結局作りはしたのだが
先週、「タティングレース展を見てきてなんだかやる気がそがれてしまつた」といふやうなエントリを書いた。
その舌の根も乾かぬうちに、結局しあげはしたのだつた。
なんだかんだいつて、タティングは楽しいからだ。
先日田中八重洲画廊で見てきたものと、目の前にあるものとの彼我の差は如何ともし難い。
でも世の中つてそんなものぢやああるまいか。
いまはともかく、こどものころは絵を描くのが好きだつた。
幼稚園や小学校では授業で描いた絵が教室や老化に張り出されることがある。
同級生の絵の中にあるやつがれの絵のつたなさよ。
つたないだけならまだしも、雑である。
よくこれで「絵を描くのが好き」などといへたものだ。
でも好きだつたのだ。
そんなもんだよな。
そんなわけで、藤戸禎子のデザインした作品をもとに、糸とビーズとを自分で選び、ダブルスティッチとビーズの数とを自分なりに考へて作つてみた。
作りはじめたときには野望があつた。
ひとまづはスリーカットビーズだけで作つてみて何回くり返したらネックレスとして十分な長さになるかを確認する。
ここで割り出した長さを参考にして次は、チェコビーズなりスワロフスキーなりのちよつと大きめのビーズをところどころあしらふことにしたい。
さう思つてゐたのだつた。
どうしたものかな。
糸とビーズとはまだこれから選ぶやうである。
どちらも一生かかつても使ひきれないくらゐある。
問題は組み合はせだ。
それで結局黒とか白、生成といつた無難な色の糸を使ふことになつてしまふことが多い。
この黒いネックレスを作りはじめたときには「いまやらなければ!」といふ突然の使命感のやうなものがあつた。
このままでは糸もビーズも使はれぬままになつてしまふ。
なにか作らなければ!
さう思つたのだつた。
だが、どうなんだらう。
糸にしてもビーズにしても、もしかしたら使はれない方が幸せなのかもしれない。
すくなくともやつがれには使はれない方が幸せなのかもしれない。
ゆくゆくは他人の手に渡つて、もつとすばらしい作品にされた方がいいのかも。
そんなことを考へなくもない。
ビーズはともかく糸は劣化する。
だつたら糸だけでも使つてしまふか。
さうも思ふ。
いづれにしても、糸とビーズとを選んで、いくつビーズをいれていくつダブルスティッチをはさむかなどを考へてから作ることになるので、ちよつと時間が必要だ。
そのあひだにいろいろと気も変はるだらう。
さう思つてゐる。
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