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Wednesday, 20 July 2016

夢見る王子の国崩し

突然「誰も寝てはならぬ」を聞きたくなつた。
生まれてはじめて聞いたのは、といふよりは「これが「誰も寝てはならぬ」である」とはじめて意識して聞いたのは、マリオ・デル・モナコの「誰も寝てはならぬ」だつた。
いはゆる「クラシック名曲集」のやうなCDに入つてゐた。
これがまあすばらしくてね。
とくに「quando la luce splendera」の最後の「ra」の夢見るやうな感じといつたら。

高校の音楽で、「カンツォーネといふのは夢見るような瞳で歌ふものだ」といつて、先生がSP版のレコードのジャケットを見せてくれたことがある。
カルーソーやデル・モナコの似顔絵といふか肖像画のジャケットだ。
「夢見るやうな目をしてゐるでせう」と先生は云つた。
そのとほりだつた。

そのときの記憶があるから、「Ne sun dorma」も夢見るやうな歌ひ方に聞こえたのかもしれない。
王子さまだよなあ。
王子さまは少女の夢見るものだ。
少女の夢見る王子さまの瞳はやはり夢見るやうな風情だらう。

その後、「誰も寝てはならぬ」といつたらパバロッティといふ印象が強い。
パバロッティは好きだし「誰も寝てはならぬ」も悪かないけど、あまり王子さまといふ風情はない。
そこだけが残念だ。

王子さまは夢見夢見られるもの、といふのはしかし、本邦では事情が異なつてくる。

といふ話は、橋本治の「かぶきのようわからん」に出てきた話だと記憶する。

日本で、といふよりは歌舞伎で王子といつたらかつらのことで、王子のかつらといつたらそれは国崩しの大悪人といふことになつてゐる。
橋本治の文章は絵に添へられたものだつた。絵は八代目の坂東三津五郎の蘇我入鹿だつたらうか。とにかく大和屋が王子のかつらの国崩しの大悪人を演じたときの絵だつた。
白い顔に青黛の、不気味な雰囲気を醸し出すのが国崩しの大悪人と相場は決まつてゐる。
大概は貴族とか大名だ。
そして、日本のインテリは、大抵悪人だ、と橋本治は書いてゐる。
インテリは正義の味方にはなれない。
桃太郎を見てもさう。浦島太郎、金太郎にしても然り。
あるいは鎌倉権五郎でもいい。
荒事の主役にインテリ臭がするだらうか。
しない。
しないね。
「かぶきのようわからん」には山形勲や山村聰の名前をあげて、「インテリは悪役を演じる」とも書いてゐる。

さうだよなー。
自分の中では松平伊豆守といつたら長いこと山形勲のイメージだつた。
いまでもさうかもしれない。
ちよつとほかの人は入つて来られない。

さう思つてゐたのだが、ひとりだけ、忘れられない松平伊豆守がゐる。
中村吉右衛門が国立劇場で「佐倉義民伝」をかけたときの澤村宗十郎の知恵伊豆だ。
藩主の横暴に耐へかねた宗吾は、決死の思ひで将軍へ直訴しやうとする。
このとき、松平伊豆守がうまいことはからつてくれる。
舞台には左右奥に屋台があつて、中央に渡り廊下がある。
渡り廊下の柱やその手前の茂みなどに身を隠しつつ、播磨屋演じる宗吾はなんとかして将軍に直訴状を渡さんとする。
結局宗吾は直訴したことで死罪になるのだが、この場では松平伊豆守が直訴状を受け取り、将軍に見せることを匂はせて終はる。
このとき、松平伊豆守が渡り廊下のあたりでちよつと思ひ入れをする場面があつて、これがなんともいい風情だつた。
後にほかの人で見たときはこの思ひ入れをやつてゐなかつたので、紀伊国屋用に入れた場面だつたのかもしれない。
インテリで、かついい人。
あるぢやん。日本にも。いやさ、歌舞伎にも。
まあ、正義の味方ぢやないけども。
なんといつても知恵伊豆だし。

と、思つたら、宗十郎はさういふ「インテリで、かついい人だけど、正義の味方ではない」やうな役がいい役者だつたな、といふことに思ひ至る。
「俊寛」の丹左衛門もさうだ。

平家打倒を謀つた罪で鬼界が島に流された俊寛・丹波少将・平康頼の三人のもとに御赦免船がやつてくる。
船から下りてきた役人・妹尾は少将と康頼とは帰参してよいと云ふが、俊寛は許されてゐないと告げる。
絶望に転げ回る俊寛に、船の中から声をかけて降りてくるのが丹左衛門だ。
丹左衛門は、平重盛の配下のもので、重盛から俊寛も許すといふ書面をあづかつてきてゐる。
さう告げられて本当のことかと問ふ俊寛に、「如何にも」と丹左衛門は答へる。
このとき俊寛は床に手をついて上手にゐる丹左衛門を見上げ、丹左衛門は書面を両手に立つてゐて下手にゐる俊寛を見下ろしてゐる。
すなはちふたりとも客席には横顔を向けてゐる。
紀伊国屋の丹左衛門は「如何にも」と云ふときに、わづかに客席に顔を向け、につこと笑ふんだよなあ。
この笑顔のさはやかなことといつたら。
丹左衛門、いい人ぢや~ん。
見たところインテリつぽいし。

しかしまあ、丹左衛門にもいろいろあつて、これを中村梅玉が演じると「小松殿のもとにゐるからいい人だけど、清盛とかの下にゐたらどうだかわかんないよね」といふ感じがする。妹尾とおなじで単に上司の云ふことにしたがつてゐるだけ、といふかね。

つまり、いい人でもインテリの場合は一筋縄ではいかない、といふことだ。
本邦においては、ね。
キャプテン・フューチャーみたやうなヒーローは存在しない。
それに、松平伊豆守にしても丹左衛門にしても、主役にはなれない。「伽羅先代萩」の細川勝元も仲間かな。
「勧進帳」に出てくる富樫左衛門を主役にした芝居があるけれど、あれは弁慶と富樫との対決が肉弾戦だつたころできた芝居なんぢやあるまいか。
いまの富樫はインテリだよねー。弁慶もか。

そんなわけで、時代はだんだん変はつてきてゐるのかもしれない。
そのうちものすごーくインテリだけど主役、なんてな歌舞伎ができることもあるのかもな。

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