飯田市川本喜八郎人形美術館 ギャラリー入口 2016/6
先週末、飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
美術館では6月4日から新展示を公開してゐる。
展示テーマは「後漢末ー三顧の礼」で、黄巾党の三兄弟から三顧の礼に関わる人々まで、幅広い層の「人形劇三国志」の登場人物たちが展示されてゐる。
人形アニメーションの展示は「花折り」「鬼」「道成寺」「火宅」「不射の射」「李白」だ。こちらもヴァラエティに富んだ展示である。
まづ展示室に入ると、呂布と貂蝉とが出迎へてくれる。
貂蝉の背後に呂布がゐて、うしろから貂蝉を抱きしめてゐる。
呂布はやや右寄りにゐて、顔の向きもやや右寄り。貂蝉の襟元に頬をすりよせる心にも見える。
貂蝉はうつむきがちに立つてゐる。拒むでもなく受け入れるでもないやうな表情だ。
貂蝉の手にした団扇から流れる房の描く曲線も美しくてなー。
なんとなく気まづい気分になるのは、ふたりとも全然違ふことを考へてゐるやうに見えるからか。
角度によつては、呂布はひどく思ひつめたやうすに見える。
人形劇ではじめて貂蝉を見たときの呂布を思ひ出すなあ。
あのときの呂布の挙動不審なさま。
息苦しいのか暑いのか、襟元に指を入れてひろげやうとする細かいしぐさがよかつた。
目もどこを見ていいものやらといふやうにあちこちに動くんだよね。
必死な呂布と比べて貂蝉が冷ややかなやうすに見えるのは、見るこちらがさう思つて見るからといふのもあるとは思ふ。
人形劇の貂蝉は関羽のことが好きなんだものね。
向かつて左側から見ると、貂蝉はうつすらと微笑んでゐるやうにも見える。
呂布の表情もどことなく穏やかだ。
反対側から見ると貂蝉は無表情な冷たい顔をしてゐて、呂布は思ひつめ過ぎてどうかしちやつたんぢやないかといふ風情だ。
いづれ、このふたりには幸せはやつてこない。
前回展示室の入口で出迎へてくれたのは紳々竜々だつた。
ふたりともホストよろしく片膝をついて奥にむかつて腕をのばし、「どうぞどうぞ」といふやうに出迎へてくれた。
今回との落差が実におもしろい。
まづこの呂布と貂蝉とを見て、今回の展示に攻めの姿勢を感じる。
このあともいままであまり見たことのないやうな展示がつづく。
それは次回の講釈で。
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