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Thursday, 14 July 2016

名前を連打したいだけ

昨日のやうなエントリを書くと、岸田森の熱烈なファンであると勘違ひされるのではないかと思つてしまふ。

勘違ひされても困ることはないんだけどね。
困るとしたら、「いやー、実はわたしも岸田森のことが好きでたまらないんですよ」とニコニコと近づいてくる人がゐたらどうしやう、といふくらゐで。
それもあまり心配はないかもしれない。
これまで生きてきて、岸田森の熱烈なファンと公言する人に会つたことがないし。

困る、といふ感情のもとには、実はこどものころは岸田森が苦手だつたから、といふのもある。
だつて怖かつたんだもん。
ホラー、ダメなんだよ(>_<)。
なんか怖いでせう、岸田森。
たまたま怖い役を演じてゐるところを見てしまつただけなのかもしれないが。
全然記憶はなけねども。

岸田森、そんなに怖くないぢやん、と思ふやうになつたのは、嵐山長官……といひたいところだが、嵐山長官については岸田森と思つて見てゐなかつたといふこともあつて、勘定には入らない。

岸田森、悪くないぢやん、と思ふやうになつたのは、五六年前のことだ。
当時「傷だらけの天使」の再放送をやつてゐた。
昔のドラマだから画質も音質もいまひとつだ。
萩原健一も水谷豊も、ほとんどなにを云つてゐるのかわからないことがあつた。主役であるにも関はらず、だ。
だが、岸田森と岸田今日子とだけは、いつでもせりふをはつきり聞き取ることができた。
どちらも、別段大きな声をしてゐるわけではない。
とくに岸田今日子はどちらかといへばぼそぼそとしやべるやうに思ふ。
なのにちやんと聞こえるんだよなあ。
舞台出身つてかういふものなのか知らん。
おそるべし、岸田一族。
そんなことをぼんやりと考へながら見るともなしに「傷だらけの天使」を見てゐた。

せりふがわかる、なにを云つてゐるのか聞き取れる、といふのは重要なことだ。
いまの歌舞伎座のこけら落としの初日に「熊谷陣屋」を見てものすごくショックだつたもの。
吉右衛門の熊谷直実も仁左衛門の源義経も、なにを云つてゐるのかほとんど聞き取れなかつたのだ。
ちなみにこのときは三階A席のほぼ中央付近に座つてゐた。
玉三郎の相模と菊之助の藤の方のせりふだけはよく聞き取れて、まるでこの二人で芝居をまはしてゐるやうに見えた。
このときの相模を「全然義太夫狂言でない」と酷評する人が多い。
でも見たときは熊谷にしても義経にしても、なんとその存在感の薄いことよ、とその方が気になつた。
せりふがよく聞こえないといふ、ただそれだけの理由で、だ。

「傷だらけの天使」のあと岸田森を追ひかけてゐたかといふと、まつたくそんなことはない。
「座頭市物語」で見かけるまで見てなかつたかも、くらゐの勢ひだ。
だいたい、早すぎたよね。
なにもかもさ。

「好きだ」といふからには、それなりに追ひかけるものだと思ふんだよね。
さうしやうといふ意思はやつがれにはない。
出演作が放映されれば見るかも、くらゐの感じだ。
これをして「好き」とは云はないだらう。
さう思つてゐる。

あー、でも嵐山長官は見たいかな。
岸田森であることを意識して見直したら、なにか新たな発見があるかもしれない。
ないかもしれないけど。

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