分だけなんだけどね。
文庫サイズの三年手帳に日記をつけてゐるし、万年筆のインキを交換したときに記す手帳もほかに使つてゐる。
どこが一冊使ひなのかね。
でも、手帳に必要なのは予定表とメモとだと思つてゐる。
日記やインキ交換の日などはメモに書いておいてあとでうつしなほしてもいい。
それに、あまり書かなくなつてなにか困つたことがあるか、といはれると特にない。
あるとしたら、万年筆のインキが減らなくなつたことくらゐだ。
万年筆のインキはちやつちやと使ひきるくらゐの方がいいと思つてゐるからね。
そもそも、いままでムダなことを書き散らし過ぎてゐたんぢやないか。
さうも思ふ。
でも、せつかく買つた本で読んだし、薄々感づいてゐたとでもあるし、といふので、手持ちの綴じ手帳を「私の手帳」にしてみた。
MD NOTEBOOK 文庫サイズのコットンだ。
すると、まあ、書くこと書くこと。
ここのところ書いてなかつたから以前のやうには書けないが、それでも「いままでこんなに書かなかつたよね」といふくらゐに書く。
書いてゐて次から次へと書きたいことが出てくる。
なんなんですかね、これは。
なぜシステム手帳ぢやダメなんだらう。
やはりリングの左側のページは書き込みづらいからなんだらうか。
それとも、ペンと紙との相性の問題か。
ペンと紙との相性の問題はあると思つてゐるからリフィル・ジプシーなんだけどね。
うーん、システム手帳でこれくらゐ書けるといいんだけどなあ。
ひとまづMD NOTEBOOKはこのまま使ひ切ることにして、そのあひだにシステム手帳とのつきあひをもうちよつと考へることにしたい。
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