大向かふ考
歌舞伎を見に行くと、上演中「何々屋!」と客席から声をかけてゐる人々がゐる。
「大向かふ」と呼ばれてゐる人々だ。
#自分で名乗るのはヤボ。
とくに資格などは必要ないことになつてゐるが、一応大向かふの会といふものがあつて、そこに所属してゐる人々が主にかけてゐる。
さう認識してゐる。
ただ、「資格などは必要ない」ので、誰でもかけていいともいへる。
誰でもかけてもいいが、流儀はある。
たとへば、一階席や二階席からかけるものではない、といふのがひとつ。
かけ声は最上階、歌舞伎座でいへば三階席や幕見席からかけるものである。
これが案外知られてゐないのらしい。
以前もここに書いたやうに、一階席で誇らしげに「わたくし、大向かふをやつてをりまして」なんぞと話してゐる人がゐた。もちろん、上演中声をかけてゐた。
あとは、さうだなー、基本的には屋号をかける、といふこと。
まれに「何代目!」なんてのもあるが、これもかけ過ぎるのはどうかといはれてゐる。
また、屋号の前に「大(おほ)」をつけることもある。
いまの吉右衛門だつたら「大播磨!」とかね。このときは「屋」はつけない。
あと「大」をつけない屋号もある。
多分、「大音羽」とは云はない。「大京」もないんじやないかな。
#あつたらゴメン。
かけるタイミングもある。
これは、芝居に何度も通つてほかの人がかけてゐるのを観察するしかない。
するしかないのだが、「なにがなにして なんとやら」といふセリフの場合、「なにがなにして」のあとにかける人と「なんとやら」まで待つてかける人とがあつたりする。
これは「なんとやら」のあとにかける方が役者としてはいいのらしい。そんな話をどこかで聞いた。
結局、大向かふになるには、何度も芝居に通つて、先輩大向かふの声をかけるやうすを学ぶしかない。
でもおそらく、最近はその手順を端折つてゐる人が多いんだらう。
それで妙なタイミングで声をかけたりとか、耳学問……とはこの場合は云はないのかな……本などで目から仕入れた知識だけで声をかける人がゐる。
さういふことなんだらうと思つてゐる。
したがつて、さきほど「先輩大向かふから学ぶしかない」と書いたが、実は学ぶに足りない人が多いことも確かなのだつた。
困る。
ほかに学びやうがないんだから、ほんとに困る。
でもまあ、学ぶに足りない大向かふは以前からゐた。
最近、とくに大向かふのことが問題になるのは、SNSなどで苦情を吐き出す人が増えたからかもしれない。
そんなわけで、以前は「誰でもかけていいんですよ」などと云つてゐた人も宗旨を変へたのか最近では「大向かふといふのはかういふものです」と云ふやうになつたりしてゐる。
といふ話も以前書いたとほりだ。
歌舞伎四〇〇年の言葉公式ブログにも、三回にわたつて「大向かふとはかくあるもの」といふか「かくあるといいなあ」といつた内容のエントリがあり、最近のエントリも大向かふに関する内容だつた。
でもなー、これつて、短期的にはあまりいい影響はないんぢやないかなー。
なぜか。
歌舞伎四〇〇年の言葉公式ブログを読むやうな人は、大向かふとはどうあるべきかちやんとわきまへてゐる人だからだ。
さういふ人は、普段お芝居を見に行つて、わかつてない(自称)大向かふに腹を立ててゐたりする。
そんなところへ、歌舞伎四〇〇年の言葉公式ブログの「大向かふとは」といふエントリを読む。
さうしたらどうなるだらうか。
「歌舞伎四〇〇年の言葉」などといふ書をものすやうな人の書いたものである。
「さう、さうだよ。これが正しいんだよ。あるべき大向かふの姿だよ」と我が意を強くするのぢやあるまいか。
ある種の権威の後ろ盾を得た心持ちになつて、ますます劇場にゐる困つた大向かふへ対するいらだちを募らせる。
さういふ結果になるのぢやあるまいか。
一方、さういふ人々を苛立たせてゐる大向かふ(と、ここでは便宜上呼ぶ)の人々は、おそらく歌舞伎四〇〇年の言葉公式ブログを読まない。
読んだとしても、その内容が自分に対して注意を喚起するものだとは思はない。
そもそもそこで「あ、あれはいけないんだ」と思ふやうな人だつたら最初からちやんとしてるよ。
といふわけで、大向かうに対して鬱憤を抱いてゐる人と抱かせてゐる人とのあひだにますます乖離が生じる、と。
さういふことになるのぢやああるまいか。
といふか、すでにさうなつてきてゐる気がしてならない。
それつて……楽しくないよね。
どちらの側も、さ。
お芝居なんて楽しく見てナンボでせう。
やれあの大向かふはチャリがけが多いの、とんでもないところで「待つてました」「たつぷり」とかかけるの、とか、一々気にしてゐたら楽しくない。
「間違つてゐるのは相手で、自分が正しい」と思ひ込んでゐるだらうからよけいに苛立ちも募る。
ただ、中長期的には歌舞伎四〇〇年の言葉公式ブログに書かれてゐることはいい影響を及ぼすだらうとも思ふ。
まづここを読んで、それから声をかけやうといふ人もあるだらうからだ。
といふか、さういふ人が増えるといいなあと思つてゐる。
あそこに書かれてゐることをすべて支持するわけではないけどね。
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