連休の過ごし方
去年の五月の連休は各駅停車を乗り継いで飯田に行つた。
もともとの予定では、最初は急行電車に乗るつもりだつた。
予定より早く駅についてしまひ、各駅停車の方が急行より先に目的の駅に着くといふので乗つてみた。
そんなこと、青春18きっぷの季節にやれよ。
しみじみさう思つた。
でもまあJRにばかり乗つてゐたわけでもないので、いいかな。
去年は、五月の連休が終はつたら、なんだか気分がすつきりしてゐて、いつもなら出社拒否症寸前の様相を呈するところ、なぜだかそれほど憂ふこともなく職場に行くことができた。
その状態が十月の半ばくらゐまでつづいた。
十月半ばのある朝、目が覚めてみたらとにかく職場に行きたくない。
「ああ、またこの日々が戻つてきてしまつたのか」
そのときしみじみさう思つた。
去年の五月の連休のなにがそんなによかつたのだらうか。
できれば今年の連休後も気分よく過ごしたいのだけれども。
行つたところといつて、飯田くらゐだ。
ほかに映画を見に行つたり、サントリー美術館に「若冲と蕪村」を見に行つたり、團菊祭に行つたりはした。
それくらゐは連休ぢやなくても行くしなー。
ほかに思ひあたる節があるとしたら、早寝早起きにつとめたことくらゐだらうか。
早寝早起きは、しかし、仕事がはじまるとすぐにできなくなつてゐる。
連休中は、「これをやる」と決めたことはわりと達成できた。
それもよかつたのかもしれない。
あとは、さうだなあ、飯田に行く道中、車窓を流れる景色をぼんやりと眺めてゐたのがよかつたのかもしれない。
これは、高速バスで飯田に行くときもたまに思ふことだ。
車窓から山々の連なる様をぼんやりと眺めてゐると、なんとなく弛緩していく感じがする。
これがいい方向に働くときとその逆のときとある。
中央高速道路が大雨で通行止めになつたとき、仕方なく豊橋まで飯田線に乗つて行つたことがあつた。
このときは、豊橋に着いたころにはすつかり気分が落ち込んでゐて、しばらく立ちなほれなかつた。
山と川とトンネルとのくりかへしの中で、「いつたい自分はなにをしてゐるのだらう」と考へるとやりきれない気分になつてしまつたのである。
「いつたい自分はなにをしてゐるのだらう」といふのは、飯田線に乗つてゐることをさしてゐるのではない。
日々、なにをやつてゐるのか。
なにもしてゐないぢやあないか。
一度さう思ふと、なんだかなにもやる気がしなくなつてしまつて、な。
電車やバスに乗つてぼんやりと車窓を眺めるのが、去年はたまたまいい方向に働いた。
さういふことなのかもしれない。
実は今日も片道一時間半強かけて出かけてきた。
電車は空いてゐて、始終窓の外をよく見ることができた。
なんかこの、なにも考へずにぼんやりとするのがいい。
そんな気がする。
それも、一時間半くらゐが時間としてちやうどいいのかもしれない。
連休ははじまつたばかりだ。
とりあへず、早寝早起きだけはきちんとするやうにしたいな。
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