葛藤ふたたび
編めてません。
以上。
といふ感じで、「もうこのまま編まなくなつてしまふのではないか」といふ気持ちが「このまま編まなくなつてしまふのだらう」といふ気持ちに変はりつつある今日この頃である。
編まなくなつて困ることはなにもない。
いままで編むことに使つてきた時間があく。
その分睡眠時間に回せる。
毛糸や書籍をおいてゐた場所があく。
なんだ、いいことだらけぢやあないか。
さう思ひつつ、毛糸も書籍も捨てられない。
この先、またあみものをしたいと思はないとも限らないからだ。
そのときに一からそろへるのはむづかしい。
なにしろ物価はあがつてゐるのに収入はあがらない。むしろ下がる一途なのではないかといふ気がするくらゐだ。
単にかたづけをするのが好きではないから、つひさうやつていひわけに走つてしまふ。
よくないなー。
おそらく、手持ちの毛糸やあみもの書籍はすべてサンクコストだ。
書籍はさうでもないかな。
でも毛糸はサンクコストだ。
なぜといつて、編みたいものができたときに必ずしも手持ちの糸を使ふとはかぎらない。
むしろ、なにかを編みたいと思つたときには新たに毛糸を買ひ足す方が多い。
といふことは、後生大事にしまつてある毛糸のほとんどは、もう捨ててもいいのぢやあないか。
すくなくとも、三年以上使はずにそのままになつてゐる毛糸は捨ててもいいのでは。
さうやつて、ひとつ(あるいはひとかたまり)毛糸を捨ててみたら、案外次から次へと捨てられるのではないだらうか。
そんな気もする。
まづ第一歩を踏み出すのがむづかしいのだ。
一歩踏み出してみたら、次からはかんたんにできるやうになるのぢやあるまいか。
未使用の毛糸を捨てるのもなんなので、寄付できるところがあればそちらに送るのも手だ。
捨てるよりは心も痛むまい。
そして、あみものをする気持ちになつたらそのときに買へばいい。
理性ではわかつてゐる。
でも実際に行動に移すのは理性ではないのだつた。
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こんにちは
あてもなく、トホホな日々を送る編旅人です
和漢蘭人(ごめんなさい、なんとお読みすればよろしいでしょうか?)さまにならって、考えてみました
ギプス固定、やっと折り返し地点を過ぎ、先が見えてきてやれやれ、です
編まないでいる日々は、これまでの人生とは別世界にいるようです
糸、書籍の在庫、言い換えれば、財庫? 罪庫? についての悩みをそのまま代弁して下さり、納得、まさに同じ状況です
この先、おそらく出番のない材料は処分して、広々とした空間を想像したり、自由で、ゆっくりとした時間、考えたことがあります
それなのに、なぜ、執着するのか?
すでに、解明不可能な領域に生きているのでしょうね
何か(都合の)いい病名を考えてみませんか
目の前のタティングの編み図、糸、脳は今日も編み続けています
Posted by: ちる | Friday, 24 June 2016 17:10