機械的な動きと脳内麻薬
タティングレースのネクタイもちよこつとづつ進んではゐる。
念のため書いておくと、Jan Stawasz の Tatted Treasures に掲載されてゐるネクタイを作つてゐる。
本では白い糸を使つてゐるが、DMC Cebelia #20 の江戸紫と呼びたいやうな色の糸で作つてゐる。
ネクタイの両端に六弁のちいさな花のモチーフを九つつないだ菱形のモチーフを作る。
片方の菱形はできあがつてゐて、現在もう片方の菱形を作つてゐるところだ。
昼休みのあいた時間に作つてゐるだけのわりには進んでゐると思ふ。
タティングレースも、一時はなんだかあまりする気にならなかつた。
もうこのままやらなくなつちやふのかもな、と思つてゐた。
少しづつではあるものの、進むやうになつたのは、おそらく手が機械的に動くやうになつてきたからだ。
あみものもさうだ。
ある程度慣れてくると、手が機械的に動くやうになる。
「機械的に動く」とかいふと、やたらと「ナチュラル志向」とやらの手芸好きの人はいやがる。
彼ら(あるいは「彼女ら」)には、機械で作つたものを毛嫌ひする向きがある。
手で作つたものこそ至高。
まあ、そこは好きずきなのでご勝手にといつたところだ。
しかし、その毛嫌ひしてゐる機械だつて誰かが作つてゐるのである。
もしかするとその機械を作る機械があるのかもしれない。
さらにその機械を作る機械があるのかもしれない。
しかし、もとをたどつていけは、必ず誰か作つた人がゐる。
また実際に手を動かして作つてはゐないかもしれないが、設計した人はゐる。
絶対人間が関はつてゐるのだ。
すくなくともいまの時点では。
機械が設計した機械なんてのもあるのだらうが、その機械を設計する機械だつて……
いや、もうくどいからやめておくか。
いづれにしても、悪いのは機械ではない。
もしなにか悪いことがあるとしたら、それは使ふ人間の側にある。
さういふものだと思ふ。
閑話休題。
あみものやタティングレースは、ある程度慣れてくると手が機械的に動くやうになる。
さうなると速い。
気がつかないうちに何段も編めてゐたり何模様もできてゐたりする。
そして、さういふときは大抵編み目がそろつてゐる。
ほとんど考へずに手が動くので、力の入り具合も自然と均等になるからだ。
いいことづくめのやうだが、もちろん悪い面もある。
機械的に動いてゐるのでうつかり間違へてしまつたりすることがある。
二段一模様のものを編んでゐて、うつかり最初の一段を二回くり返してしまふとか。
ピコとピコとのあひだの目の数を勘違ひするとか。
機械的に手が動くと気持ちがいい。
脳内麻薬のやうなものが出てゐるのだらう。
だからといつて、すこしは手のしてゐることを意識してゐないと、とんでもないことになる。
まあ、楽しければいいんぢやないかとは思ふけれども。
Jaywalker も、ネクタイの六弁の花のモチーフも、どうやら作つてゐるときに機械的に手の動くやうになつてきたやうだ。
Jaywalker は棒針編みで五本の針を使つてゐる。
針を持ち替へるときさへ意識をしないことがある。
なので延々と編める。
六弁の花のモチーフはといふと、すぐ出来てしまふので、脳内麻薬の効きが悪い。
ひとつできあがると、一段落ついてしまふからだ。
菱形のモチーフができあがると、あとはエジングのやうなものをずつと作ることになる。
脳内麻薬の活躍が期待できる。
問題は、意識も残しておかないとね、といつたところか。
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