手書きするわけ
なぜ紙のノートに手で書くのか。
やつがれの場合は、「世の中がきな臭くなつてきたから」だ。
以前は、客先で仕事をする場合も自社からノートPCを持ち込むことができた。
それで自社のネットワークに入つて社内のやうすを知り、自分の状態を知らせることができた。
いつごろからだらう。
どの会社に行つても外部のPCを持ち込むことができなくなつたのは。
当然、私物のPCなどもつてのほかだ。
携帯電話やスマートフォンについても、カメラのついてゐるものは持ち込めないといふ企業もある。
甚だしきはそもそも携帯電話やスマートフォンを持ち込んではいけないといふ会社もある。
#PHSならいいのか、とツッコミたくなるよね。
そんなわけで、結局旧来の様式に頼らざるを得なくなつた。
紙と鉛筆である。
ノートとペンといつてもいい。
しかし、聞いた話によると、私物の筆記用具やノートも持ち込み禁止といふ企業があるのださうな。
職場でなにをしろつていふのかね。
仕事と私事とつて、そんなにかんたんに区別のつくものなのかな。
つかないことだつてあるんぢやないかな。
もとい。
幸ひなことにいまのところやつがれの職場では私物のノートや筆記用具を持ち込めるやうになつてゐる。
もちろん、机の上に出しておいても誰も文句は言はない。
私物の携帯電話やスマートフォンは、しまつておかなければならないにも関はらず、だ。
こんなことを書くのも、昨日、「Bullet Journal GTD」でWeb検索をかけたときに、Bullet Journal をやめた理由のひとつとして「手書きよりもPCのキーボードから入力した方が速くたくさん書くことができるから」と云つてゐる人がゐたからだ。
つねにPCが手元にある人ぢやないと云へないよなあ。
やつがれも、手で書くよりはキーボードから入力した方が速く書ける。
こんなかな遣ひをしてゐても、だ。
でも、手で書いた方がこのかな遣ひをしてゐる関係上、ストレスは少ない、とは以前書いた。
いちいち前にもどつて削除しなくてもいいからね。
それに、手書きには遅さを補つてあまりあるよさがある。
たとへば、紙の上の好きな位置から書き始められる、とか。
日本語だからといふのもあるけれど、縦にも横にも書ける。
斜めに書いてもいい。
気分次第で書いたものを丸で囲んでもいいし、絵を添へるのも自由自在だ。
#絵が描ければ、ね。
手元に三色ペンでもあれば、色を使ひ分けることもかんたんにできる。
PCに入力する場合はそれがないんだよね。
最近ではタブレットPCだとこれに近いことができるのかもしれない。
でもその場合、速さは損なはれることになる。
やりなほしがきく分、手書きよりもいいかもしれないけれど、別段やりなほせなくて困るやうなことは書かないし、やりなほしたかつたら書きなほせばいい。
紙の手帳とペンとを用ゐる場合で困るのは、電車やバスなど乗り物の中にゐるときかな。
揺れるのでうまく書けない。
立つてゐればなほさらだ。
座つてゐたつて字がゆがむ。
もともと読みづらい字がますます読めなくなる。
かういふときは、iPhoneにメモを取る。
と書いて、最近のiPhoneは大きいから電車内で立つてゐると入力しづらいんだよね。
車内だと騒音がすごくて音声入力もしづらかつたりするし。
iPhone、もうちよつと小さく使ひやすくならないかなぁ。
そんなわけで紙の手帳とペンとを遣ひつづけるだらう。
すくなくとももうしばらくは。
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