My Photo
September 2024
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

« March 2016 | Main | May 2016 »

Friday, 29 April 2016

連休の過ごし方

去年の五月の連休は各駅停車を乗り継いで飯田に行つた。
もともとの予定では、最初は急行電車に乗るつもりだつた。
予定より早く駅についてしまひ、各駅停車の方が急行より先に目的の駅に着くといふので乗つてみた。

そんなこと、青春18きっぷの季節にやれよ。
しみじみさう思つた。
でもまあJRにばかり乗つてゐたわけでもないので、いいかな。

去年は、五月の連休が終はつたら、なんだか気分がすつきりしてゐて、いつもなら出社拒否症寸前の様相を呈するところ、なぜだかそれほど憂ふこともなく職場に行くことができた。
その状態が十月の半ばくらゐまでつづいた。
十月半ばのある朝、目が覚めてみたらとにかく職場に行きたくない。
「ああ、またこの日々が戻つてきてしまつたのか」
そのときしみじみさう思つた。

去年の五月の連休のなにがそんなによかつたのだらうか。
できれば今年の連休後も気分よく過ごしたいのだけれども。

行つたところといつて、飯田くらゐだ。
ほかに映画を見に行つたり、サントリー美術館に「若冲と蕪村」を見に行つたり、團菊祭に行つたりはした。
それくらゐは連休ぢやなくても行くしなー。

ほかに思ひあたる節があるとしたら、早寝早起きにつとめたことくらゐだらうか。
早寝早起きは、しかし、仕事がはじまるとすぐにできなくなつてゐる。

連休中は、「これをやる」と決めたことはわりと達成できた。
それもよかつたのかもしれない。

あとは、さうだなあ、飯田に行く道中、車窓を流れる景色をぼんやりと眺めてゐたのがよかつたのかもしれない。
これは、高速バスで飯田に行くときもたまに思ふことだ。
車窓から山々の連なる様をぼんやりと眺めてゐると、なんとなく弛緩していく感じがする。
これがいい方向に働くときとその逆のときとある。
中央高速道路が大雨で通行止めになつたとき、仕方なく豊橋まで飯田線に乗つて行つたことがあつた。
このときは、豊橋に着いたころにはすつかり気分が落ち込んでゐて、しばらく立ちなほれなかつた。
山と川とトンネルとのくりかへしの中で、「いつたい自分はなにをしてゐるのだらう」と考へるとやりきれない気分になつてしまつたのである。
「いつたい自分はなにをしてゐるのだらう」といふのは、飯田線に乗つてゐることをさしてゐるのではない。
日々、なにをやつてゐるのか。
なにもしてゐないぢやあないか。
一度さう思ふと、なんだかなにもやる気がしなくなつてしまつて、な。

電車やバスに乗つてぼんやりと車窓を眺めるのが、去年はたまたまいい方向に働いた。
さういふことなのかもしれない。

実は今日も片道一時間半強かけて出かけてきた。
電車は空いてゐて、始終窓の外をよく見ることができた。
なんかこの、なにも考へずにぼんやりとするのがいい。
そんな気がする。
それも、一時間半くらゐが時間としてちやうどいいのかもしれない。

連休ははじまつたばかりだ。
とりあへず、早寝早起きだけはきちんとするやうにしたいな。

Thursday, 28 April 2016

Bullet Journal: ノートの終はりと月の変はり目

二月八日に Bullet Journal をはじめて三ヶ月弱。なんとなくつづいてゐる。
やつがれの Bullet Journal は MDノートの新書版だ。
現在、28ページ残つてゐる。
ちよつと中途半端だなあ。
二月と三月とはそれぞれ40ページ前後使つた。
今月は80ページ近く使つてゐる。
そのときどきで必要なページ数は変はつてくるだらうけれど、28ページで足りるとはちよつと思へない。
といつて、今日明日明後日で28ページを消費するとも思へない。
どうしたものか。

Bullet Journal で問題になることのひとつに、このノートの終はりと月の変はり目との不一致がある。
ほかの人の話を聞いたわけぢやないからわからないけれど、たぶんある。
現にいまやつがれがその問題に直面してゐる。

次はシステム手帳で Bullet Journal をやつてみやうと思つてゐる。
五月からシステム手帳に切り替へるか。
その場合、MDノートに残る空白のページはどうしやう。
ノートは使ひ切るもの、と、きまつてゐるわけではないけれど、どうにも中途半端な残り具合が気持ち悪い。

ひとつ考へてゐるのは、これまで作つてこなかつた Collection Page を作らうかといふことだ。
Collection Page といふのは、どこになにが書いてあるかといふ、いはば目次のやうなものである。

Bullet Journal では、ノートの一番最初に Index Page をおいて、そこに何年何月は何ページから何ページ、Future Log は何ページ、 Collection Page は何ページ、と記すやうになつてゐる。
余裕さへあれば、このIndex Page に全部書いてしまつていいのだらうとは思ふ。
わざわざ Collection Page を設けるのは、一冊のノートを使つてゐるあひだに、どのやうなことにどれだけ興味を抱くか、そして書き留めるかわからないからだらう。
Collection Page は何ページにわたつてもいい。
さういふ考へ方なのだと思ふ。

Bullet Journal といふわけではなけねども、Moleskine の使ひ方として、やはりノートの先頭に目次を持つてきて、最後にこのノートにななにを記したかを書く、といふ方法をとつてゐる人がゐる、といふことは以前から知つてゐた。
これまでのやつがれの手帳の使ひ方だと、最初から最後までみつしり字で埋めてしまつて、目次だのIndexだのを作つたことはなかつた。

今回はやつてみるかな。
三ヶ月弱使つたノートを見返して、なにを書いたか、あとから見たときになにを見たらおもしろさうか、考へながら Colleciton Page を作ることにしたい。
だいたい芝居や落語、本や場合によつてはTV番組の感想ばかり書き連ねてあるので、そのうち気になるものを書き出すやうだらうか。
歌舞伎座ギャラリーで開催された歌舞伎夜話にも二度ほど行つてそのときのことも書いてゐるので、それも書くだらう。

ひとまづは、今日明日明後日で書くだけ書いて、Collection Page 作成はそれからだな。

Wednesday, 27 April 2016

今日もおかかのおにぎりしかない

ビッグデータ絡みでこんな話を聞いた。

ある人がコンビニエンスストアにお昼ご飯を買ひに行く。
お店は職場のあるビルにある。
すでに昼休みになつて何分かたつてゐる。
出遅れてしまつたせゐか、めぼしいものといつておかかのおにぎりしかない。
その人はそのおかかのおにぎりを買つた。

そんなことが何回かつづいた。
なぜか、昼休みに店に行くと、いつもあるのはおかかのおにぎりである。

どうも、このコンビニエンスストアではこの時間帯に三十代くらゐの男の人がおかかのおにぎりを買ふものだ、と、認識されてしまつたのらしい。
それでその人がだいたいきまつた時間に店に行くと、おかかのおにぎりがある、といふ状況が生じるやうになつてしまつた。

ビッグデータの解析とはさうしたものだ、といふのだ。

この人が実際に食べたいのはおかかのおにぎりではない。ほんたうはほかのものが食べたい。お店に行くとそれしかないから仕方なく買つてゐる。
でもデータ上には「仕方なく」買つてゐるなんぞといふ情報はない。

「仕方なく」を解析するにはどうすればいいのだらうか。
その時間、ほかの商品がどれくらゐ店の棚に並んでゐるのか、それを加味すれば「仕方なく」に近い結果が出てくることもあるのだらうか。

この話を聞いてから、よく行くコンビニエンスストアではほんたうにほしいと思はないものは買はないやうになつてしまつた。
自分のよく買つてゐるものでもコンビニエンスストアの棚から消へることはしよつ中あるし、店側もビッグデータとやらの解析だけに頼つてゐるわけではないと思つてはゐるけれどね。

機械のすることなんて、所詮そのていどだよな。

さういふ向きもあるかもしれない。
はたしてさうだらうか。
人間も似たやうなものなのではあるまいか。

といふのは、最近誤読に関する記事を読んだからだ。

ある小説に主人公とその姉とがオアシスの「スタンド・バイ・ミー」を歌ふ、といふくだりがある。
とある評論家がこの「スタンド・バイ・ミー」をベン・E・キングの歌とおなじものだと思つたといふのだが、それは誤読だらう、といふ話だ。
なぜ誤読になるのか、といふ説明は、リンク先をご覧いただきたい。

その説明はもつともで、でも、思ふのだ。
映画にも使はれて、しかもその映画の題名にもなつた歌で、いろんな人にカヴァもされてゐる、カヴァしてゐる歌手の中にはジョン・レノンもゐる、さういふ歌だつたら、全然別の歌手やグループ、バンドがカヴァしとゐたとしたつて、をかしかない。
人は、さう考へるのぢやああるまいか。

考へるより前に、直感的にさう思ふ。
そんな気がする。
そんなところで一々立ち止まつて考へたりはしない。

それと、おかかのおにぎりの話とは、どこか似てゐないだらうか。

日々暮らしてゐて、「精読」ばかりしてゐるわけにはいかないよな、と思ふ。
そんなことをしてゐたら疲れきつてしまふ。
仕事の上ではつねに「精読」が求められてゐるのかもしれないけれど、それだつてちよつとムリだ。
それができたら人類皆シャーロック・ホームズだよ、きつと。

やつがれが、オアシスの「スタンド・バイ・ミー」はベン・E・キングのそれとは違ふといふことに思ひ至るやうになるよりも、ビッグデータ解析の方が「ああ、この人は仕方なくおかかのおにぎりを買つてゐるんだなあ」といふ結果を出せるやうになる方が早い。
そんな気がしてならない。

Tuesday, 26 April 2016

毛糸でむやみにタティングレース

極細毛糸でタティングレースをしてゐる。

Tatting with Lace Weight Yarn

パピーのNew 2Ply が四玉ほど出てきたので、なんとなくタティングシャトルに巻いて、なんとなく結んでゐる。

なににするといふことはないのだが、なにかせずにはゐられないのだ。

さきごろ田中八重洲画廊で開催された「藤戸禎子 盛本知子 タティングレース展」に行つた際、藤戸禎子が「主婦の友」で一等をとつたといふ極細毛糸で作つたショールが展示されてゐた。
それを説明してゐた人が、「いまのベビー毛糸では作れないんですよ」と云つてゐた。
なんでも糸が弱すぎてシャトルに巻く時点で切れてしまふ、といふ話だつた。
そのときに「ベビー用の極細毛糸はさうなのかなー。パピーのNew 2 Plyなら大丈夫なのに」と思つた、といふ話はこの展覧会に行つたときに書いたとほりである。

かつて、パピーのNew 2 Ply でタティングレースのスカーフを作つた話は何度かここにも書いてゐる。
京都南座の顔見世に巻いていかうといふので作つたものだつた。
この写真とまつたくおなじモチーフをつないで、百枚もつなげばスカーフになるだらうといふので作り始めた。
一日一枚作れば四ヶ月もあればできると計算してゐた。
実際には七十枚を手前にして希望してゐた長さに達したのでそこで終はりにした。

なぜ毎回このモチーフなのかといふと、毛糸にはこのモチーフが向いてゐると思ふからだ。
糸玉からの糸とシャトルの糸とで作るモチーフなどもちよつと試してみたけれど、シャトルひとつでできるものの方が毛糸には向いてゐる。
すくなくともやつがれはさう思ふ。
単に毛糸に向くモチーフを見つけられてゐないだけなのかもしれないけどね。

毛糸でタティングする楽しみとはなんだらうか。
レース糸よりも毛糸の方が糸に伸縮性がある。
この伸縮性が余白のやうなものを生み出す。
かつちりできない分、そこに遊びが生じる。
この遊びの部分が楽しいし、どこかゆつたりした気分にもなる。

ついでにこれは以前から書いてゐることだけれども、毛糸の方が糸端の始末が楽だ。
けもけもした部分がからみあふのでほどけづらくなるからだ。

毛糸はレース糸よりも撚りが弱いし、しかもS撚りだから、タティングしてゐると次第に撚りがほどけてくる。
レース糸だと気になるが、毛糸だとほどけてきたときに撚りあはせた糸と糸ととのけもけもした部分がふんはりとからみあつてゐて、これはこれで趣がある。

かつちりしたものを作りたいときには向かないが、なんとなくふんはりしたものを作りたいときにはいいんぢやないかなあ、毛糸でタティング。

といふわけで、意味もなく昼休みの残つた時間にこんなものを作つてゐる、といふわけだ。

時計をぶらさげてゐるタティングレースのチェーンの糸が弱くなつてきてゐるので、この連休は代はりになるものを作りたいのだが、はたしてどうなることやら。
時計のチェーンの方は、マクラメになるかもしれないなー。

Monday, 25 April 2016

連休とか夏とか

Jaywalker Socks を編んでゐる。

まだ片方を編んでゐるところだ。
夕べ「真田丸」を見ながら heel flap を編んだ。

なかなか進まないのには理由がある。
ひとつはいつも書いてゐる睡眠不足。
眠いとなにもする気にならないのだよ。

もうひとつは、以前も書いたとほり、いきあたりばつたりに編んでゐるので、脚の部分の長さとかかかとの編み方とかを決めてゐなかつたためだ。
どうしやうか悩みつつ編んでゐるので、つひ遅くなる。
Jaywalker は何度か編んだ。
かかとは、最初に編んだときは編み方とほりに編んだ。Heel flap のあるかかとだ。
引き返し編みのいはゆる「Wrap & Turn」方式でも編んだ。

どちらかといふと、引き返し編みのかかとの方が好きだ。
履いたときにぴつたりくる。
でも編んで楽しいのは heel flap の方かなあ。あの三角形のまちが好きなのだ。

そんなわけで、今回は編み方とほりに編んでみることにした。
「真田丸」とともに heel flap を編み始め、番組終了とほぼ当時に編み終はつた。
つぎはまち(gusset)だ。

あたたかくなつてきたので、夏に編むもののことなども考へてゐる。
このままくつ下や手袋を編むか。
あるいはなにか夏らしいものでも編むか。
パピーのピマデニムが気になつてゐるのだが、これ以上糸を増やすのも気が引ける。
本格的に暑くなる前に、ズパゲティを試してみたい気もしてゐる。
連休はズパゲティに挑戦してみるかなあ。

この連休は、とにかく天気のいいときに自分で編んだものを洗ふつもりでゐる。
家にゐる日と天気のよい日とが重なるといいんだがなあ。
今年はカレンダーとほりに出勤する予定だ。
できれば五月に入つたら、からつと晴れた日がつづくといいんだけどなあ。

五月ごろのからつと晴れた日に部屋でぼんやりしてゐると、なんとなくレースを編みたくなつてくる。
タティングレースもいい。
窓から入つてくる風を受けてゐると、わけもなくレースを編みたい気分になるのだつた。

いいね、この、休みの前の「あれもしたい」「これもしたい」状態。
実際休みになるとたいしたことはできないのだが。
お天気のことはとくに自分ではどうしやうもないからね。

とりあへずは Jaywalker の完成をめざすかな。

Friday, 22 April 2016

劣化の一途をたどる文字

最近、とみに字が下手になつてゐる。
もともと字は下手だつた。
この上まだ下手になる余地があつたとは、と、ただただおどろくばかりである。

こどものころから親に「おまへは字が下手だ」と云はれてきた。
不器用だからだ。
字のうまい人にはふたつの要素があるといふ。
ひとつは、うつくしい字がわかつてゐること。
もうひとつは、その字を再現できること。
頭の中にある理想の字を自分の手で紙の上に再現できる人が字のうまい人、といふことだ。
再現できるといふことは器用な人といふことでもある。

かういふ字がうつくしい、といふのがわかつてゐるかどうかはともかく、かういふ字が書けたらなあ、といふのはある。

一番最初は、筒井康隆だつた。
「大いなる助走」の表紙に、直筆原稿が用ゐられてゐる。
装丁は確か山藤章二だ。
この字が好きでなー。
買つてはもらへなかつたので、最初のうちは図書館で借りてゐた。
そののち、新潮社のハードカバーフェアのパンフレットに筒井康隆の直筆原稿が掲載されたことがあつた。そのまま印刷することを意識して書いてゐるから「大いなる助走」の原稿よりよそ行きな趣の字だつた。
いいなー。こんな字が書けたらなー。

そんなわけで、払ひが大仰なのはこのときの影響だと思つてゐる。
あと、原稿用紙の升目の左側によせて書く、とかね。
しかし、どうやつても似ないのだつた。

次にいいなと思つたのは、高校の時の古典の先生の字だつた。
達筆、とか、うまい字、といふのではない。
黒板に書かれたその字は、なんとも味はひがあつた。
それでゐて、読みづらいといふこともない。
どちらかといへば小振りな字で、たとへば門がまへなどを略して書くときもきちんとした書き順で書いてゐた。
どこか自己流なのにきつちりしてゐる。
さういふところが好ましかつたのかもしれない。

いまでも縦書きにするときはこの先生の字の影響が残つてゐるな、と思ふことがある。
でもきつと当時の同級生に見せても「どこが?」と一蹴されるにちがひない。
そのていどにしか似なかつた。

「人形劇三国志」の番組の途中にはさまれる説明書きの字も好きだ。
最近の理想はこの字である。
「す」なんか好きな形なんだよなー。
あと「月」ね。あの「月」はいい形だ。
DVDを買つた直後は長いこと番組を見るので、それなりに自分の書く字に影響があつたやうに思ふのだが、昨今は夜寝る前に三分とかせいぜい五分とかしか見ないので、なかなか説明書きまでたどりつかなかつたりするせゐか、全然似なくなつてしまつた。
影響があつた、と思つたのが気のせいだつたのかもしれない。

そんなわけで、やつがれの頭の中には「こんな字が書きたい」といふ理想はあるんだと思つてゐる。
でも再現できない。

字が下手になつていくのは、さういふ理想を忘れてゐるからなのかもしれないなあ。

Thursday, 21 April 2016

ただの悪でなにが悪い

先日、Twitter のタイムラインに「今日は成田三樹夫の命日」といふつぶやきが流れてきた。
思はず「成田三樹夫といへばあの目が、ねえ」とつぶやいたところ、「ニヒル」といふリプライを頂戴した。

「ニヒル」と呼べる俳優がゐなくなりましたね。

さうなんだよねえ。
俳優自体も問題なのかもしれないが、昨今の悪役には「悪役にも五分の魂」とでも云ひたげな、「オレにだつて理由があるんだよ!」といふ役が多い。
そればかり、といつてもいいかもしれない。

この「悪役にも五分の魂」状態は、すくなくとも四十年前にはもうあつた。
たとへばロボット・アニメーションもの。
「勇者ライディーン」のプリンス・シャーキンと、「超電磁ロボ コン・バトラーV」の大将軍ガルーダとを比べてみるとわかる。
シャーキンの生ひ立ちには設定はあるが番組中ではあまり出てこなかつた。
ガルーダの過去といふか生ひ立ちといふか「実ハ」は、番組内できちんと描かれてゐた。
書いてしまふとネタバレになつてしまふので、といつて「コン・バトラーV」のネタバレを気にする人ももうゐないかもしれないが、まあ、ここはひとつ。

つづくプリンス・ハイネルなんかはひよつとしたら主人公よりもよほど背負つてゐるものが大きいんぢやないかといふ気もするし、リヒテルに至つては助けてあげたくなつちやふやうなそんな悪役だつた。

当時はそれが新しかつたのかなあ。
「さういふもの」として受け入れてきた自分にはよくわからない。
「闘将ダイモス」よりもうちよつとあと、「機動戦士ガンダム」が放映終了後やつと日の目を見るやうになつたころ、かな、「ただの悪ではなかつた」といふ表現をよく見聞きするやうになる。
ガルーダやハイネルのやうな悪役が増えた、といふことだらう。
やつがれはこの「ただの悪ではなかつた」といふ評を妙に厭うてゐた。
ただの悪でなにが悪い!
こども心にさう思つてゐたのだらう。

特撮戦隊物でもいつしか「悪役同士の対立」がひとつの見せ場として取り入れられるやうになつてゐた。

二時間ドラマの影響もあるのかなあ。
犯人には犯人のドラマがある。
やむにやまれぬ事情がある。
ゆゑにラストシーンはどこかの崖つぷちで、身を投げやうとする犯人に「死んぢやダメ!」とか説教をするやうになつたのだらう。
さう勝手に思つてゐる。

ひとり時代劇だけは、悪は悪として描かれてゐたやうに思ふ。
「水戸黄門」で悪役が「わたくしにも事情があつて」とか弁明するの、見たことないもんね。
「鬼平犯科帳」はちよつと別かな、とも思ふが、単に悪な役も出てきたこともある。

悪役の背景も描く。
作り手にとつては、楽しいことなのかもしれない。
主人公よりよほどおもしろさうだし。
どうしたら人間は悪になるのか。
興味の尽きぬところではある。

でもさー、歌舞伎に出てくる悪にはそーなつてほしくないんだよね。
といふのが、今月「不知火検校」を見ての感想なのだつた。

芝居の終盤、こどものころから数多の悪事を積み重ねてきた不知火検校は「金で心を変へるのは誰しもおなじ」とかなんとか、自分ひとりが悪いのか的な長広舌をふるふ。

あー、はいはい。
どうでもいいんぢやんよ、そんなのは。
仁木弾正が「権力を握りたいのはほかの奴らもおなじ」とか云ふかね。
民谷伊右衛門が自身がどうしてかうなのか、弁明するかね。
しないね。
しない。
芝居の、歌舞伎の悪とは、さうしたものだ。
他人は知らずやつがれは、さうした悪が見たくて歌舞伎を見に行く。
理屈を聞きたいわけぢやないんだよねー。

といつて、「不知火検校」がつまらなかつた、といふわけではない。
以前新橋演舞場で見たときもおもしろいと思つたし、松本幸四郎にあつた役だと思ふ。
それと、歌舞伎として見ておもしろいかどうかはまた違ふ。

といふわけで、「いい悪役」につづくのか。
「いい悪役」が仁木弾正とか民谷伊右衛門とかつてわかつちやつたのでもういいかな。

Wednesday, 20 April 2016

「好き」に理屈をこねてみる

歌舞伎のなにが好きなのだらう。

去年、「歌舞伎のどこが好きなの?」と訊かれることがあつて、はたと考へ込んでしまつた。

どこのなにが好きなんだらうなあ。

役者か。
はづかしながら、「この役者が好き!」といふのは実はない。
入り待ち出待ちとかしたことないしね。
あ、出待ちは一度だけ、大阪中座でおつきあひでしたことがある。
勘九郎(当時)・八十助(当時)の七月公演ね。
お隣に座つてゐた人が出待ちをする、といふので誘はれたのだつた。
役者よりも周囲のやうす、徘徊するサンドイッチマンとかその看板に書かれてゐたことの方が印象に残つてゐる。
あと、藤十郎(紀伊國屋、な)の姿は最後まで見なかつたな、とか。

後援会にも入つてゐない。
役者を応援するといふことは、その家自体を応援することだと思つてゐる。
「この家ならずつと応援できる!」といふのが残念ながらない。
あと、群れるのが嫌ひといふのも理由のひとつではある。
できるだけ所属先を持ちたくない。

ある役者が好きだから見てゐるわけではないその証拠が今月の二月の歌舞伎座夜の部だ。
「籠釣瓶花街酔醒(以下「籠釣瓶」)」よりも「源太勘当」の方が自分にとつては好ましい芝居だつた。
このふたつの芝居に出てゐる役者の中で一番好きなのは中村吉右衛門であるにも関はらず、だ。

上演の順番は「源太勘当」「籠釣瓶」だつた。
「源太勘当」がよくてなあ。
見に行く前にあちこちから「籠釣瓶」がいいといふ話はたくさん聞いてゐたけれど、「源太勘当」への感想はほとんど耳にしなかつた。
え、こんなにいいのに。
といふことは、「籠釣瓶」はこれをはるかに凌駕するよさなのだらうか。

そんな期待とともに見た「籠釣瓶」はもちろん大変すばらしくはあつたけれど、「源太勘当」を超えるものではなかつた。

二月の「源太勘当」のなにがそんなにやつがれの心をとらへたのか。

梶原源太役の中村梅玉を見て、「高砂屋さんで見たかつたのはこれだよ!」とつくづく思つた。
千鳥の片岡孝太郎、梶原平次の中村錦之助、横須賀軍内の片岡市蔵、珍斎の市村橘太郎、そして延寿の片岡秀太郎。
いづれもぴつたりはまつてゐた。
ことに延寿は前半の憂ひと後半の憂ひとの違ひとがそれとなくわかるやうな風情がたまらなかつたなー。
その上、芝居全体として調和してゐる。
今後、こんな「源太勘当」はちよつとないんぢやないか。
さう思つたのだつた。

「籠釣瓶」は、まあ有り体に云ふと、「播磨屋さんで見たいのはこれぢやないんだよね」と思つてしまつたのだつた。
尾上菊五郎も然り。
音羽屋と播磨屋とが一緒に出ててこれはないんぢやない。
二月は昼の部もさうだつたけれど。
もちろん、尾上菊之助の八橋はすばらしかつたし、中村米吉の初菊の可愛らしさといつたら! だつたし(後ろ姿がデカく見えてしふのが難といへば難だが)、播磨屋の佐野次郎左衛門の「ことによつては」といふセリフのあとの中村梅枝の九重の「ええ」といふ、その云ひ方、間、イキ、すべてそろつたよさといひ、云ふことない芝居ではあつた。

でも「源太勘当」の方が好きなんだなあ。

以前は、「歌舞伎が好きなのはこどものころ好きだつたものがたくさん出てくるから」だと思つてゐた。
「源太勘当」でいへば源太とか平次とか、その父親の平三ね。
源太と佐々木高綱との宇治川の先陣争ひとか、いけずきするすみとか、幼いころよく読んだ。
それがそのまま(でもないけれど。「熊谷陣屋」とか)出てくる。
それがいいんだと思つてゐた。

それは確かにさうなんだらうけれど、それだけではないかもしれない、といふことに最近気がついた。

最近気がついた好きな理由。
それは、「いい悪役がたくさん出てくるから」だ。
「いい悪役」つてなんだか矛盾してるけど、そこもいい。

といふ話はいづれするつもりでゐる。

Tuesday, 19 April 2016

岸裕子な色合ひでタティングしてみる

タティングレースのネックレスを作つた。

Bead Tatted Necklace

スワロフスキー#5000の6mmを入れたのだが、その周囲のスティッチが足りなくて難儀した、といふ話は先週書いたとほりである。

デザインは藤戸禎子。
糸の色やビーズの色・大きさ、スティッチの数とビーズの数となどは自分で勝手に決めた。
よつて「デザインは藤戸禎子」と書いたが、その著作にこのネックレスとおなじものは出てこないはずだ。
糸は都羽根の粉錫、ビーズはTOHOスリーカットビーズのCR508、スワロフスキーはオリーブABを使用した。

先週も書いたとほり、スワロフスキーの周囲にくるスティッチの数が足らなかつた。
ほどいてやりなほすこと一度ならず。
「これくらゐなら大丈夫かな」とやつてみると、今度は多すぎたりするんだよな、これが。
試行錯誤をくり返すのに、絹穴糸は向いてゐない。
撚りも弱くなるしうまくほどかないと毛羽立つし。
すくなくともやつがれはさう思つた。
粗忽者だからなー。

できあがつたのは当初の想定とは違ふものになつた。
予定ではスワロフスキーの周囲のスティッチにもビーズをあしらふはずだつた。
ほどいてやりなほした際、「ビーズはない方がすつきりしていいかも」といふので入れぬことにした。
これはこれでよかつたんぢやないかと思つてゐる。
今回の教訓をもとに、さらに別なものを作つてみたら、なにがしか得るものがある気がするのだが。
いまのところその予定はない。
そんなにネックレスばかり作つてどうする。
理性がさういふからだ。
また、手持ちの糸とビーズとを見比べて選ぶ時間もなかなか取れない。
新たな糸やビーズを買ひ足すのは不本意だ。

しかし、上達するには多作するしかない、といふ話もあるんだよなあ。
どんなにひどい出来でも、とにかく作る。
だいたいプロ野球の大打者だつて三割打てるかどうかなのだ。
毎回毎回うまいものができる方がどうかしてゐる。
それもそのとほりだ。
糸とビーズとは売るほどあるしね。
ちよつと考へることにしたい。

ところで、今回の色あはせには元になるイメージがあつた。
岸裕子のまんがである。
確か「別冊少女コミック」だつたと思ふ。
全三回くらゐの連載で、「薔薇の嵐」といふまんががあつた。
このまんがの扉絵のカラーが、ちやうどこんな感じだつたと記憶してゐる(間違つてゐるかもしれない)。
灰色に緑色。
登場人物の髪の色と目の色と、だつたと思ふ。
岸裕子はカラー作品に灰色を多用してゐたといふ印象がある。「玉三郎恋の狂騒曲」シリーズにも灰色の印象の強い扉絵があつたやうに思ふ。
それでゐて地味だと思つたことがない。
どこか華やかなのだつた。
それは、今回ビーズに用ゐた緑やその他の色が効果的に使はれてゐたからだらう。
岸裕子といふとあと黄色と茶色との組み合はせのカラーページを思ひ出す。あれもいい色合ひだつたなー。

といふわけで、このネックレスも「薔薇の嵐」と名前をつけてもいいのだが。
知らない人は「どこが「薔薇」でどこが「嵐」なんだよ」と思ふことだらう。
登場人物の名前をとつて「ロマネーシュ」といふのもありかな、とも思ふ。
しかし、音の響きがなんだかちよつと気恥づかしい。
やはりここは名無しの一手だらう。

Monday, 18 April 2016

アキラとマチコとモンド

もうせん、中尾彬のマフラーが気になつてゐる。

マフラーといふよりは襟巻、もしくは首巻とでもいはうか。
あのねぢねぢとねぢつた感じ。
気になるなあ。

Web検索をかければきつとやり方とかなんとか書いてあるんだらう。
そのうちやつてみやうか知らん。

どうも編みもの者とか織りもの者とかで身につけるやうなものを作る人間は、他人のしてゐるマフラーとかショールとかストールとかが気になるやうだ。
秋から冬にかけて、街中で気になるマフラーをしてゐる人を見かけると、つひ追尾しさうになつてしまふ。
行き先がおなじ方向ならそれとなくついて歩いてマフラーを見てしまふ。
ストーカー?
いや、さすがにご自宅まで押し掛けたりはしませんよ。

そんなわけでTVを見てゐても気になるところはおなじだ。
なかでもずつと気になつてゐるのが中尾彬の襟巻(といふことにしておかう)なのだつた。

細い毛糸で色や模様の違ふ細長いものを二本か三本編んで、ねぢりあはせたら、あんな風にならないかな。
そんなことを考へてゐる。

似たやうなデザインのものは、太い糸を使つたものなら本でも見かける。
糸が太い方がかのこ編みなどはくつきりはつきり出るのがいいのだらう。
しかし太い糸で編んだら中尾彬にはならない気がする。
細い糸で、編み込み模様なんかもいいかもしれないな。
あるいは単にしましま模様。それもバイアスだつたりするとおもしろいかも。
はたまたひたすらメリヤス編みで編んでくるんと筒上にまるまつたものを使ふのもおもしろいかもしれない。この場合は長辺を作り目するのかな。さもなければi-code。
いろいろアイディアは膨らむ。

ショールと有名人といへば氏家真智子だ。
「君の名は」の、あの真智子さんである。

こちらにその写真がある。

記念切手の写真でも岸恵子演じる氏家真智子が「真智子巻き」にしているのはヂヤンテイ織りのショール(といふかストールといふか)だ。
クリス織器を使つたものであらうことがわかる。
Wikipedia によると、岸恵子は横浜でこのショールを買つて、北海道での撮影に持つていつたのだとか。
寒くて頭と首とに巻き付けてゐたところ、そのまま映画でもその姿で出ることになつた。
毛糸はなんだらうなあ。そんなに細くはないのか知らん。国産かなあ。
写真の印象からはちよつとモヘアが入つてゐるやうにも見受けられる。まあ、単にちよつとボケてゐるからかもしれないけれど。
真智子のショールがヂヤンテイ織り、と聞いたときは是非作つてみたいやうに思つたが、いまはそれほどでもない。
だいたい色がわからないしね。
白だつたのかなあ。
なんとなく淡い水色や桃色黄色のやうな印象もある。
当時はヂヤンテイ織りのショールが売られてゐたんだな。

撮影待ちのあひだ寒いので首に巻いてゐたのがそのまま撮影時にも採用された、といへば中村主水だ。
話によると、撮影待ちのあひだ寒いので藤田まことが小道具の人に借りた布を首に巻いてゐたところ、監督が気に入つてそのまま撮影することになつた、といふ。
以降、首巻姿が主水のトレードマークになつてゆく。
主水の場合、素材はなんだらう。
とりあへず、技法はあみものではないことだけは確かだ。織りだね、どう見ても。
当時のことだから、麻か綿か。
絹、といふことはないと思ふんだよね。贅沢品だし、あの張りのある生地のやうすは絹ぢやないんぢやあるまいか。
手ぬぐひのやうな素材だつたのかなあ。

真智子さんの巻き方も方がすてきだけれど、主水もなかなかいい。
生地をぐるりと首に一巻きし、両端を前に垂らして襟の中に入れてゐる。
両端が邪魔にならないやうになつてゐるわけだ。
当時の人はみなさうだつたのかもしれないけれど、危機管理のひとつのやうに受け取れるところがいい。
首巻の両端を取られて首を絞められたらたまつたもんぢやないもんね。

いま歌舞伎座の夜の部にかかつてゐる「沙門空海」では市川染五郎が主水めいた首巻を巻いてゐると聞いた。
ちよつと楽しみである。

Friday, 15 April 2016

普段着の襲名披露公演

襲名披露公演つて、こんなだつたらうか……

昨今の歌舞伎役者の襲名披露公演の演目と配役とを見て、ぼんやりとそんなことを考へてゐる。

かつては襲名披露公演といへば一大イヴェントだつた。
大幹部ひしめきあひ、豪華な顔ぶれで豪華な演目・配役の饗宴。

さういふ感じだつたと思ふのだ。
襲名する役者がいい演目・いい役を演じるのは当然として、おつきあひの大幹部を見るための演目・配役といふものも別に存在した。

それが、どうだらう。
たとへば先月の歌舞伎座の演目・配役とか。
これ、別に襲名披露公演でなくても、いいよね。
全然特別感がない。

去年の四月の歌舞伎座もさうだ。
え、これが襲名披露公演?
すでに大阪松竹座で襲名披露をすませてゐるからかもしれないけれど、あれはちよつとないだろうといふやうな演目・配役だつた。
顔ぶれは豪華なのにも関はらず、だ。

1992年の四代目中村梅玉・九代目中村福助襲名披露公演を見てみやう。
同時襲名といふこともあつたからかもしれないが、四月の歌舞伎座の夜の部の一幕目が「絵本太功記」は「尼ヶ崎閑居の場」、吉右衛門の光秀に当時鴈治郎だつた藤十郎の十次郎、芝翫の操、当時松江の魁春の初菊、先代又五郎の皐月、富十郎の
久吉だ。
これ、これだよ、襲名披露公演つていつたらかうだらう?

でも、当時はさう思つてゐなかつた。
襲名披露公演なのだから、これくらゐはあたりまへ。
さう思つてゐた。

襲名披露公演には錚々たる顔ぶれが並ぶ。
その人々が競演する。
つねの興行にはないハレの場。
それが襲名披露公演だつたのになー。

無論、演目・配役といふものは、そのときどきの役者の状態によつて変はるものではある。
当代の梅玉と福助との襲名披露公演のときには、大幹部がほどよくそろつてゐて、それなりに動けた、といふこともあつたらう。
いまはみんなお年も寄つてゐる上にお疲れだからなー。
仕方がないといへばそのとほりだ。
でも客にさう考へさせちやいけないんぢやあるまいか。

襲名披露の口上も、以前は ceremony だつた。
あるときからなかよしグループの楽屋落ちみたやうな内容ばかりになつてしまつた。
新橋演舞場での当代の勘九郎の襲名口上は、かなりおごそかな雰囲気をもつてゐたので、やはり勘三郎はわかつてゐるな、と思つたものだつたけれど。
それに、以前は十三代目の仁左衛門の口上を聞く楽しみといふのがあつて、な。
あれを継ぐ役者はゐないし、今後も継ぐ役者はゐないだらう。

かういふことを書くと「昔はよかつたつていふことでせう」と云はれるのだらう。
それを覚悟で書いた。
襲名披露公演には、華やかで晴れやかな特別な雰囲気がほしいからだ。

今年はこのあと中村芝翫の襲名披露公演が控へてゐる。
「やつぱり襲名披露公演はかうでないと」といふやうな配役・演目になることを願つてやまない。

Thursday, 14 April 2016

My Lifelog の現状

なにを書いてなにを書かないか。
どこになにを記録してゐるのか。
ちよつと棚卸ししてみやうと思ふ。

ライフログは紙のノートに書き付けるよりもスマートフォンのアプリケーションを使ふのが楽だらう。
何時に起きて何時に出かけて何時についてなにをして……といつたことは主にiLifeLoggerを使つてゐる。
ほんたうは「どこに行つた」「誰と会つた」といふ情報も一緒に記録できるものがいいのだが、使ひなれてしまふとなかなかほかのものを使ふことができない。
現在では出勤する日の記録はちやんと取れてゐるけれど、休みの日の記録はあまり取れてゐない。せいぜい睡眠時間くらゐだ。
これは、iLifeLoggerに記録するタイミングがよくくわからないせゐでもある。
出勤する日は、「いまから歩く」「いまから公共交通機関に乗る」「いまから働く」「いまから食べる」といふ区切りが明確だ。
休みの日はさうでもない。
つまり、のんべんだらりんと過ごしてしまつてゐる、といふことだ。
それぢやダメだよねー、といふことがわかるやうになつてゐるので、それはそれでいいのだらう。

勤めの日になににどれくらゐ時間がかかるかはもうだいぶわかつてゐる。
休みの日もさうなるといいのだが。
休みの日になると、ライフログさへ面倒になるんだな。いかんいかん。

ほかに、その日の歩数とかもうすこし細かい睡眠時間などはUPで取つてゐる。

紙のノートに記すものはどうなつてゐるのか。
以前、その日持ち歩くかばんについて手帳に書き記してゐる、と書いた。
これはいまもつづけてゐる。
不要なかばんをあぶりだすためにつけはじめたのだが、最近では記録を見返して「ここのところあのかばん使つてないなー」といふのでひつぱりだしてくるやうになつてしまつた。
それはそれでいいのかもしれない。
持つてゐるかばんとその使用頻度とを把握できてゐるのだし。
これもスマートフォンに記録してもいいのだが、なんとなく手帳に書いてぱらぱらと見返してゐる。正確な使用頻度はわからぬものの、ぱつと見た印象でわかるからかな。

読み終はつた本についても、手帳に記してゐる。
読書メーターを使つてゐるので、Evernote にも残るやうにはしてゐるが、細かい感想などは全部紙のノートに書いてゐる。
いまだと Bullet Journal として使つてゐる MDノートに記してゐる。
紙に手で書いてゐると、ときに「もつと早く書きたいのに」と思ふことがある。
PCに入力することも一時は考へた。
その方が入力は圧倒的に早いしね。
しかし、そのためのフォーマットを考へて、つまつてしまつた。
なにを記録したらいいだらう。
書名、著者名、出版社、出版年月日、出版地、読み始めた日、読み終へた日、場合によつてはISBN番号……
それくらゐは記録した方がいいやうな気もする。
でもいざフォーマットを作つてしまふと、窮屈なんだよなあ。
いいぢやん、出版年月日なんかどーでも、とか。

記録を見返すときに重要なのは、書名と感想とくらゐだ。あ、やつがれにとつては、ね。
図書館で借りた本なら著者名や出版社がわかつた方が、あとからやつぱり買はうと思つたときには役に立つ。
わかつてゐて、でもここでもやはり紙に書き付けてあとでページをぱらぱらめくる方が自分にとつては見返しやすい。
そんなわけで手で書いてゐる。

「東京マッハ」で手ぬぐひを買つたときに、Edit の読書用のノートをもらつた。
今後はこれを使つてみるかな、とちよつと思つてゐる。

あとは万年筆にインキを補充した日、か。
補充したペンで実際に書いてゐるので、紙でなければならない。
もちろん、アプリケーションにペンの名前とインキの名前とを入力してもいいんだけれど、なんとなく、ね。

芝居の感想も紙の手帳だ。
幕間などに書く。
芝居を見てゐる最中にスマートフォンの電源は切つてゐる。
電源を入れるよりもノートを取りだす方が早い。

かうしてみると、もうちよつと休日の記録をとるべきなんだらうな。
のんべんだらりんと過ごしてゐるから無駄なことばかりしてゐるのだらう。
帰宅後もほとんど記録は取つてゐない。
取りづらいといふのもある。
先ほども書いたやうに、「いまからなにをする」といふことが出勤時にくらべて明確ではないからだ。
意識的に「いまからこれをする」「これをやめる」と考へて行動するやうにするか……
実は以前これをやつてあまりにも窮屈でやめてしまつたのだつた。

五月の連休はできるだけ記録を取つてみやうかな。

Wednesday, 13 April 2016

龐統の目線・曹操の目線・董卓の目線

今月に入つてすぐ、飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。

十二月の展示替へ直後に行つたときには、美芳の顔を見つめてゐる龐統にいたく感じ入つたものだつたが。

龐統先生、美芳を見てゐないんですけど。
うつむいて、なにやら考へ込んでゐるやうすなんですけど。
かうだつたかなあ。

今回の展示のメインケースの展示は「玄徳の周辺」で、趙雲と馬超、関羽と関平、玄徳と張飛、孔明と淑玲、美芳と龐統、黄忠と孫乾とがそれぞれ話をしてゐる、といふやうな展示内容になつてゐる。
孔明だけは淑玲から視線をはづし躰もそつぽを向いてゐてなんとなくよそよそしい感じで、あとはちやんと互ひに互ひの方に躰を向けて話をしてゐる聞いてゐる、といつた感じだつた。すくなくとも、角度によつてはさういふ風に見えるやうになつてゐた。
十二月に見たときはさう思つてゐたんだけどなー。

中でも龐統は真摯なやうすで美芳の話を聞いてゐる。
そんな印象を受けた。
話をしてゐるのは美芳だらう。
両腕を広げて、なにやら楽しげなやうすだ。
そんな美芳をちやんと見て、龐統は話を聞いてゐる。
さういふ風に見えたんだけどなあ。

美芳の正面から見える位置から見ると、ちやんと龐統が美芳を見てゐるやうに見えるんだけどね。

十二月に見たときに錯覚したのかなあ。
「龐統先生、ちやんと見てるぢやん!」つて。
さう見たい、さう思ひたいといふ気持ちが、錯覚を呼んだのかもしれない。
ちやんと見てゐるやうに見える角度もあるので、いいことにするか。

目線といふことでいふと、今回は曹操がとてもいい。
これは十二月に見に行つたときにも書いた。
メインケースの向かひのケースは「曹操の王国」といふ展示内容になつてゐる。
曹操はちよつと高いところにゐて、いすに座つてゐる。
その向かつて左隣には郭嘉が立つてゐて、なにやら献策をしてゐるといつた雰囲気だ。
曹操は、郭嘉の方にちよつと首を傾げて目の玉を左側に寄せてゐる。
郭嘉の云ふことを聞いてゐるといつた風情だ。
目の玉の動くカシラの人形は、横に寄せるときつい表情になるものが多い。
曹操もさうだし、呂布、李儒、周瑜、馬超、仲達……枚挙に暇がない。
その曹操の表情に、まつたくきつい感じがない。もの思ふやうすに見受けられる。
こんな表情もできるんだなあ。
とくに、曹操の向かつて右側から見たときがいい。
郭嘉のやうすもよければ、その話を聞く態の曹操がなんともいへずいい風情だ。
今年は五月の連休には飯田へ行かぬ予定だけれど、曹操に会ひに行きたいなぁ。
こんな曹操、ちよつとないもの。

もうひとつ、目線といふと、董卓・呂布・貂蝉が気になる。
すこし離れて見ると、ケースの奥の少し高い位置にゐる董卓と呂布とが手前にゐる貂蝉を見てゐるやうにも見えないことはない。
でもよくよく見ると、一番高いところにゐる董卓の目は呂布を見てゐて、呂布は貂蝉を見てゐて、貂蝉は見られてゐるのを知つてか知らずか、自身とおなじく手前にゐる王允になにか云はれて腰をかがめ礼をしてゐるやうに見える。
この董卓→呂布→貂蝉の三角形と、その外にゐる王允・李儒との五人のかもしだす緊張感がおもしろい。

展示内容は展示替へごとに変はる。
毎回必死でそのときのやうすを覚えやうとするのだが、画像といふのはそれなりに脳のメモリを食ふのらしくて、なかなか覚えてゐられない。
絵が描ければ絵で残しておけるのかもしれないが、なあ。
それで行くたびにしつこくしつこく見てしまふのだが、それでも全然足りてゐない。
展示替へ前にもう一度行きたい。
でも行つても覚えられないことに代はりはあるまい。
さう思つてあきらめるつもりでゐる。

Tuesday, 12 April 2016

knitの逆がtinkなら

tatの逆はtatか。

タティングレースのネックレスは、三歩進んで二歩下がるといつた状況だ。

前回作つたネックレスをもとに、スワロフスキーの6mmを入れたものを作らうとしてゐる。
この6mm玉を入れるところで、失敗してしまつたのだつた。
6mm玉の大きさを把握してゐなかつたのである。

作り始める前に、すでにつくつてあるネックレスと6mm玉とを並べて比較したんだけどなあ。
問題は、糸とビーズとの色が違ふため、前回作つたときよりも若干手がきつくなつてゐたことだらう。
糸とビーズとのの色が違ふので、ピコにビーズを入れた際、ゆるめに入れてゐると糸の色が出てしまつてなんとなくだらしない。
気にしなければよかつたのかもしれないが、な。

そんなわけで6mm玉を入れてから「この目数では足らない……」といふことに気がついた。
仕方ない。延々とスティッチをほどいたよ。とほほ。

藤戸禎子デザインのネックレスは、タティングシャトルに芯になる糸を巻き、ひたすらチェインを作つていくものだ。
リングがないゆゑに、普通よりは糸をほどきやすい。

ただ、絹穴糸を使つてゐるので、ほどくときに糸を痛めないやう気を遣ふ。
綿のレース糸なら、それもいはゆるマーセライズト加工されたものなら、あまり気にしなくてもいいのかもしれない。
また、絹は繊維としてはかなり強いものなので、あまり心配するには及ばないのかもしれない。
でも、毛羽立つんだよね、気をつけないと。
それに撚りもレース糸ほどは強くない。
うつかりすると撚りがほどけてきてしまふ。

できるだけ慎重に慎重に、それでもちよつと撚りが弱くなつてしまつたところがでてきてしまつた。
粗忽ものだからなー。

6mm玉を入れる部分は、三目ほどスティッチを増やすことにした。
最初はスリーカットビーズを入れてピコを作るつもりでゐたけれど、それだと派手になりすぎる気がするので、これもやめるつもりだ。

時折「こんなものを作つて何になる」といふ思ひが脳裡をよぎる。
でもまあ、手芸なんてなあみんなそんなものだよな。
すくなくともやつがれの場合は。

Monday, 11 April 2016

しよつ中編んでないとダメ

くつ下を編み始めてしまつた。

Striped Shawl は、四列めに入つて停滞したままだ。先週すこし編みはしたものの、完成にはほど遠い。

ここのところほとんど編んでないよなー。
このまま編まなくなつちやふのかなあ。
しかしなにも編むものがないのは実に手持ち無沙汰なものである。

そんなわけで、急遽くつ下を編むことにしたのだつた。

ところで、あまり編んでゐないといふことは意外な効果を生むものだ。
今回それに気がついた。

効果と書いたが、あまりいいものではない。

まづ、くつ下を編まうと決めて、しかしどの毛糸で編むかを即決められない。
手持ちにどんな毛糸があるか、思ひ出せない。

あれがあつたはず、と思ひつつ探すと、「え、こんなものが?」といふ毛糸のオンパレードだ。

頻繁に編んでゐるときは、どこにどんな毛糸をしまつてゐるかわかつてゐる。
なにを編むつもりでどの毛糸を買つたのかも、だ。
なので、「あれを編みたいなー」と思つたら、即探し出せる。
しよつ中編んでゐるときには、しよつ中毛糸の在庫(stash)を確認するからだ。

最近はずつと Striped Shawl ばかり編んでゐたし、夏のあひだは風工房のストールにかかりつきりで、ほかのものを編んではゐなかつた。
ゆゑに、いちいち stash を確認する必要もなかつた。
そして、Striped Shawl も ストールも、どちらも編むために新たに毛糸を購入してゐる。

いかんなあ。

今回、「くつ下を編みたい」と思つて、stash をあさると、出るわ出るわ、「あー、この毛糸、買つてあつたんだつけー」とか「あー、これはあれを編むつもりで買つた毛糸」、「なにを編むつもりで買つた毛糸だ?」……

stash には「隠したもの」といふ意味がある。
やつがれの毛糸用の棚はまさに stash だ。
隠したつもりはないんだけどなー。
しかし、結果的にさういふことになつてゐる。

かせで買つたくつ下毛糸はだいぶ玉にしたつもりでゐたのに、かせのまま残つてゐるものがたくさんある。
また、くつ下を編むつもりで買つたわけではないくつ下毛糸もある。
くつ下毛糸の多くは洗濯機で洗ふことが可能だ。それでマフラーやショールを編むつもりで買つたものもある。
手袋にするつもりの毛糸もある。
つもりだけで編んでゐないのだから、くつ下を編んでしまへ、とも思ふが、なかなか踏ん切りがつかない。

「とりあへずくつ下でも」と思つて編み始めるものだから、くつ下を編むつもりで買つた毛糸でも「これはちよつとレース模様でも入れて編みたいんだよね」とか思ふと選べない。
いまはそんな模様の入つたやうなくつ下を編んでゐる心のゆとりがないからだ。

それでさんざん悩んだ末、Regia の Crazy Stripe シリーズの赤い色味の毛糸を選び出したのだつた。

ここまでも大変だつたが、この先も大変だつた。

「くつ下でも編まう」だから、どんなくつ下かは決めてゐない。
単にメリヤス編みのくつ下を編まうか。
あるいはゴム編みとか。
それでもいいんだけど、でも編みたいくつ下は山とある。
そんなわけで、編みたいものリストを見返すのだが、これがまた一仕事なのだつた。
編みたいものが多すぎるからだ。
しかも、「これがいい!」と思つても、選んだ毛糸とあはなかつたりする。
毛糸にあつても「いまはこんな複雑なものを編む余裕がない」といふことになつたりもする。
一応、編みたいものリストは「くつ下」とか「手袋(ミトンや指無し含む)」とか「ショール」とかカテゴリわけはしてゐるんだけどね。くつ下、やたらと多いんだよね。

そんなわけで、結局 Jaywalker を編むことにしたのだつた。
Jaywalker はこれで三足めかな。
四足めかもしれない。
脚の部分を長く編んで、ヨガソックスみたやうな感じにしやうかな。
でもここのところヨガソックスばかり編んでゐたから久しぶりにかかとやつまさきのあるくつ下を編んでおかうか。
編まないと忘れるからね。

Jaywaker は五本針で編むのがおすすめだ。
四本の針の一本一本がそれぞれ一模様になるからだ。
各針の編み始めと編み終わりとに増し目があり、中央に三目一度の減らし目がある。
この減らし目を勘定し間違へると悲惨なことになる。
だからまつたくの mindless knit といふことはないのだけれど、でもまあ、mindless にかなり近いとは思ふ。
昨日、「真田丸」を見ながら編んでみてさう思つた。

そんなわけで、しばらくは Jaywalker を編むつもりだ。

Friday, 08 April 2016

「死者の書」の人形の目線

週末に飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。

人形アニメーションの展示として「死者の書」の登場回数が多い気がするのは、比較的新しくて人形の状態がいいからだらうか。
前回の展示のときに伺つた話だと、「花折り」や「鬼」、「道成寺」の人形は、もうかなりお年を召してしまつてゐるのだといふ。前回の「道成寺」の女はそれまでに比べて動きの少ない状態で展示されてゐた。

ところで、身狭の乳母がゐなかつた。
身狭の乳母のケースには「修繕中」といふ看板があつた。
身狭の乳母は、弦打の最中といつたやうすで展示されてゐた。
ずつと飾つてゐると、弓の状態が変つてきたりなんだりするのだ、と美術館の方が教へてくだすつた。
乳母自体も弓のやうに背をそらし胸を張つてゐて、とてもいさましかつた。
十二月に見たとき「なんてかつこいい」と思つたものだ。
身狭の乳母に会へなかつたのは残念だが、ちやんとなほしてもらつてゐるんだなあと思ふと心強い。

もうひとつ、教へてもらつたことがある。
これまでの展示では、持統天皇は顔を上げてきつと空の彼方をにらんでゐるやうすが多かつた。
今回の展示では顔を上げてはゐない。これは十二月に行つたときも書いた。なにかをにらんでゐるやうな表情は変はらないけれど。
持統天皇はなにをにらみつけてゐるのか。
はす向かひのすこし遠いところにある大津皇子をにらんでゐるのだ、といふ。
ゆゑに大津皇子もわづかに気配を感じて持統天皇の方を気にしてゐる。
さうだつたのか。
気づかなかつた。
なにを見てゐたのだ、やつがれは。
大津皇子はいつものやうに「七歩の詩」の屏風の前に座し、巻物と筆とを手にしてなにやら書きつけやうとしてゐる。
考へてみたら、これまでは前方を向いてゐたやうな気がする。
さうか、ほんのすこしだけ、ふり返つてゐるやうに見えたのは、さういふわけだつたのか。
持統天皇の目力もすごいが、大津皇子の敏感なこと。
恐れ入る。

さう思つてみると、恵美押勝館の大伴家持の視線の先なども気になる。
押勝は、語つてゐる最中だから身振りもあり、目線もあらぬ方を見てゐるやうな感じで違和感は感じない。
だが、その向かひに座つてゐる家持は、押勝を見てゐない。
ほんのすこしだけ視線の向かふ先がずれてゐる。
押勝の話を聞いて「ほんになあ」と、ちよつと思ふところあつて視線をはづしたところなのだらうか。
それとも最初から話を聞いてゐないのか。
気になるなあ。
家持のそばにはべる采女Bが「まあ」、押勝のそばにゐる采女Aが「おほほ」といふ感じなのもおもしろい。

これまで見た中では、語り部の媼は機を織る郎女の隣に立てゐることが多かつた。
今回は、媼は機の手前にきてゐる。
これまでだと「織り方を指南してゐるのかな」といふ風に見えた。
今回は、なにを話してゐるのかなあ。
見てゐるこちらの意識が織りからちよつとはなれる感じだ。
郎女は自分の目の高さから見るとなんとなく無表情に見えるが、目線の高さをあはせると、なんともやさしげな表情をしてゐる。
あちらこちらから見てしまふ所以である。

目線の話は次回もつづく。

Thursday, 07 April 2016

紳々竜々と「世間胸算用近頃肚裏表」

週末に飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。

六月の展示替へ前に一度行きたかつた。
ほんたうはりんごの花の咲くころに行きたい。
去年は五月の連休に行つてみたら、あたたかい日がつづいてゐたので花はすつかり散つてしまつてゐた。
今年もあたたかさうなので、連休にはもう花の盛りは過ぎてゐるだらう。
今回は、代はりといつてはなんだが桜があちこちで咲いてゐた。

展示替へ前に行きたい理由のひとつが展示室を入つてすぐ目に入る紳々竜々だ。
ホストよろしく片膝をついて「いらつしやいませ~」といつたやうすであることは展示替へ後のエントリで書いたとほりである。
このやうすがよくてなー。
紳々竜々は、人形劇で見てゐても、愛嬌のある動きがとてもいい。可愛いといふべきか。
声がアレなのであまり「可愛い」と思へないのだらう。
音声のないところの動きとか、メチャクチャに動いてゐるやうでちやんと考へられてゐるやうに見える。
これも以前書いたやうに、「ことわざ三国志」に出てきて立間祥介のそばに寄つていくさまなんか、とても紳々竜々らしいし、愛らしいといつてもいいほどだ。

展示室入口の紳々竜々は、竜々が手前で紳々がおくにゐる。
くりかへしになるが、竜々はまぢめなちよつとかたくるしい感じで、紳々はくだけた感じになつてゐるところもおもしろい。
かうしたふたりが見られるのも来月いつぱいくらゐだらう。

展示室の外、ホワイエに飾られてゐる「世間胸算用近頃肚裏表」の人形も、展示替へ前にどうしてももう一度見ておきたかつた。
ウレタンで作られてゐるといふ話で、気をつけないとちよつと触るだけでぼろぼろとくづれてきてしまふ、といふ話を聞いたからだ。
もしかするともう会へないかもしれない。
さう思つたのである。

美術館では午前と午後と通常は二回づつ上映会を行つてゐる。上映されるのはほぼ川本喜八郎の人形アニメーション作品だ。
今回の展示のあひだはどうやらこの「世間胸算用近頃肚裏表」が毎月ブログラムに入つてゐる。
「世間胸算用近頃肚裏表」は、人形アニメーションではない。
川本喜八郎は「爆笑浄瑠璃」と呼んでゐたといふ。
床の義太夫にあはせて、ウレタンでできた人形を三人で操る人形劇だ。
語りは豊竹呂太夫、三味線は鶴澤清治。
人形劇の冒頭に黒衣が出てきて「とーざいー」と
口上を述べてゐるのは川本喜八郎とのことだ。

「世間胸算用近頃肚裏表」は、都心から電車とバスとを乗り継いだ先にある郊外に念願の「マイホーム」を構へた一家の姑と嫁との本音と建前の物語だ。
嫁も姑も、互ひに互ひを思ひやつて暮らしてゐるが、それは表向きで、内心相手のことを憎くて憎くてたまらないと思つてゐる。
ときに名作の文句を借りながら、詞章もおもしろをかしくできてゐる。
語る呂太夫がまたいいんだな、これが。
三味線ははたいふべきにもあらず、だ。
文楽では……できないかなあ。
文楽でも十五分くらゐの短い作品を作つて上演すればいいのに、と、見てゐて思つた。
あんまり短いと採算がとれないかな。

人形劇に出てくるときの人形と、ホワイエで見る人形とは違つて見える。
人形劇のときは、手袋状になつてゐるところに操演者の手を入れて遣つてゐるからかなあ。
展示されてゐる人形の手は手首のところでぎゆつとしぼられてゐて、人形のサイズにふさはしいやうな大きさになつてゐる。ちよつと見たところヒトデのやうにも見える。
人形劇で見たときとは印象が変はる。
手の表情ひとつで全然見え方が変はつてくるものなのらしい。
映像と実物との違ひといふことも当然あるのだらうけれど、この見え方の違ひがおもしろい。

再訪なのに、長くなつてしまつた。
「死者の書」の人形たちとか、前回見たときに美芳を見てゐるやうに見えた龐統が今回見たら見てゐないやうに見えたとか、くつの先とか剣の柄とかはまたの機会に。

Wednesday, 06 April 2016

展示替へを待つ

渋谷ヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーの展示については、次の展示替へまで待つつもりでゐる。

四月二日に見に行つたときにあまりの変はりやうに思はずTwitterに衝撃を受けたとつぶやいてしまつた。
早計だつた。
いまとなつては大勢の目に触れたあとなので問題のつぶやきを削除はしない。

川本プロダクションのblogに、渋谷区との展示委託業務が三月三十一日で終了したといふお知らせが掲示されてゐる。
四月一日にギャラリーの前を通りかかつたところ、エスカレータ正面のディスプレイの中身が変はつてゐて、ギャラリー外の子供時代の牛若丸と静との姿も以前とまつたく違ふ形になつてゐた。

渋谷区では、二月から展示委託の事業者を公募してゐた

これは推測だが、おそらく三月三十一日の閉館から四月一日の開館のあひだに新たな事業者の方々が大慌てで展示替へをしたのだらう。
四月二日にあらためて見に行つたところ、人形が減つてゐて、ただ立ち尽くしてゐるやうな展示に変はつてゐた。身につけてゐたものもや、衝立などの小道具(大道具だらうか)もなくなつてゐるものがあつた。

時間がなかつただらう中で、ある程度は仕方のないことなのかな、と思つてゐる。
経盛や弁慶が見るからに傾いてゐたり、人形に生気がないやうに見えるのも、さういふことなのかもしれない。

ゆゑに、次回の展示替へを待つことに決めたのだつた。

今後、気になることは二点ある。
一点は、人形のローテーションだ。
これまでは初回をのぞき半年に一度展示替へがあつた。
半年間展示されてゐた人形は基本的には次の半年間は展示されてゐなかつた。
半年のあひだ、強い照明にさらされつづけた人形を休めるためのことだと思ふ。
今後はどうなるのだらうか。
人気のある人形はずつと展示されつづけることになるのだらうか。
見に行く側としては、好きな人形はいつでもみたい。
だがそれは人形の命を縮めることになる。
博物館・美術館の展覧会でも、二ヶ月ほどの展示のあひだに二回、場合によつては三回四回と展示替へを行ふものだ。
今後もローテーションが行はれることを願つてやまない。

もう一点は、小道具その他のことだ。
人形は渋谷区が買ひ取つたもの、と、去年の人形損傷の記事に書かれてゐる。
しかし、小道具その他はどうなのだらうか。
ギャラリー外のディスプレイに飾られてゐた琵琶や扇が撤去されてしまつたといふことは、小道具などは川本プロダクションから貸し出してゐたものなのではあるまいか。
孔明の白羽扇はさすがに違ふとは思ひたいし、関羽や張飛、呂布の得物もだらうと信じてはゐる。
馬はどうなのだらう。
三国志の人形は人形劇に出てゐたものではない。新たに作つたものなので、おそらくは渋谷区のものなのだらう。
でも平家物語はどうだらうか。
四月二日の時点で馬もギャラリーにはゐたけれど、馬に乗つてゐた人形はみな馬から下りてゐた。
もしかしたら馬も貸し出されたものだつたのかも?
さうすると、今後は、たとへば玄徳が乗つてゐないときは義経が白竜に乗つてゐたりするのだらうか。
するのかもしれないなあ。
それとも人形を馬に固定する道具が渋谷区のものではなかつたのだらうか。
それもありうる気がする。
経正が青山を弾ずることはもうないだらうし、忠度が小鼓、宗盛が大鼓、徳子が琴を手にすることももうないのだらう。

さういや前回の展示では人形劇で一度だけ使はれた曹操のカシラが使はれてゐた。
関羽にもある。
関羽の特別なカシラは人形劇では二度使はれてゐる。
もう見ることももうないのだらうなあ。
まあ、関羽のあのカシラはちよつとどうかとも思ふけれど。
川本喜八郎自身が「使はれないかもしれないけどね」と云ひながら見せてくれたカシラなんだけどね。
ほかにも張飛の眠りのカシラとか、探せばいくつかあるはずだ。

四月二日時点の展示を覚えてゐるかぎり書いて終はりにする。
ゐなくなつてゐたのは、樋口と斬り手、義高、梶原、土肥、畠山、鷲尾、けが人二名、後白河法皇、駄五六といつたところだらうか。
今井四郎のざんばら髪は坊主頭になつてゐて、経盛の手元にあつた風呂敷や敦盛の袖などはなくなつてゐて、千手の隠れてゐた衝立もない。
馬に乗つてゐたものはみな下馬してゐて、兜をかぶつてゐたものは脱いでゐる。手にした小道具もはづされてゐる。
残る人形はみな立ち尽くしてゐるやうな感じで展示されてゐる。
ひとり巴だけはちよつと右を向いてゐて、表情があるやうにも見える。
いま見に行つたらまたちよつと変はつてゐたりするだらうか。
機会があれば立ち寄りたい。

Tuesday, 05 April 2016

同系色か否か

結局、タティングをしてゐる。

先週、ビーズタティングでネックレスを作つた話を書いた。
このネックレスは、模様をいくつ並べるとちやうどいい長さになるのかはかるために作つたものだ。
最終的には、途中にパールビーズなりチェコビーズなりスワロフスキーなりを入れたネックレスを作りたい。
つまりあみものでいふところの swatch、ゲージをとるためのものであつたといつてもいい。

日曜日に手持ちのビーズや糸を吟味した。
色やサイズ、手持ちの数などを考へると、この写真のビーズと糸とがいい気がした。

Bead Tatting

ビーズはトーホーのスリーカットビーズ CR508、スワロフスキーは #5000 6mm Olive AB。
糸は都羽根の粉錫と老松と、どちらにするか悩んだ。
同系色で老松にするか。
それとも白に近い灰色である粉錫にするか。
粉錫は、ほかの色のビーズとも合はせやすい。ここは老松にしやうか。
だが全体に緑だと使ふ場面を選ぶかもしれない。この色の服には合はない、とかさ。

といふわけで、老松はこれ一巻きだけだけれども粉錫はほかに二巻きほどあつたので、粉錫にしてみた。

先に作つたネックレスを何度も見返して、どこにスワロフスキーを入れるか、案を練った。
中央に10粒くらゐ入れるつもりでゐる。
ひとつ置きくらゐかな、サイズからいつても。
大ざつぱに考へて、つくりはじめた。

日曜日は家の中は寒くてストーヴをつけたくらゐだつたが、あみものはしなかつた。
ストーヴをつけるくらゐならすればよかつたのにねえ、とは昨日も書いたとほりである。
その替はり、「真田丸」を見ながら作つたのがこれである。

Bead Tatting

作りはじめて、糸の色は老松にしておくべきだつたかな、と思つた。
ビーズ入りのピコを作るときにビーズに通つた糸をきちんと引かないと、ビーズとビーズとのあひだから糸が見えるやうになる。
同系色でない場合、糸の色が気になるのだ。
細かい話かなー。
これを解消しやうとすると前にネックレスを作つたときよりもきつく糸を引くことになる。
つまり、swatch よりも手がきつくなるといふことだ。
swatch、あんまし役に立たないぢやん。
あみもののゲージなんてのはそんなものかな。

いまはまだスリーカットビーズのみの部分を作つてゐる。
スワロフスキーを入れる段階になつて「やつぱり作業が細かくてイヤ」なんてなことにならないことを祈つてゐる。

Monday, 04 April 2016

使はないけど編みたい

例によつて編めてない。

すつかりあたたかくなつてしまつた。
もう膝の上に編みかけのショールを置くなどといふこともむづかしい……

と書きながら、昨日は実は寒くてストーヴをつけてしまつたのだつた。
ストーヴをつけるくらゐなら、ショールも編める。
そのとほりである。

その一方で、フリースなど室内での防寒に使つてゐた衣類はだいぶ片づけてしまつた。
寝間着だけは着ることもあるので出してはあるけれど。

自分で編んだものも片づけないとなー。

例年、編んだものの片づけは五月の連休に行ふのがつねだつた。
連休のうち、晴れて乾いた日を選んで編んだものを洗つて干す。
そしてしまふ。

それが、ここ二年ほどできてゐない。
連休中に出かけてゐてできなかつたことが一回。
なかなか晴れの日にあたらなくてできなかつたことが一回。
そんな感じかな。

だいたい五月の連休中といふのは、天気の悪いことが多かつたりもする。
こどものころ、五月の連休に異様に気温が下がつたことがあつて、それで体調を崩してしまつたことがある。
去年は出かけずに家にゐた日はあまり天気がよくなかつたんだよね。

それともうひとつ、編んだものが増えすぎた、といふのも理由としてある。
五年ほど前までは、くつ下とかマフラーとか、編んでも精々ショールとか、いはゆるこものしか編んでゐなかつた。
五年くらゐ前から、着るものも編むやうになつた。
カーディガンとかね。セーターとか、一昨年あたりはポンチョといふ名の五分袖セーターのやうなものも編んだ。
着るものといふのは、前身頃と後ろ身頃とがあつて、普通に置くとかさなる。
編み地はそもそも厚いものだけれども、かさなるとさらに厚くなる。
そして乾きも悪くなる、といふ寸法だ。

だから何度かにわけて洗ふことになる。
一日ぢや終はらない。
それで連休の後に持ち越すことになつてしまふ。

この秋冬は着るものは編まなかつた。
毛糸が減らないはずである。

でもなー、Striped Shawl は仕上げたいよなー。
五月の連休の洗濯の日にあはせて、なんとか仕上げたい。
水通ししたらしまふだけになりさうだけれども。

Friday, 01 April 2016

二度目の月次レヴュー

Bullet Journal に四月の Monthly Log を作った。

三月のときは大変苦労したが、今回は楽に済んだ。
三月との違ひは、Future Log があること、だらう。

以前も書いたやうに、二月に Bullet Journal をはじめたときに見た Bullet Journal の紹介動画には Future Log が存在しなかつた。
それで、日付の決まつてゐる予定を Daily Log に書いてゐた。
三月の Monthly Log を作る際、二月の Daily Log をすべてさらはなければならなかつた。
結構時間がかかる作業だつた。

また、三月になつた時点で Future Log も作成した。ここでも二月の Daily Log を全部見直して Future Log に書き込んでいつたので、やはり時間がかかつた。

こんなに時間がかかるやうだと、月の変はり目は毎回大変だなあ。
さう思つてゐたが、今回はそれほど大変でもなかつた。
ToDo といふか Task だけは三月の Monthly Log で未完了のものをさらふだけでなく、Daily Log を全部見直す必要があつたが、ね。

すでに一度 Monthly Log なり Future Log なり Daily Log なりに書いた内容をまた書くことに意味があるのか。
さういふ向きもあると思ふ。

また書くことに意味はないかもしれないが、また書かうとすることでまだ必要なことかさうでないかを判断することができる。
Getting Things Done (GTD) にもあるでせう、レヴューといふのが。
GTD では毎週レヴューを行ふ。
Bullet Journal の場合は、毎週やりたい人は毎週レヴューしてもいいし、普通に使つてゐたら毎月やることになる。

スライド手帳を使ふやうになつて、週次レヴューも必然的にするやうになつてゐたやつがれだが、ここのところは Bullet Journal にあはせて月次レヴューをするやうになつてゐる。

週次と月次とどちらがいいのか。
人それぞれだとは思ふが、週次の方がいいやうな気はする。
一月たつと「なんでこんなこと書いたんだつけか」と思ひ出せなくなることも出てくるし、季節にあはせた予定やToDoだと一月後にはあまり意味のなくなることも出てくるからだ。
レヴューについては、いま使つてゐる MDノートの新書サイズが終はつたらスライド手帳に移行するつもりでゐるので、レヴューも週次になるかな、と思つてゐる。

Bullet Journal を使ふやうになつて、日々の細々としたことどもをうまく拾へるやうになつてきたやうに思ふ。
次はその先かな。
なにか予定を立ててそこに向かつていくのに使ふ、とか。
たとへばこの blog のエントリ用のメモを充実させる、とか。
あみものやタティングレースの作成に関することを書いてみる、とか。

なんか、さういふやうなことをやつてみたい。

その前に、もつと思ひついたことを書き出すことからはじめるかな。

2016年3月の読書メーター

2016年3月の読書メーター
読んだ本の数:6冊
読んだページ数:1516ページ
ナイス数:18ナイス

平家物語 (下巻) (角川ソフィア文庫)平家物語 (下巻) (角川ソフィア文庫)感想
こども向けの「平家物語」とはだいぶ異なる部分がある。義仲は「腹の皮がやぶれるほど食へ」とは言はないし、重忠は愛馬を背負つたりしない。景時が結構いい人。ここら辺はもしかするとほかの版にあるのかはたまた「吾妻鏡」とかなのか。上巻では富士川の合戦の伏線(実盛の脅し)がおもしろいなあと思つた。下巻はやつぱり熊谷かな。実際にさうだつたんだらうけど、まづ我が子の戦での怪我があつて、それから敦盛といふのがきいてゐる。
読了日:3月2日 著者:佐藤謙三
SFまで10万光年以上SFまで10万光年以上感想
なぜ自分がおたくになれないのか、おたくではないのかがよくわかる本。また、おたくではないのにおたくつぽいと思はれることがあるのは、引用好きだからなのかー、とうなづきながら読む。この本も引用したい部分ばかりだし。巻末の大森望と岡部いさくとの対談ではこの本自体が引用だらけなのださうだけれども。四年前のオリンピックのときの記事の〆が「たぶん4年後にも…(略)おんなじこと考えるんだろうなー。」で、「さうだよ、四年後の今年、またおんなじことを考えてゐてほしかつたよ」とちよつとしんみりしてしまつた。
読了日:3月13日 著者:水玉螢之丞
First Among Sequels: Thursday Next Book 5First Among Sequels: Thursday Next Book 5感想
前作で主人公は(といふか主人公のある一形態といふか)は、これから先経験することはすばらしい、みたやうなことを云ふのだが……いやー、つらい。これ、つらいよ。だからこその夫や息子からのことば、なのかもしれないけれど。
読了日:3月15日 著者:JasperFforde
赤頭巾ちゃん気をつけて 改版 (中公文庫)赤頭巾ちゃん気をつけて 改版 (中公文庫)感想
「みんなを幸福にするにはどうしたらいいのか」と「馬鹿ばかしさのまっただ中で犬死しないための方法序説」それと韜晦の三手法とが初読のころ強く印象に残つた。読み返してみると、「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」を知つたのはこの本だつたし、冒頭の「世界中の電話という電話は、みんな母親という女性たちのお膝の上かなんかにのっているのじゃないか」なんてあたりも「ああ、さうだつたさうだつた」といふ感じだ。あとがきからさらに時間がたつて、いまはもう電話は個人個人が持つものになつてしまつたけれど。
読了日:3月19日 著者:庄司薫
コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか (ブルーバックス)コーヒーの科学 「おいしさ」はどこで生まれるのか (ブルーバックス)感想
コーヒーの入れ方を「お作法」にしてしまふのは日本だけなのだらうか。入れるたびに「もつと気楽に入れてもいいんぢやないか」といふ気がしてならない。でも作法にすることで、コーヒーを入れる段階から気持ちを鎮めることができるといふ効用もある気もしてゐる。集中するといつてもいい。別段この本にさうしたことが書いてあるわけではないが、読んでゐてちよつと疑問に思つたので記してみる。
読了日:3月28日 著者:旦部幸博
真田太平記(二)秘密真田太平記(二)秘密感想
まだこの先長いのに、伏線といふか「この後出てくるぜ」といふ内容が多くてちよつと閉口する。覚えてられないつて。Kindleだからそのときになつたら後戻りして検索かければ済む話か知らん。
読了日:3月30日 著者:池波正太郎

読書メーター

« March 2016 | Main | May 2016 »