飯田市川本喜八郎人形美術館 人形アニメーション 2016/06
6/4(土)に展示替へのあつた飯田市川本喜八郎人形美術館について書く。
今回は人形アニメーションのケースについて。
人形アニメーションからは、「李白」「花折り」「鬼」「道成寺」「不射の射」「火宅」の人形が展示されてゐる。作品ごとにケースがわかれてゐる。
「李白」のケースと「花折り」のケースは、「臥龍出蘆」のケースの向かひにある。
その後ろの壁沿ひに置くから「鬼」「道成寺」「不射の射」のケースがそれぞれあつて、出口のそばに「火宅」のケースがある。
「李白」は、アブソルートウォッカのCM用と云はれてゐる。
おそらくは川本喜八郎の構想してゐたシルクロードものの一環でもあつたらう。
李白は、人形アニメーションの人形の中では長身で大柄のやうに思ふ。
杯を手に、もうだいぶきこしめしてゐるのだらう、風の中に立つてゐる、といつたやうすだ。相当に酔つてゐるやうに見受けられるが、杯だけはきちんと天を向いてゐて、中身がこぼれるやうなことはない。
立派な酒飲みである。
李白の視線の先には月がある。と、これは勝手にさう思つてゐる。
前回のエントリで「孟公威・崔州平・石広元の三人が飲んでゐるところを見ると、自分も無性に一杯やりたくなる」と書いた。
李白もさうなんだよなあ。
そして、孟公威・崔州平・石広元の三人と李白とは展示時期が重なるやうだ。前回も一緒だつたやうに思ふ。
たまたまなのかもしれないけれども。
今回は飯田の地酒といふことで喜久水を飲んだ。すると、「おなじ酒造のお酒」といふことで、聖岳といふお酒を試飲させてくれた。
いいな、聖岳。
覚えておかう。
「花折り」は、アニメーション作品そのものを思はせるやうな生き生きとした展示になつてゐる。
坊主が踊るやうなポーズで左の方にゐて、右の方には太郎冠者が大名になにごとかささやきかけてゐるやうだ。
坊主がちよつと手前にゐるのかな。ケース事態はそれほど大きいものではないのだが、人形が小さいので展示に奥行きが生まれるのがおもしろい。
それに、可愛いんだよねえ、「花折り」の人形は。
見てゐると自然とにこにこしてしまふ。
これは毎回思ふことなのだが、大名にしても太郎冠者にしてもよくぞこのサイズでこの柄の生地を見つけてきたな、といふことだ。
狂言の登場人物が身につけてゐるものを思はせるやうな柄なんだよね。
大名はこの柄は着ないかな、と思はないでもないけれど、狂言らしい雰囲気は出てゐる。
「鬼」は、奥行きのほかに上下もある展示になつてゐる。
山中をゆく心なのだらう。
兄は左側ちよつと上のちよつと奥にゐて、右側ちよつと下ちよつと手前にゐる弟をふり返つているといつたやうすだ。これまた見てゐるとアニメーション作品そのものを思ひおこす。
前回「鬼」の展示があつたときも、高低差はあつた。今回の方がよりドラマティックな感じがする。
「道成寺」は、女が小袖を引きずつてゐるところ。悔しさうな表情で前方高いところを見上げてゐる。
経年により、あまり可動域が広くない、といふ話は美術館の方からうかがつた。
この展示がいまの女にできる最大限の動きなのだらう。
「道成寺」にはほとんどことばが出てこない。
ときおり場面場面の名称が出てくるくらゐだ。
「鬼」のやうに最後に説明文など出てこないし、「火宅」のやうにナレーションがあるわけでもない。
それでゐて、やつがれは「道成寺」の女に一番生きてゐるといふ印象を受ける。
息づかひ、かな。
「鬼」「道成寺」「火宅」の三作の中で、人形の息づかひを一番感じるのが「道成寺」だ。
そのせゐかと思ふ。
「不射の射」は、大きい画面では見たことがない。
人形は、他の人形アニメーションの人形と比べて小さい気がする。
その分、中身がしつかりつまつてゐる感じがする。手のひらに乗せたらずしりと重たさうな感じがするのだ。
左から甘蠅、紀昌、飛衛の順に並んでゐる。
甘蠅はやや奥の方にゐて、片手をあげて踊るやうな格好で立つてゐる。着物の裾は風に舞ひ、その表情は楽しさうだ。
紀昌は前方に立つてゐる。力がみなぎつてゐるかのやうな凛々しい立ち姿だ。どことなく趙雲を思はせるやうな顔をしてゐる。このやうすだと、まだ弓の名人として名を馳せる前なのだらう。
飛衛はやや後方に立つてゐる。その表情は食へない親爺といつたやうすだ。この飛衛を見ると、甘蠅のもとで修行しろといふ忠告は、真に受けるべきではなかつたのではないかといふ気もしてくる。
「不射の射」の原作は中島敦の「名人伝」だ。
「名人伝」つてさー、笑ひ話だよね?
中島敦作品の中では「文字禍」とならぶ笑ひ話だと思つてゐる。
紀昌が弓の名人だらうがさうでなからうが、そんなことはどうでもいいぢやん。
おもしろいんだからさ。
「火宅」は、左から小竹田男、菟名日処女、血沼丈夫の順に並んでゐる。
今回も三人のあひだにおなじところにゐるといふ感覚はない。
前回の「火宅」の展示では、菟名日処女がおそらくは煉獄にゐて、両端にゐる小竹田男と血沼丈夫とはそれぞれ腕に梅の枝を抱いて菟名日処女のことを思つてゐる、といふやうなイメージだつたのださう。
今回はなんだつたんだらう。
「火宅」は作品字体に苦手意識のあるせゐか、いつもケースの前で考へこんでしまふ。
菟名日処女が地獄に落ちるのは、みづから選択をしないせゐだと思つてゐた。
さうやつて自分を納得させてゐたのだつた。
でもどうやらそれは違ふのらしい。
なんでも生前鳥や獣を殺害したものが落ちる不喜処地獄といふものがあつて、そこは一日中炎が燃えてゐて鳥のくちばしでつつかれて食はれる地獄なのだといふ。
Twitterで教へてもらつた。
菟名日処女の落ちた地獄はまさにこの不喜処地獄そのままのやうに思ふ。
でもなー、「求塚」ならともかく、「火宅」の菟名日処女が落ちねばならぬ地獄だらうか。
たしか「求塚」では菟名日処女が小竹田男と血沼丈夫とに「鴛鴦を矢で射ることのできたかたと一緒になります」と持ちかけるのだつたと思ふ。
でも「火宅」は違ふ。
「火宅」では小竹田男と血沼丈夫とが「鴛鴦を射ることができたものが菟名日処女を手に入れる」といふことで合意したものと思はれる。
そこに菟名日処女は出てこない。
単に出てこないだけで「火宅」でも持ちかけたのは菟名日処女なのかもしれないけれど。
でも、だとしたら、菟名日処女が不喜処地獄に落ちるのは至極当然のことで、まつたく不条理でもなんでもない。
やはり、「火宅」の菟名日処女は鴛鴦の件については関はつてゐないのだらう。
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