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Wednesday, 13 July 2016

近頃手帳に書くことは

先日最終回を迎へてしまつたが、「座頭市物語」の再放送を見てゐた。
念のためことはつておくとTV版である。
「座頭市物語」は、Wikipediaなどによると1974年から1975年にかけて放映されてゐたドラマとのことだ。
毎回わりとゲストが豪華で、初回と最終回とは三隅研次が、ところどころ勝新太郎自身が監督をしてゐたりもする。

四十年も前はTVドラマはかうだつたのかなあ、などと思ひながら見てゐた。
おそらく、当時はみんなTVの前でドラマを見てゐたことだらう。
いまのやうにしよつ中ザッピングをしたり、片手間に見るやうなことはなかつたのに違ひない。
あ、お母さんは夕食の準備やあと片づけをしながら見てゐた可能性もあるかな。放映時間にもよるけれど。

なにが違ふといつて、圧倒的な音の少なさだ。
せりふもBGMもまつたくない場面がしばーらく続いたりする。
あるいは、せりふはなくBGMだけ、などといふ場面もある。
これつて、画面を見てないとわからないよね。
片手間に見てゐてはわからない。

辰巳柳太郎が国定忠治を演じた回がある。
忠治はすでに老いてゐて、ものの見方がかたよつてかたくなになつてゐる。
その忠治が最後、山を下りる。
追はれる。
その間、せりふはまるでない。
最後、はりつけになつた忠治のもとを座頭市が過ぎる。
やや斜め上のアングルから撮つたほぼモノクロの映像が流れる。
おしまひ。
そんな感じ。

はたまた、浅丘ルリ子がはなれ瞽女を演じた回がある。
瞽女とその相手の男(松平健(新人))とが、寂寥として広大な砂浜に倒れてゐるのを遠景で映してゐる。
瞽女と息子とを別れさせやうとした男の父、男の妻、瞽女の連れの女、座頭市が、はなれた場所からふたりの姿を認める。
せりふはない。
ただあいや節が流れるのみ。
波だけが返しては寄せ寄せては返すばかり。
やがて、瞽女の連れがよろめくやうにふたりの遺骸に近づいてゆく。
おしまひ。
そんな感じ。

といふことを、最近つらつらと手帳に書き記してゐる。
中でも楽しかつたのは、岸田森だ。

いや、わかつてゐる。
その話のメインゲストは大谷直子だ。
また、座頭市が自分と間違はれて殺された女の人の赤子を助ける話でもある。
その女の人を殺すのが岸田森とその仲間たちではあるのだが。

岸田森演じる和平次は文殊組のものだ。
文殊組は座頭市に全滅させられた組である。
和平次は恨みを晴らすために仲間を集めて座頭市のあとを追つてゐる。

まづは、三度笠に顔をかくし道中合羽を纏つた男が六人、すこし遠景から登場する。
番組冒頭、そのうち二人が座頭市に殺される。
座頭市が駕籠に乗つたのを確認した和平次と残りの男たちは隠れながら駕籠のあとを追ふ。
たまたま和平次たちの目の届かないところで、座頭市は赤子をつれて難儀をしてゐる若い母親と出会ひ、駕籠をゆづる。
それと知らない和平次たちは、駕籠の外から刃を突き刺す。
若い母親は死に、赤子だけが残される。
座頭市はなぜ母親が殺されたかに気づき、その子を拾つて父親(中山仁)のもとに届けやうとする。

まづ見どころは、座頭市と赤子とのふれあひだ。
慣れぬ手つきで赤ちやんの面倒を見る座頭市といふのがいい。

次に、座頭市はお香といふ掏摸の女と出会ふ。これが大谷直子だ。
最初はすれたやうすを見せるお香だが、次第に座頭市と赤ん坊とにほだされてゆく。
このすれた女掏摸が段々と赤ん坊と座頭市とに情をうつしてゆくといふのがもうひとつの見どころだ。

でも、まあ、そんなことはどうでもいいくらゐ岸田森がいい。
番組冒頭では遠景から、座頭市と争ふところでさへちよつと引いたところから映されてゐた和平次が、話が進むにつれて段々とクロースアップされてゆく。
仲間は座頭市に殺され、あるいは造反するものはみづからが手を下し、やがて和平次はひとりになる。
ひとりになつた和平次は中山仁演じる宇之助に助太刀を頼む。宇之助は住まひするあたりではいい顔の若い親分といつた役どころだ。
このときやつと和平次の声が妙であることが判明する。
その前からせりふはあるのだけれども、かすれた声はさういふものなのだと思つてゐた。
宇之助のせりふから、和平次はかつてはそんなかすれた声の持ち主ではなかつたことがわかる。

最後、宇之助とその手下たちと和平次とは、座頭市を山道に襲ふ。
ここで和平次は笠と合羽とを脱ぎ捨てる。
胸には横に一文字の疵跡。
座頭市に斬られながらも生き延びて、その疵のせゐで声もかすれてしまふのだつた。
ここの和平次の、禍々しくも死神の如き姿が忘れられない。
笠と合羽とを投げ捨てたときの姿の大きさ立派さよ。
岸田森自身はそれほど大きい人ではなかつたと思ふのだが、周囲の渡世人たちがかすむくらゐ大きく見えた。

といつた感じで、岸田森の和平次が如何に禍々しく不気味で気味が悪かつたかといふことを延々と書きつづつた。
書いてゐるときの楽しかつたこと。
いま読み返しても、書いてゐたときの groove 感が蘇る。

ちかごろ手帳に書くのはかういふ時代劇を見て「これ、いい!」と思つたことが多い。
最初のうちは、書かなくてもきつと誰かがWebで記録を残してゐるよ、と思つてゐたのだが、さうでもないといふことが最近わかつた。
それで折に触れ書き留めるやうにしてゐる。

をかしーなー。
「あなたがおもしろいと思つたことをおもしろいと思ふ人が必ずゐる」といふのがWebの世界といふかblogの世界だと聞いてゐたのに。
むー。

ま、いいか。
楽しいんだし。

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