多ノート遣ひに憧れて
長いこと、一度に使ふ手帳は一冊だと思ひ込んでゐた。
2010年に Moleskine のポケットサイズにあれこれ書きとめはじめて、それが自分の唯一の手帳・ノートだと思つてゐた。
その後も Smythson の Panama を使つたり、アサヒヤ紙文具店のクイル・ノートを使つたりしながら、でも「なんでも書きとめ帳」はつねに一度に一冊だと思つてゐた。
たしかに「なんでも書きとめ帳」としてはそれが正しい。
ほかにスケジュール帳も使つてゐたし、日々の行動だけを書きとめるためにほぼ日手帳や三年手帳も併用してゐた。
すなはち、自分は「多ノート遣ひ」だつたわけだ。
この事実に気づいたときの衝撃は大きかつた。
なにを大げさな、といはれるかもしれないが、だつてそれまで自分のことを「単ノート遣ひ」だと信じてゐたのだもの、そりやショックだよ。
そんなわけで、遣ひわけも考へたことはない。
気づいてみたら自然にさうだつた。
よく見かける「多ノート遣ひ」の人の blog などを読むと、母艦ノートと水雷……ぢやなくて小回りのきくノートとを併用してゐる、といふものが多いやうに思ふ。
普段持ち歩いてあれこれ書きとめるのには小回りのきくメモ帳などを用ゐ、重要なことを母艦ノートに書き写す。
そんな遣ひ方だ。
長いこと、「さういふノートの遣ひ方ができたらなあ」と思つてゐた。
ここに何でも書いてあるノートを一冊と、(自分にとつて)重要なことだけ抜き出して書き写す母艦ノート一冊と。
さういふノートの遣ひ方をしたい。
夢だつた。
でもどう考へても、母艦ノートに書き写す時間がとれない。
畢竟、メモ帳サイズの手帳になんでも書き、次第に長い文を書くやうになつた。
長い文を書き始めると、箇条書きのやうな短いものは埋もれていく。
やつがれの書き方が悪いのだらうが、さうなつてしまふ。
Bullet Journal をつけるやうになつて、そこになにか変化があらはれるだらうか。
あらはれてほしい。
そんな風に思つてゐる。
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