困つたときの Finger Tatting
タティングレースのネクタイも再開した。
写真のモチーフは、あと花のモチーフを二つつないで菱形にする。おなじ菱形をもう一つ作る。そして菱形と菱形とのあひだに長いエジングのやうなものを作る。
それでネクタイの完成だ。
本の写真では菱形の形はそれぞれ異なつてゐるのでどうしやうか考へてゐるところではある。
おなじにしちやふかもなー。
四段目に二つモチーフをつなぐうちの一つめは、最後糸が足りなくなるといふ事態に陥つた。
あとリングが一つとアーチがひとつでできあがるのに、タティングシャトルを動かすには糸が短すぎる。
Aerlitを使つてゐるのでボビンをはづしてボビンだけで結んでみやうとしたが、これまた糸が足りない。
だが、糸の長さだけ見たらリングとアーチと一つづつ、なんとか作れさうである。
糸を接がうか接ぐまいか。
あとくり返し一つといふところで糸を接ぐと、最後といふか最初の糸端の始末のすぐそばでまた糸端の始末が発生する。
これは甚だうつくしくないし、できるだけ避けたい。
かといつて糸の長さが足りないのでは仕方がない。
どうしたものか。
困つたときの finger tatting。
これだな。
すなはちボビンから糸をはづして、道具なしにリングとアーチとを作ることにした。
シャトルを使つてゐたときと手加減が変はつてきてしまふのは痛いが、糸端の始末がつづくよりはましだ。
少なくともやつがれはさう思ふ。
シャトルがないとはかどらないけれど、それも仕方がない。
リングを作つてゐる途中で「あー、やつぱり足りないかも」と絶望の淵を垣間見た。
「でもここを乗り越えればあとは芯糸になるだけだ。絶対足りる」と我と糸とを信じて淵を乗り越えた。
的盧で檀渓を飛び越えた玄徳みたやうな心持ちだ(違。
いいね、finger tatting。
シャトルがなくてもなんとかなる。
世の中には洗濯ばさみでタティングする人もゐるくらゐだ。
道具なんかなくてもなんとかなる。
その一方で、finger tatting をするとシャトルのありがたみがよくわかる。
ありがたう。
誰だかわからないけど、タティングシャトルを発明してくれた人。あるいは人々。
そしてそれを伝へてくれた人々。
ありがたう。
それにしてもシャトルを用ゐるタティングはつねに糸の長さとの戦ひなのだなあ。
シャトルにどのくらゐの長さの糸を巻くか。
きちんと長さを求めて巻くか、あるいは行きあたりばつたり偶然にまかせるか。
以前はゲージのやうなものを作つて糸の長さを測定したものだつたけれど、最近はすつかり行きあたりばつたりになつてしまつた。
今回は20番の糸を使つてゐることもあつて、40番や70番よりも糸の消費が激しい。
ちやんと長さを計算すべきなのかもしれないなあ。
多分しないけど。
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