展示替へを待つ
渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーの展示については、次の展示替へまで待つつもりでゐる。
四月二日に見に行つたときにあまりの変はりやうに思はずTwitterに衝撃を受けたとつぶやいてしまつた。
早計だつた。
いまとなつては大勢の目に触れたあとなので問題のつぶやきを削除はしない。
川本プロダクションのblogに、渋谷区との展示委託業務が三月三十一日で終了したといふお知らせが掲示されてゐる。
四月一日にギャラリーの前を通りかかつたところ、エスカレータ正面のディスプレイの中身が変はつてゐて、ギャラリー外の子供時代の牛若丸と静との姿も以前とまつたく違ふ形になつてゐた。
渋谷区では、二月から展示委託の事業者を公募してゐた。
これは推測だが、おそらく三月三十一日の閉館から四月一日の開館のあひだに新たな事業者の方々が大慌てで展示替へをしたのだらう。
四月二日にあらためて見に行つたところ、人形が減つてゐて、ただ立ち尽くしてゐるやうな展示に変はつてゐた。身につけてゐたものもや、衝立などの小道具(大道具だらうか)もなくなつてゐるものがあつた。
時間がなかつただらう中で、ある程度は仕方のないことなのかな、と思つてゐる。
経盛や弁慶が見るからに傾いてゐたり、人形に生気がないやうに見えるのも、さういふことなのかもしれない。
ゆゑに、次回の展示替へを待つことに決めたのだつた。
今後、気になることは二点ある。
一点は、人形のローテーションだ。
これまでは初回をのぞき半年に一度展示替へがあつた。
半年間展示されてゐた人形は基本的には次の半年間は展示されてゐなかつた。
半年のあひだ、強い照明にさらされつづけた人形を休めるためのことだと思ふ。
今後はどうなるのだらうか。
人気のある人形はずつと展示されつづけることになるのだらうか。
見に行く側としては、好きな人形はいつでもみたい。
だがそれは人形の命を縮めることになる。
博物館・美術館の展覧会でも、二ヶ月ほどの展示のあひだに二回、場合によつては三回四回と展示替へを行ふものだ。
今後もローテーションが行はれることを願つてやまない。
もう一点は、小道具その他のことだ。
人形は渋谷区が買ひ取つたもの、と、去年の人形損傷の記事に書かれてゐる。
しかし、小道具その他はどうなのだらうか。
ギャラリー外のディスプレイに飾られてゐた琵琶や扇が撤去されてしまつたといふことは、小道具などは川本プロダクションから貸し出してゐたものなのではあるまいか。
孔明の白羽扇はさすがに違ふとは思ひたいし、関羽や張飛、呂布の得物もだらうと信じてはゐる。
馬はどうなのだらう。
三国志の人形は人形劇に出てゐたものではない。新たに作つたものなので、おそらくは渋谷区のものなのだらう。
でも平家物語はどうだらうか。
四月二日の時点で馬もギャラリーにはゐたけれど、馬に乗つてゐた人形はみな馬から下りてゐた。
もしかしたら馬も貸し出されたものだつたのかも?
さうすると、今後は、たとへば玄徳が乗つてゐないときは義経が白竜に乗つてゐたりするのだらうか。
するのかもしれないなあ。
それとも人形を馬に固定する道具が渋谷区のものではなかつたのだらうか。
それもありうる気がする。
経正が青山を弾ずることはもうないだらうし、忠度が小鼓、宗盛が大鼓、徳子が琴を手にすることももうないのだらう。
さういや前回の展示では人形劇で一度だけ使はれた曹操のカシラが使はれてゐた。
関羽にもある。
関羽の特別なカシラは人形劇では二度使はれてゐる。
もう見ることももうないのだらうなあ。
まあ、関羽のあのカシラはちよつとどうかとも思ふけれど。
川本喜八郎自身が「使はれないかもしれないけどね」と云ひながら見せてくれたカシラなんだけどね。
ほかにも張飛の眠りのカシラとか、探せばいくつかあるはずだ。
四月二日時点の展示を覚えてゐるかぎり書いて終はりにする。
ゐなくなつてゐたのは、樋口と斬り手、義高、梶原、土肥、畠山、鷲尾、けが人二名、後白河法皇、駄五六といつたところだらうか。
今井四郎のざんばら髪は坊主頭になつてゐて、経盛の手元にあつた風呂敷や敦盛の袖などはなくなつてゐて、千手の隠れてゐた衝立もない。
馬に乗つてゐたものはみな下馬してゐて、兜をかぶつてゐたものは脱いでゐる。手にした小道具もはづされてゐる。
残る人形はみな立ち尽くしてゐるやうな感じで展示されてゐる。
ひとり巴だけはちよつと右を向いてゐて、表情があるやうにも見える。
いま見に行つたらまたちよつと変はつてゐたりするだらうか。
機会があれば立ち寄りたい。
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