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Friday, 22 July 2016

「四谷怪談」のこと

先月、シアターコクーンで「四谷怪談」を見た。
「東海道」を削るよりは「怪談」を削つた方がよかつたのではあるまいかといつた舞台だつた。
でも、お岩様の描きかたには一理あつたやうに思ふ。

お岩様の悲劇とはなにか。
それは、お岩様の身にふりかかる不幸の原因はお岩様自身にあること、そして、それをお岩様は知らないことだ。
お岩様が可哀想なのは、このためである。

伊右衛門と伊藤家の人々とにだまされてゐるとも知らずに感謝したりして、それが可哀想といふのは枝葉末節だ。
だまされるその理由はお岩様にある。
それを知らずにだまされたと憤りこの世にまようてしまふ、その姿こそあはれなのだ。

そのあはれさを伝へられないのなら、「可哀想」は捨ててしまひ恐ろしさを全面に出す方がいつそ潔い。
芝居の「豊志賀の死」はその伝だ。

「豊志賀の死」は、その場を見ただけではなぜ豊志賀があんな目に合はなければならないのかわからない。
もともと知つてゐるかイヤホンガイドを借りるかしないとわからないだらう。
ゆゑに豊志賀が可哀想である、といふ描きかたはあまりしない。
怖さの中の笑ひと、怖さとで押してくる。

「色彩間刈豆」では、途中でかさねがなぜひどい目に合はねばならないのかが明かされる。
「東海道四谷怪談」は、大抵発端の場が出るので、理由はわかる。
わかるけれども、「これが理由ですよ」とは教へてはくれない。
なぜ教へてくれないのかといふと、それは「あたりまへ」だからだ。
すくなくとも、はじめて上演されたころはあたりまへだつた。
だから「これが理由ですよ」とは提示してくれない。
「だつて歌舞伎を見る人ならわかるでせう」といつたところなのかもしれない。

シアターコクーンの「四谷怪談」では、上演時間の関係もあつたらうが、お岩様の思ひ入れ部分を削つてゐた。
お岩様のほんたうに可哀想な理由を伝へられない伝はらないと割りきるのなら、ああいふ演出もありだらう。
ただ恐ろしさはもうちよつと出さないと「怪談」にならないとは思つたけど。
「怪談」は小平で表現したつもりだつたのかな。

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