Rappid Logging の効用
今月に入つて、Bullet Journal に書き込む量が少なくなつてゐる。
Task といふか ToDo ばかり書いてゐて、Note がほとんどない。Events は直接 Monthly Page や Future Log に書いてしまふことが多い。
Notes を書いてゐないといふことは、精神的活動がにぶつてゐるといふことだ。
大東京マッハに関するメモも途中で止まつてゐる。
大東京マッハは、三月六日日曜日に紀伊國屋サザンシアターで開催された公開句会だ。
固定メンバーの四人、千野帽子・米光一成・長嶋有・堀本裕樹に、俳人の池田澄子と作家の村田沙耶香の二人を「マッハガール」としてゲストに迎へた句会だつた。
池田澄子は開口一番「「あんまりめづらしい」といふのは日本語としてをかしい」と発言してゐて、その後も村田沙耶香の「ネックレススープに入れて夏近し」をほかのメンバーが「ネックレスがスープに入つてしまつたのを「入れて」と表現てゐるわざわざ感がある」といふやうなことを云つてゐる脇で「でも「入れて」といふことは」と云ひかけたり、千野帽子の「春宵のあのローソンの白や青」を「「あの」でなくて「ああ」だつたら」と云ふたりとか、とにかくことばに対する感覚がすばらしくて、なあ。
といふやうな話をつらつら書きたいのだが、あまりたどりつけてゐない。
この日もらつた清記にあれこれメモをしてゐるものの、だんだん記憶も薄れてゐる。
なるべく見返すやうにして、記憶を残さうとはしてゐるんだけれどもね。
Bullet Journal だと句会の感想などは箇条書きになる。
多分、文章でつらつら書いてもいいんだらうとは思ふ。
でも Bullet Journal のいいところは Rapid Logging なんだよね。
それには箇条書きが一番なのだらう。
箇条書きにしてゐると、全然関係ないことが思ひうかんだときにつづけて書くことにも抵抗はない。すくなくとも文章でつらつらと書いてゐるときよりはない。
MindMap にしたりするともつと抵抗はないんぢやないかな。
そんな感じで、大東京マッハの感想も、一応句ごとに書いてはゐるものの、すぐに脱線してしまふ。
箇条書きにしてよかつたなあと思ふときだ。
でも、多分、文章でつらつらと書くのも必要なんだな。
自分にとつてはね。
机の周りをかたづけやうとして、過去に書いた手帳をぱらぱらとめくつてみると、一ページ一内容でつらつらと文章がつらねてある。
字の書き方から、それなりの勢ひをもつて書いてゐたことがわかる。
下書きなしで書くからさうなるのだらう。
Bullet Journal に Rapid Logging で書き出した内容をまとめて文章にしやうとすると、かうはならない。
それはそれでいいんだけどね。
それに、長い文章は書かないとどんどん書けなくなる。
いま書かうとすると、普段 blog に書いてゐる文章ていどの長さのものになつてしまふ。
もつと長い文章を書かうとしても、おそらく書けないだらう。
書かうといふつもりもいまのところないけれど。
さう考へると、Rapid Logging でどんどん書き出しておいてあとでまとめるやうにしたらいいのかなあ、といふ気もする。
まあ、長い文章など書く必要もないんだけどね。
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