飯田市川本喜八郎人形美術館 江東と荊州 2016
6/4(土)に展示替へのあつた飯田市川本喜八郎人形美術館について書く。
今回は「江東と荊州」のケースのについて。
「江東と荊州」のケースはメインケースの奥にある。
ケースの左半分が江東、右半分が荊州になつてゐる。
ケースの左側には左から後列高いところに孫権、孫堅、孫策、前列低いところに甘寧、太史慈、程普がゐる。
ケースの右側には左から後列高いところに蔡夫人、劉琮、劉表、前列低いところに蔡瑁、劉琦がゐる。
江東の、孫権・孫堅・孫策が揃つて並んでゐるのを見るのははじめてだと思ふ。
おそらく新宿高野のギャラリーのときも三人並んではゐなかつたんぢやないかなあ。記憶にないけど。
「三人一緒にゐる!」といふだけで感動するが、並べて見ると並べないわけもわかる。
どう見ても孫権よりも孫策の方が若いからだ。
登場するときの年齢がさうなのだから仕方がないし、孫権は玄徳や曹操と覇を争ふ人なのでそれなりに貫禄がないと不釣り合ひになる。
そんな細かいことは考へずに、すなほに「三人一緒にゐる!」とじーんとしたい。
椅子に座つた孫堅をはさんで、左に孫権が、右に孫策が立つてゐる。
孫権は、やや上体を孫堅の方に倒すやうにして立つてゐる。どうやらこの場でなにやら話をしてゐるのは孫権なのらしい。
孫堅はやや左側を向いてゐる。孫権の云ふことに耳を傾けてゐるといつたやうすだ。
孫策は孫権の方を向いてきりつとしたやうすで直立してゐる。
こんなことが実際にあつたのかなあ。
人形劇では出てこなかつたし、あつたとしても孫権はもつと幼かつたらうとは思ふのだが、「かくこそありしか」といふ様は見てゐてとてもおもしろい。
孫策といへば、飯田でも渋谷でもギャラリーノートに「孫策を是非見たい」と書いてゐる人がゐた。
#渋谷のギャラリーノートは今はなくなつてしまつたが。
見に来てるかなー。見に来てるといいなあ。
手前にゐる甘寧、太史慈、程普は、主親子の話を聞いてゐるところなのだらうか。
甘寧は左側にゐて、太史慈と程普とは右側にゐる。
甘寧は真面目に話を聞いてゐる、といつたところか。
太史慈はその表情から「若(と孫権をさして云ふかどうかはともかくとして)もあれでよく云ふわい」といつたその場を楽しんでゐるやうに見える。
そんな太史慈を「えらさうなことを云ふんぢやない」と諭す程普。といつた感じかな。
早いうちから登場してゐた程普はともかく、人形劇では甘寧はあまり活躍してゐないやうに感じるし、太史慈は登場してゐなかつたと思ふ(間違つてゐるかもしれない)ので、かうして見られるのはうれしい。
甘寧は色白で「海賊なのに?」とも思ふがあごの張り具合は意志が固さうでいいし、太史慈は目と口元それに髭に特徴があつて愉快な人なんぢやないかといふ気がする。こんなに特徴のある人だつたら出てきたらわからないはずがないと思ふので、人形劇には登場しなかつたんぢやないかなー。
程普はどこか魚類を思はせるやうな顔をしてゐる。目、かな。顔立ちのはつきりしたところは南方の人のやうでもある。
すこし離れて見ると、江東の結束のかたいやうすが見られるやうに思ふ。
その結束を維持するのにどれほどの苦労があつたか、と考へるのもまた一興。
以下、つづく。
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