「時計の時間」を過ごさない
久しぶりに Jaywalker (Rav) を再開した。
すでに片方はしあがつてゐる。
くつ下は夏の暑い時期でも編めるのがいい。
躰にくつつかないからね。
Jaywalker は三足くらゐ編んだので編み方も覚えてゐる。
取りためた録画を消化しつつすこし編んだ。
なぜここ二、三ヶ月手をつけてゐなかつたものを突然編む気になつたのか。
そこがわかれば苦労はしない。
自分でもなぜだかよくわからない。
思ひつくことといへば、昨日、「時計の時間ではない時間」を過ごしたから、だらうか。
先月、吉田健一の「時間」を読んだ。
わからない本だつたが、中に「時計の時間」といふことばが出てくる。
自分の理解したところだと、朝目覚まし時計のアラームに合はせて起きるのが「時計の時間」、明るくなつたから起きるのがさうでない時間、といつたところか。
読んだときに、「ああ、自分は「時計の時間」しか生きてないな」と思つた。
毎朝この時間に起きないと出勤時間に間に合はないから起きて、いま食べないと食べるときがないから朝食を食べ、この時間までに出かけないと電車に間に合はないから家を出る。
どんなに眠たくても職場にゐるあひだは眠れない。
帰つてくれば帰つてきたで、早く食べないと食後三時間は起きてゐないとだし、この時間までには寝ないと明日にさしつかへるから寝る。あるいは眠たいけれども食後三時間たつてないから眠れない。
そんな日々を送つてゐる。
休みの日もそれほど変はらない。
出かける予定があれば「時計の時間」に縛られたままだ。
とくにここのところ歌舞伎座に行くにも昼夜通しで見ないやうにしてゐた。
結果、昼の部も夜の部も見やうと思つたらこれまで一日ですんでゐたものが二日かかるやうになつた。
たとへば土曜日に歌舞伎に行くとして、日曜日は「時計の時間」から逃れられるかといふと、そんなことはない。
日曜日は翌日のことを考へるとちやんとした時間に寝なければならない。
そこから逆算していろいろなことをすませなければならない。
ここのところ数ヶ月、ずつとそんな感じだつた。
そこで、昨日はできるだけ時計は見ないやうにして過ごしてみた。
朝は明るくなつたから起きる。
おなかが空いたから朝ご飯を食べる。
眠たくなつたから寝る。
以前はさうするとつひダラダラとしてしまひがちだつた。
朝はいつまでも布団に入つてゐたり。
食事もめんどくさいからなかなか用意をしなかつたり。
眠たくても愚図愚図といつまでも起きてゐたり。
「時計の時間」を過ごさないと、ダラケてしまひがちなのは確かだ。
多分、意識的に「「時計の時間」ぢやない時間を過ごさう」と思ふのがいいんぢやないかな。
そんなわけで、なんかうまいことリセットされたらしい。
たまにはかういふ時間が必要なのねえ。
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