ノートに向かふ時間がほしい
Bullet Journal はあひかはらずつづけてゐる。
最近一日に書く量がだいぶ少ない。
Bullet Journal がいやになつたといふわけではない。
単にノートに向かつてゐる時間がなかなか取れないだけのことだ。
その証拠に昨日外でお茶を飲みながら最近読んだ本の感想など書き出したところ、ものすごい勢ひであれこれ書いてしまつたほどだ。
あと、やはりこれまでのやうにだらだらと文をつないだやうな書き方をしたいことがある、といふのも理由のひとつかと思ふ。
別段、Bullet Journal は箇条書きでなければならない、といふわけでもないと思つてゐる。
長い文を書きたくなつたら書いてもいいのだらう。
でもこれには別の手帳をあてやうかなあと思つてゐる。
とりあへずいまのところは Bullet Journal だけでいくつもりだ。
このblogにも書いたとほり、やつがれの Bullet Journal は MDノートの新書サイズ方眼罫だ。
ほかに MIGNON のスケジュール帳とスライド手帳とを併用してゐるが、ここ一番荷物 minimum で、といふときには Bullet Journal だけ持ち歩いてゐる。
MDノートは一冊176ページとそれなりに書きでがありながら、薄くてかさばらない。
これがまづいい。
そのかさばらないノートにすべてが書いてある。
今後の予定もやることもメモもなにもかも書いてある。
これ一冊持ち歩けばいい。
いままでの手帳にはなかつた安心感がある。
ここにも何度か書いてゐるやうに、もともとやつがれは自分のことを「単ノート主義」だと思つてゐた。
一冊のノートにすべて書く。
複数のノートを併用したりしない。
主義といふとチト大げさだが、できれば一冊のノートになんでもまとめたい。
さう思つてゐると信じてゐた。
だが、実際には予定にはそれ専用のスケジュール帳を使ひ、日記には日記用のノートを用意し、さらになんでも書き留めるノートを別に使つてゐた。
そのことに全然気がついてゐなかつた。
それでは Bullet Journal を使つたら「単ノート主義」になれるのか。
おそらくはなれない。
やはり日記は三年手帳に書くと思ふ。
その方があとから検索しやすいからだ。
また、先にも書いたとほり、ちよつと長めの文をだらだらと書くノートもほしいと思つてゐる。これは Bullet Journal に書くかもしれない。
MDノートを使ひきつたら、スライド手帳で Bullet Journal をやつてみやうと思つてゐる話は以前書いた。
でもなんとなくこのまま MDノートを使ひさうな気もしてゐる。
以前も書いたやうに、これまでは MDノートはなんとなく使ひづらいノートだつた。
まさかこんなに気に入るなんてね。
自分でも驚いてゐる。
使ひ方しだいといふことなのかなあ。
去年のいまごろ、水戸駅の駅ビルにある川又書店でもらつた人形劇三国志の関羽のブックカヴァをつけてゐるのもいいのかもしれないなあ。
Bullet Journal にも困つたことがないわけぢやあない。
それは次回の講釈で。
« 奥さまは魔女であつたか | Main | 芝居離れの予感 »
Comments