システム手帳使ひの陥穽
あひかはらずシステム手帳を使つてゐる。
先日、衝撃のできごとが発生した。
ノート用リフィルには、LIFE の NOBLE REFIL の方眼罫を使つてゐる、と、これも以前書いたとほりだ。
バイブルサイズの HIRATAINDER には30枚ほどはさんでゐた。
はさんだ分を全部使つてしまつたので、リフィルを入れ替へやうとしたときのことだ。
やつがれの心持ちとしては、ノートを使ひきつたので新たなノートを使ひはじめる、といつた感じだつた。
だが、実際にしたことはまつたく違つた。
すでに開いてゐるリフィルの袋を開けて、中に入つてゐる未使用のリフィルを取り出し、バインダにはさむ。
したことといへばそれだけだ。
なんか、かう、新たなノートを使ふといふ、心浮き立つやうな気持ちとは、まつたく無縁なのだつた。
ことここに至つて気がつく。
システム手帳を使ふといふのは、かういふことである、といふことに。
かういふこと、といふのは、「ノートを使ひ終はつたー」と思つても新たなノートを使ふといふ高揚感を味はふことはできない、といふことだ。
がーん。
さうかー。
無論、リフィルを全部使ひきつたあかつきには、新たなリフィルの封を切ることになるわけで、そのときには「新たなリフィルだー」といふ喜びを得られるんぢやないかな、といふ気もしないではない。
でもそれは、まだまだ先の話だ。
悩むなー。
あらためて MOLESKINE のポケットサイズや Smythson の Panama は絶妙なページ数なんだな、といふことに気がつく。
使つてゐて親しみを覚えるくらゐのページ数であつて、しかも飽きる前に使ひ終はる。
そして、新たな手帳を使ひはじめるときの嬉しさがやつてくる。
たまたまやつがれの使用状況的にさうなるのかもしれない。
でもそれつて、個人的には最高ぢやあるまいか。
とはいへ、いまの手帳の使ひ方では貯金通帳サイズの手帳ではチト足りない。
最低でもバイブルサイズなんだよなあ。
それに、システム手帳はシステム手帳でいいところもあるし、それになにより、HIRATAINDER はいいバインダだし、スライド手帳はもうちよつと使ひ込んでみたい。
いづれにしてももうしばらくはシステム手帳を使つていくつもりである。
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