しなくても死にはしない
タティングレースはまつたくなにも進んでゐない。
昼休みの残り時間に睡眠をとるやうになつてしまつたからだ。
このままやらなくなつてしまふのだらうか。
先日 Twitter の TimeLine にこんなやうな呟きが回つてきた。
世の中には、「それをせずにゐると死んでしまふ」といふ人と、「できるからする」といふ人がゐる。
この伝でいくと、やつがれのタティングレースは「できるからする」だ。
正確には「できるやうになつたからする」、だな。
タティングの基本でありすべてといつても過言ではないダブルスティッチができるやうになるまでに何日もかかつたし、その後「シャトル二つ遣ひ」の作品を作れるやうになるまで何ヶ月もかかつた、とは、ここにも何度も書いてゐる。
「シャトル二つ遣ひ」は、たまたま最初に買つた本の解説ページに「シャトル二つ遣ひ」と題してスプリットリングの作り方が載つてゐたので、勘違ひしたままで作れなかつた、といふオチがある。
別の本を買つて、はじめて「シャトル二つ遣ひ」といふのは必ずしもスプリットリングとは限らないこと、場合によつてはシャトル一つと糸玉とでできることを知るのだつた。
長かつたなあ。
そこから、ダブルスティッチの後半部分を作るときにシャトルを持ち替へなくてもいい、といふことに気がつくまでにまた何年もかかつてゐる。
気がつくまでは、シャトルを指にかけた糸にくぐらせるときに手をはなしてゐたのだつた。
時間がかかることこのうへない。
でもやつてゐた。
持ち替へなくていいことに気がついたのは、ほかの人がタティングをしてゐるのを見たときのことだ。
スピニング・パーティーに行つたをり、店番をしてゐた人がタティングをしてゐた。
それではじめて持ち替へなくてもふたつめのスティッチを作れることに気がついた、といふわけだ。
なんといふことでせう。
しかし、最初から持ち替へなくてもできることがわかつてゐたら、クロバーのシャトルからはなれられなかつたらうな、とも思ふ。
持ち替へるもの、と思つてゐたから、多少シャトルが大きからうがものともせずにタティングしてゐた。
そんなわけで GR-8 Shuttle にも出会へたわけだ。
できないなりに、こんなに時間をかけて習得してきたのだもの、タティングレースは自分に向いてゐるはずだ。
さうも思ふ。
でも別段しなくても生きていけるんだよね。
現に先週一週間は生き延びたわけだし。
六月はちよつとあちこちに行く予定がある。
道中、タティングでもしやうか知らん。
そんなことを考へてゐる。
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