紳々竜々と「世間胸算用近頃肚裏表」
週末に飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
六月の展示替へ前に一度行きたかつた。
ほんたうはりんごの花の咲くころに行きたい。
去年は五月の連休に行つてみたら、あたたかい日がつづいてゐたので花はすつかり散つてしまつてゐた。
今年もあたたかさうなので、連休にはもう花の盛りは過ぎてゐるだらう。
今回は、代はりといつてはなんだが桜があちこちで咲いてゐた。
展示替へ前に行きたい理由のひとつが展示室を入つてすぐ目に入る紳々竜々だ。
ホストよろしく片膝をついて「いらつしやいませ~」といつたやうすであることは展示替へ後のエントリで書いたとほりである。
このやうすがよくてなー。
紳々竜々は、人形劇で見てゐても、愛嬌のある動きがとてもいい。可愛いといふべきか。
声がアレなのであまり「可愛い」と思へないのだらう。
音声のないところの動きとか、メチャクチャに動いてゐるやうでちやんと考へられてゐるやうに見える。
これも以前書いたやうに、「ことわざ三国志」に出てきて立間祥介のそばに寄つていくさまなんか、とても紳々竜々らしいし、愛らしいといつてもいいほどだ。
展示室入口の紳々竜々は、竜々が手前で紳々がおくにゐる。
くりかへしになるが、竜々はまぢめなちよつとかたくるしい感じで、紳々はくだけた感じになつてゐるところもおもしろい。
かうしたふたりが見られるのも来月いつぱいくらゐだらう。
展示室の外、ホワイエに飾られてゐる「世間胸算用近頃肚裏表」の人形も、展示替へ前にどうしてももう一度見ておきたかつた。
ウレタンで作られてゐるといふ話で、気をつけないとちよつと触るだけでぼろぼろとくづれてきてしまふ、といふ話を聞いたからだ。
もしかするともう会へないかもしれない。
さう思つたのである。
美術館では午前と午後と通常は二回づつ上映会を行つてゐる。上映されるのはほぼ川本喜八郎の人形アニメーション作品だ。
今回の展示のあひだはどうやらこの「世間胸算用近頃肚裏表」が毎月ブログラムに入つてゐる。
「世間胸算用近頃肚裏表」は、人形アニメーションではない。
川本喜八郎は「爆笑浄瑠璃」と呼んでゐたといふ。
床の義太夫にあはせて、ウレタンでできた人形を三人で操る人形劇だ。
語りは豊竹呂太夫、三味線は鶴澤清治。
人形劇の冒頭に黒衣が出てきて「とーざいー」と
口上を述べてゐるのは川本喜八郎とのことだ。
「世間胸算用近頃肚裏表」は、都心から電車とバスとを乗り継いだ先にある郊外に念願の「マイホーム」を構へた一家の姑と嫁との本音と建前の物語だ。
嫁も姑も、互ひに互ひを思ひやつて暮らしてゐるが、それは表向きで、内心相手のことを憎くて憎くてたまらないと思つてゐる。
ときに名作の文句を借りながら、詞章もおもしろをかしくできてゐる。
語る呂太夫がまたいいんだな、これが。
三味線ははたいふべきにもあらず、だ。
文楽では……できないかなあ。
文楽でも十五分くらゐの短い作品を作つて上演すればいいのに、と、見てゐて思つた。
あんまり短いと採算がとれないかな。
人形劇に出てくるときの人形と、ホワイエで見る人形とは違つて見える。
人形劇のときは、手袋状になつてゐるところに操演者の手を入れて遣つてゐるからかなあ。
展示されてゐる人形の手は手首のところでぎゆつとしぼられてゐて、人形のサイズにふさはしいやうな大きさになつてゐる。ちよつと見たところヒトデのやうにも見える。
人形劇で見たときとは印象が変はる。
手の表情ひとつで全然見え方が変はつてくるものなのらしい。
映像と実物との違ひといふことも当然あるのだらうけれど、この見え方の違ひがおもしろい。
再訪なのに、長くなつてしまつた。
「死者の書」の人形たちとか、前回見たときに美芳を見てゐるやうに見えた龐統が今回見たら見てゐないやうに見えたとか、くつの先とか剣の柄とかはまたの機会に。
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