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Wednesday, 25 May 2016

若冲展に行き損ねたので

「鬼平犯科帳」の第四シーズンを見てゐる。
今日は「正月四日の客」、「深川・千鳥橋」、「俄か雨」を見た。

「正月四日の客」のゲストは山田五十鈴だ。
毎回豪華である。
いま見るからさう思ふといふのもあるけれど、放映当時でも豪華だと思つたらう。

役宅のいつもの部屋で平蔵が配下のものたちと話してゐる場面があつた。
これといつて特別なことのない、よくある場面だ。
よくある場面なのだけれども、一瞬写つた映像がよかつたんだなあ。

やや仰角で、向かつて右側前方に脇息においた平蔵の手が写つてゐる。
左側後方に佐嶋がゐて、その背後には開け放たれた障子の向かうに夜の庭が見える。

正月四日の客

それだけの絵で、そしておそらくはほんの数秒のカットなのだけれども、なんだかこれがとてもよかつた。
この何カットかあとにおなじやうな構図の絵が出てくるのだが、こちらはほぼ水平なアングルで撮つたもので、それだけの違ひなのに最初に見たやや仰角の絵の方が気に入つた。

TV番組を見なくなつて久しい。
ドラマを見ながら「あ、いまの絵、いいな」と思ふことも絶えてない。

一度気に入つたカットが出てくると、「このあとも出てくるかも」と期待してしまつてTVから目がそらせなくなつてしまふ。
いかん。

「深川・千鳥橋」は、夜、駕篭が画面奥に向かつて消へてゆく、といふ場面で終はる。
最後の最後にほんの一瞬だけ駕篭が夜陰にまぎれて文字どほり消へ、それで終はる。
駕篭は二丁あつて、片方には男(高橋長英)、もう片方には女(一色彩子)が乗つてゐる。
どちらも労咳病みで、とくに男の方は先が長くない。
先は長くはないけれども、この先ふたりは幸せに暮らすのだらう。
さういふ話だ。
消へた駕篭がふたりの行く末を暗示してゐるやうにも思へてこれまたよかつたんだなあ。

「深川・千鳥橋」には、画面向かつて右側前方に柱や岩などが写つてゐて、左側奥に人がゐてそちらに焦点があつてゐる、といふ絵が何度か出てきた。
アナログ時代の画面だからいまほど横長ではないのだけれども、この右側前方になにかあつてその左側奥に制作側が見せたいと思つてゐるものがある、といふ構図が気に入つてなー。
かういふカットが随所にあるので、いざといふときに登場人物の顔が大写しになつたり、クロースアップになつたりしたときに効果があがるやうな気もする。

どの話にも共通してあるのが、となりの部屋や窓の外から覗くやうな構図だ。
いつたい誰の視点なんだよ、とも思ふが、手前にある格子やなにかの向かうに見たいものがあるといふのがおもしろいんだなあ。
いままで全然気づかなかつた。
TV画面をしげしげと見る習慣がなかつたからだらう。
また、TVドラマにおもしろい絵が出てくると思つたこともない。

かうなつてくると、上にも書いたやうにTV画面から目がはなせなくなつて困る。

このころの時代劇は闇が深いのもいい。
「鬼平犯科帳」の場合、捕物は夜が多いからとくにさう感じるのかもしれない。

「鬼平犯科帳」はタイトルの雪の中の立ち回りも好きなんだよね。
あれだけ動いてゐて裾がほとんど乱れない。
お頭、イカすー。

TVを見ながら「あ、いまの絵、好き」「この構図、すてき」などと思ひつつ、東京都美術館の若冲展に行きそびれた埋め合はせをしてゐるんだらう。
多分。

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