編めてなーい
編めてない。
「ちかえもん」のちかえもんなら「書けてな~い」と嘆くところだ。
もう最終回を迎へてしまつた番組の話で恐縮だけど。
近松門左衛門が書けてゐないのでは生活に関はるのかもしれないが、やつがれが編めてゐなくても別段問題はない。
単に、編みかけのなにやらわからぬ物体がいつまでもいつまでも部屋にある、といふだけである。
あまりにもそのままの状態が長いと、結局ほどくことになる。
生産的ではない。
なぜ編めてゐないかといふと、先週はやたらと出かけまくつてゐたからだ。
帰宅時間が遅くなるので編む時間がない。
出かけない日は出かけない日で出かけた日に減つてしまつた睡眠時間をおぎなふ必要がある。
そんなわけで寝不足で編む気がおきなかつた、といふのも事実。
でもそれだけなのかなあ。
部屋をきれいに保つといふ視点からは間違つてゐるのかもしれないが、編みかけのものはつねに即手にとれる場所においておくのがいい。
いちいち出してきて編んで終はつたらしまふ、といふのが理想ではある。
だけど、目の前にないとできないんだよね。
忘れるといふかさ。
たとへば、翌朝忘れることがないやうに机の上に鍵を出しておく、とか。
帰つてきてから思ひ出すやうにテーブルの上にメモを残しておく、とか。
さういふのに近いんぢやないかな。
つねに編みかけを即手にとることのできる場所においておく、といふのは。
しまつてしまふと目の届かないところにいつてしまふ。
それでその存在を忘れてしまふ。
あるんだよなー、さういふことつて。
さういへば、タティングレースのドイリーの作りかけを机の脇においてゐたことがある。
できあがるまでさうしておいた。
手を伸ばせばすぐとれる場所にあるので、ちよつと空いた時間があるとドイリーを作る。
そんなわけで、思ひのほか早くできあがつた。
いま編んでゐる Striped Shawl も、さうするべきなのかもしれない。
劇団☆新感線の三十五周年記念トートバッグに入れてゐるので、そのままいすの脇にでもおいてみやうか知らん。
部屋の景観はそこなはれるけれども、もともと景観のどうのといつてゐられるやうな部屋ぢやあないし。
ここでひとつくらゐ出しつぱなしの荷物が増えたところで、さして問題はない。
かういふときに籠があるといいのかもしれないなあ。
いや、これ以上あれこれものは増やさないつもりでゐるんだけどね。
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