まつたくの無為
やりたいことがない。
定年退職後にすることがなくて困るといふ話を聞く。
自分にはそんなことはないと思つてゐた。
だがどうやらさうでもないらしい。
最近、週末にぽつかり時間があくと、することがないのだ。
いや、することはある。
部屋の片づけとか掃除とかを大々的にするなど、週末にしかできないやうなことはいくらでもある。
さうではなくて、「これがしたい!」といふものがないのだ。
そしてぼんやりしてしまふ。
かういふときお酒が飲めるとそれで時間が埋まつたりはする。
しかし、それでいいのだらうか。
退職後はアルコール依存症まつしぐらといふことにはならないか。
なる。
なるよな。
あみものとかタティングレースとか、したいことはあるのだけれど、さういふときにかぎつてあまりやりたいとは思はない。
そもそも、ほんたうにあみものやタティングレースが好きなのかどうかも怪しい。
編んだり結んだりするのも時間をつぶすための口実なのではあるまいか。
そんな気がするからだ。
録画した番組もたまつてゐるから消化すればいい。
だが、それも見る気にならない。
いはゆる「積ん読」もたまつてゐる。
同様に読む気にはならない。
行きたいところもとくにはない。
まつたくないわけではないけれど、週末突然ぽつかりあいた時間に行けるやうなところではない。
さうして、無為の時間が過ぎてゆく。
無為を為し、無事を事とし、無味を味はふ。
「老子」にあることばだ。
解説を読むと、ここでいふ「無為」とはなにもしないことではないのださうな。
大層なことではなく、些細なことを為すこと、なのださうである。
先に書いた「無為の時間」の「無為」は「なにもしないこと」だ。
どうしてかうなつてしまつたかなあ。
ひとつには、暑くてなにもする気にならない、といふことはある。
暑いからあみものはちよつとしたくならない。
タティングレースも糸に汗がついたりする気がする。
部屋の片づけも暑いからはかどらない。
暑いし日に焼けるから出かけたくない。
録画した番組を見るとか積んである本を読むとかならできさうなものだが、これも暑くてする気にならない。
結局「暑いから」、もつといふと「蒸してゐるから」なにもしたくない、といふところにたどりつく。
でもほんたうにそれが理由なんだらうか。
なんだか非常にまづい状況にゐる気がする。
かうなると、自分がほんたうにやりたいことなんてなかつたんだな、と思ふ。
ほんたうにやりたかつたら暑くてもなんでもやるもの。
つねづね思つてゐたのだが、やつがれはどうも人間としてのテンションが低い。
心の温度、心温といふものがあるとして、それも低い。
ゆゑに沸点も低いんだらうな、といふのはまた別の話だ。
なにかに夢中になるといふことがない。
なにかに集中するといふこともない。
つねになんとなく気分が散漫で、よそごとが気になつてしかたがない。
なにかしたいこととか、あるんだらうか。
あるとして、いまからでも間に合ふんだらうか。
もしかすると、「いまからやつても間に合はない」といふんで無意識のうちに「やりたいことなんてないよ」と防衛線を張つてゐるんぢやあるまいか。
それでゐて、平日は週末を心待ちにしてゐる。
なにかひどく矛盾してゐる気がする。
« 怪談はやめて | Main | システム手帳が向かないのか方眼罫がダメなのか »
Comments