お久しぶりね
平日の夕飯は「鬼平犯科帳」第四シーズンを見ながら摂つてゐる。
リアルタイムのときもさうだつた。
夜七時から「ドラゴンボールZ」を見て、そのあと三十分間はあれこれ用事を済ませて、それから「鬼平犯科帳」を見てゐた。
はづかしながら、中村吉右衛門演じるところの長谷川平蔵が見たくて見てゐる。
そのはずで、それはそのとほりなのだが、見続けてゐるとまたちよつと違つた感覚を覚えるやうになる。
火付盗賊改の面々や密偵の面々が、ひどく慕はしい存在のやうに感じられることに気づいたのはいつだつたらう。
いつだつたらうつて、最近見始めたのだからそんなに前のことではない。
先週とか十日前とか、そんな感じだ。
火付盗賊改の同心その他が全員登場する回といふのはほとんどない。密偵もまた同様だ。
密偵が全員揃ふ回つて、第三シーズンの最終回とかかなあ。
さうなつてくると、数回ほど顔を見なかつた密偵や同心が出てくると「あら久しぶり」「元気にしてたかい」「見廻りだつたのかい」などと、心の中で声をかけてゐることに気づく。
昨日はここのところ二回ほどお見限りだつた相模の彦十が出てきて、「をぢさん、どこにござつたえ」などと思つてゐた。
この回では彦十の活躍といふのはなかつたけれど、愛嬌のある表情がなんともいへなくてなあ。
野田昌弘が、かつてこんなことを云つてゐた。
「登場人物が仲間のやうに感じられるスペースオペラはすばらしい」とか。
野田昌弘によると、すぐれたスペースオペラには読者に「お友達になりたい」といふ思ひを抱かせるやうな登場人物たちがゐる、といふのだ。
さう云ひながら、野田昌弘がさういふ登場人物の造形に役立つ作品としてあげてゐたのが柴田錬三郎の「我ら九人の戦鬼」だつた。
「我ら九人の戦鬼」に登場する人物にはお世辞にもお近づきになりたいと思へるやうなものはひとりもゐない。
ゐないけれども、あれやこれやの事件難題が登場人物にふりかかると気になつて仕方がない。
この人、これからどうなつちやふんだらう。
関係ない相手のはずなのに、どうしても引きずられてしまふ。
そんな力が「我ら九人の戦鬼」にはある。
まあ、やつがれは柴錬チルドレンなのでさう思ふといふのもあるけれど、野田昌弘も書いてゐることだし、さう間違つてはゐないだらう。
さういふ、「あの人、最近出てこないけどどうしてゐるのか知らん」「毎回よく出てくるね。お疲れさま」みたやうな感覚、あたかも自分も当事者であるかのやうな感覚を「鬼平犯科帳」を見てゐると覚えるのだつた。
残念ながら「座頭市物語(TV版)」にはこの感覚はない。
座頭市には仲間がゐないからね。
座頭市に対して「市つあん、今日はどこでどうしてござらうぞ」とはあまり思はない。
座頭市は、こちらがあれこれ思ひ悩まなくても生きていけるタイプだからなー。
「座頭市物語」には「座頭市物語」の楽しみがある。それはまた別の話だ。
これまで見てきた時代劇の中で一番さういふ「仲間意識」といふか、こつちも当事者みたやうな気分になつたのつてなんだらう。
「新必殺仕置人」とかかなー。
ちよつと記憶をさかのぼるのもおもしろさうだ。
ところでここ数回、酒井の姿を見てゐない。
どこでなにしてゐるのやら。
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