今日もおかかのおにぎりしかない
ビッグデータ絡みでこんな話を聞いた。
ある人がコンビニエンスストアにお昼ご飯を買ひに行く。
お店は職場のあるビルにある。
すでに昼休みになつて何分かたつてゐる。
出遅れてしまつたせゐか、めぼしいものといつておかかのおにぎりしかない。
その人はそのおかかのおにぎりを買つた。
そんなことが何回かつづいた。
なぜか、昼休みに店に行くと、いつもあるのはおかかのおにぎりである。
どうも、このコンビニエンスストアではこの時間帯に三十代くらゐの男の人がおかかのおにぎりを買ふものだ、と、認識されてしまつたのらしい。
それでその人がだいたいきまつた時間に店に行くと、おかかのおにぎりがある、といふ状況が生じるやうになつてしまつた。
ビッグデータの解析とはさうしたものだ、といふのだ。
この人が実際に食べたいのはおかかのおにぎりではない。ほんたうはほかのものが食べたい。お店に行くとそれしかないから仕方なく買つてゐる。
でもデータ上には「仕方なく」買つてゐるなんぞといふ情報はない。
「仕方なく」を解析するにはどうすればいいのだらうか。
その時間、ほかの商品がどれくらゐ店の棚に並んでゐるのか、それを加味すれば「仕方なく」に近い結果が出てくることもあるのだらうか。
この話を聞いてから、よく行くコンビニエンスストアではほんたうにほしいと思はないものは買はないやうになつてしまつた。
自分のよく買つてゐるものでもコンビニエンスストアの棚から消へることはしよつ中あるし、店側もビッグデータとやらの解析だけに頼つてゐるわけではないと思つてはゐるけれどね。
機械のすることなんて、所詮そのていどだよな。
さういふ向きもあるかもしれない。
はたしてさうだらうか。
人間も似たやうなものなのではあるまいか。
といふのは、最近誤読に関する記事を読んだからだ。
ある小説に主人公とその姉とがオアシスの「スタンド・バイ・ミー」を歌ふ、といふくだりがある。
とある評論家がこの「スタンド・バイ・ミー」をベン・E・キングの歌とおなじものだと思つたといふのだが、それは誤読だらう、といふ話だ。
なぜ誤読になるのか、といふ説明は、リンク先をご覧いただきたい。
その説明はもつともで、でも、思ふのだ。
映画にも使はれて、しかもその映画の題名にもなつた歌で、いろんな人にカヴァもされてゐる、カヴァしてゐる歌手の中にはジョン・レノンもゐる、さういふ歌だつたら、全然別の歌手やグループ、バンドがカヴァしとゐたとしたつて、をかしかない。
人は、さう考へるのぢやああるまいか。
考へるより前に、直感的にさう思ふ。
そんな気がする。
そんなところで一々立ち止まつて考へたりはしない。
それと、おかかのおにぎりの話とは、どこか似てゐないだらうか。
日々暮らしてゐて、「精読」ばかりしてゐるわけにはいかないよな、と思ふ。
そんなことをしてゐたら疲れきつてしまふ。
仕事の上ではつねに「精読」が求められてゐるのかもしれないけれど、それだつてちよつとムリだ。
それができたら人類皆シャーロック・ホームズだよ、きつと。
やつがれが、オアシスの「スタンド・バイ・ミー」はベン・E・キングのそれとは違ふといふことに思ひ至るやうになるよりも、ビッグデータ解析の方が「ああ、この人は仕方なくおかかのおにぎりを買つてゐるんだなあ」といふ結果を出せるやうになる方が早い。
そんな気がしてならない。
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