逆転の発想
短所の裏返しが長所だといふ。
がんこな人は、ブレない人。
せつかちな人は、procrastinate しない。
のんきな人は、余裕がある。
世の中さうしたもので、でも、ぢやあ、「意地が悪い」の裏返しはなんだらう。「意地汚い」は? 協調性がない人にどんな長所があるといふのか。
頭がかたいせゐか、どうも考へつかない。
非認知能力と呼ばれるものがある。
協調性とかやる気とかリーダーシップとか、人とうまくやつていくのに必要な能力、と、やつがれは把握してゐる。
非認知能力の高い人は、社会に出てから定職につける率が低い人に比して高いのらしい。
こどものころに培はれるものらしく、「非認知能力をのばすには、こどもをかう育てろ」とかいふ記事はよく見る。
だが、おとなはこうすればいい、といふ話はあまり聞かない。
おとなになるともうのばせない能力なのか。
単にこどもを対象とした研究が進んでゐるだけなのかもしれない。
非認知能力といふのは、認知能力のやうに試験やなにかではかれる能力ではないといふ。
でも、わかる。
やつがれは、この非認知能力といふものがひどく低い。
話の流れからして、「つまり、こどものころのしつけや教育がなつてゐなかつたといふことですね」と云はれてしまふかもしれないが、それもまたやむなしといつたところだ。
有り態に云ふと、協調性がない。
協調性がないことでずつと困つてきてゐるのだからなんとかすればいいのだが、さういふやる気もない。
リーダーシップはもとよりない。協調性のない人間にあるわけがない。
そして考へるわけだ。
協調性がないことの裏返しはなんだらうと。
それは長所なのだらうか。
どうもさうは思へない。
ゴッホが生前認められなかつた所以は、画商とうまくやつていけなかつたからだといふ説がある。
画家として大成するには、パトロンや画商とのつきあひが大切だ。
作曲家もさうかもしれない。
モーツァルトが共同墓地に埋められることになつたのも、パトロンとうまくつきあつていけなかつたからぢやあるまいか。
短所の裏返しが長所なら、長所の裏返しは短所なのだらう。
ぢやあ協調性のあることの裏返しはなんだらうか。
協調性があることは短所たり得るのか。
そもそもここで逆転の発想のできないことが、ダメなのかもしれないなあ。
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