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Monday, 29 February 2016

先行不安

あたたかくなつてきてしまつた。

前回も書いたか。

最近は綿や麻の糸でもずいぶんと編みやすい糸が増えてきた。
綿は以前からあるか。
麻は昨今だいぶ増えたやうに思ふ。
そんなわけで春夏は綿や麻の糸で編むことが増えた。

でもやつぱり毛糸が編みやすいよねえ。
それも羊の毛の糸。
アルパカはともかく、カシミヤは羊に比べるとだいぶ切れやすいやうに感じる。
以前、メビウス編みの作り目のあと最初の一段を編むのにえらい苦労して、大事なカシミヤの糸を途中でぷつりと切つてしまつたことがある。
一段めが編みづらいんだよねえ。

強いといへば絹か。
絹はあのキシキシ感がたまらない。
たまらなくいい時と、たまらなくいやな時とある。
いい時はさくさく編めるんだけど、いやな時は、まあ、さううまくはいかないよね。

夏でも毛糸で編めればなあ。
さう思つて手袋だとかくつ下だとかを編むやうになつた。
この話は以前も書いてゐる。
Elizabeth Zimmermann は、「夏に編むのに最適なものは円形のショール」、といつてゐた。
そればどうかなあ。
だつてショールだと編んでゐる最中膝の上に編み地が乗ることもあるぢやあないか。
夏に毛糸の編み地が膝の上に乗つたら、それは暑苦しくてどうしやうもない。
その点、手袋やくつ下なら問題ない。
帽子もいいかもしれないな。

去年の夏はえらく暑かつた。
夜暑くて眠れない日があんなにあつたのははじめてだと思ふ。
暑いと綿や麻でさへ、自分で編んだものはちよつと邪魔になつてくる。

もしかしたらこのままあみものはしなくなるのかな。
さすがにそれはないか。

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Friday, 26 February 2016

物欲を抑へろ

ほしいかばんがある。

「人生最後の日に、そのかばんを買ふか」と自分に問うて、「いや、買はない」と答へ、我慢してゐる。

しかしだ。
「人生最後の日に食事をしますか」と訊かれたらどうするだらう。
するだらうか。
もしかしたらどうしても食べたいものがあつて、「はい」と答へるかもしれない。
でも、ほかにもつとやりたいことがあつたら、どうせ死ぬんだし、「いいえ」と答へるのぢやあるまいか。

また「人生最後の日に睡眠をとりますか」はどうだらう。
今日をかぎりに永の眠りにつくのだがら、「いいえ」と答へるにきまつてゐる。

さう考へると、「人生最後の日に、そのかばんを買ひますか」といふ問ひには意味がない。

気づいてはゐるけれど、気づかぬふりをしてゐる。

その日に遣つたかばんを毎日記録してゐる。
この話はすでにここにも書いたことがある。
去年一年分の記録を見返すともなく見返して、あまり遣はなかつたものやまつたく遣はなかつたものは処分しやうと思つてゐた。
処分候補のかばんを取り出してきて遣つてみたらこはいかに。
これが遣ひやすいんだよね。

たとへばここにも以前書いた Artisan&Artist のPM-10といふウェストポーチだ。
以前書いたときには「バッグインバッグにもなるポーチ」と書いた。
これがいいんだよねえ。
去年は、PORTER の薄くて細長いポーチを遣ふことが多く、PM-10の出番はあまりなかつた。
バッグインバッグとしては、PORTER の方がおさまりはよい。また、持ち手部分がカラビナ状になつてゐて、大きいかばんの持ち手にぶらさげることもできる。その機能はほとんど遣つたことはないけれどね。
PM-10も持ち手がカラビナ状になつてつけはづしができるやうになつてゐる。ウェストポーチなので持ち手が長すぎてほかのかばんにぶらさげるのはちよつとムリかな。
このかばんのよいところは、ペンをさすところが五カ所あるところだ。
また、手ぬぐひをはさむ部分もある。ここはおそらく美容師の方々などはダックカールクリップだとかをさす部分なのだらう。
さらに、ポーチに入れたいと思ふものがほぼすべて入る。
あとはノートと本とが入れば完璧なのだけれども、これは PORTER のポーチにも入らないし、そもそも入つたらポーチの大きさぢやなくなる気がする。
なんで去年はほとんど遣はなかつたかね。
自分がわからない。

もうひとつ、Smythson のショルダーバッグはまつたく遣はなかつた。
これもかなり小さなかばんで、PORTER や Artisan&Artist のポーチに入れてゐるものに加へて文庫サイズの本かノートかどちらからくらゐしか入らない。
でもこれがまた遣ひ勝手がいいんだよ。
四年前の SALE のときにえいやつと買つたのだが、こんなに遣ひ勝手がいいとはそのときは思つてゐなかつた。
小さいわりにたくさん入るのがまづいい。
外のポケットには定期券入れとiPhoneとを分けていれることができるのもいい。どちらかを出すときにどちらかも出てきてしまふといふことがない。
中は、両脇にいれたものは多少取り出しづらくなるけれど、一瞥してなにが入つてゐるのかわかる。
小さいのに内部にはファスナーつきのものも併せてポケットがふたつもある。
かばんのポケットつて多すぎても遣ひ切れないし、少ないと中身がごちやごちやしてしまふ。
外に出てこのかばんを遣ふと、そこらへんの遣ひやすさがよくわかる。
Smythson のかばんつて、みんなこんなにいいのかなあ。
ほかのかばんもほしくなつてしまふ。
だから去年はこのかばんを遣はなかつたのかもしれない。

かばんなんて、ひとつあれば十分、といふ人もあらう。
やつがれは、「A4サイズの書類の入る仕事用のかばん」「普段用のひとつで大抵のものはおさまるかばん」「小さめのかばん」「予備のサブバッグ的なかばん」があれば十分かなと思つてゐる。
あとは雨の日用かばんが場合によつては必要かもしれない。
それと散歩用のかばんか。両手のあくリュックサックかななめがけできるショルダーバッグを想定してゐる。普段用のかばんがさういふ形態であれば不要だ。
あ、大切なかばんを忘れてゐた。冠婚葬祭用のかばん。できれば葬用を遣ひ回せたらと思ふ。

でも、よくよく考へると、A4サイズの書類の入るかばんなんてなくても風呂敷で包めばいいし、風呂敷が一枚あれば、あとは小さめのかばんひとつで全部まかなへるやうな気もしてくる。風呂敷だつて最近は撥水加工のものがあつて、雨の日でも大丈夫だつたりするしね。実際、革のかばんには撥水加工の風呂敷をいれておいて、突然の降水の折にはかばんを風呂敷で包んで対処することもある。

やつぱり、新しいかばんなんていらないぢやん。

などと云ひつつ、そのうち買つてゐるやうな気がしてならない。
弱いなー。

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Thursday, 25 February 2016

優先順位最高の予定

芝居の予定がすべてに優先する。

これまでまつたく意識してゐなかつたが、どうやらさうらしい。

なぜだらうと考へる。
最初に思ひつく理由は、「チケットの取りづらさを知つてゐるから」だ。
チケットつて、どうしてあんなに取りづらいのかね。
歌舞伎はそれでもまたましな方だと思ふ。
世の中には取れないチケットがあまりにも多すぎる。

記憶に鮮明なのは、劇団夢の遊民社の「ゼンダ城の虜」だらうか。
取れなかつたねえ。
解散公演だつたからあたりまへだらうけど。

クライバーも最後まで取れなかつた。
こんなに高値のチケットを、いつたい誰が買つてゐるんだらうと首をひねつたものだつた。
それだつて手に入るのなら自分だつて支払ふのだから、世の中にはさういふ人もゐる。
と、書きたいところだが、クラシック音楽の演奏会なんて、有名どころのいい席は招待客ばかりだらう。自分で苦労してチケットを取つた人は測定誤差くらゐの人数なのに違ひない。
そんな恨み言も云ひたくなる。

俳優祭も一度たりとも取れたことがない。
きつと一生取れないだらう。
さう思つてゐる。

決定的だつたのは、南座の顔見世の昼の部の席が取れなかつたことだ。
片岡孝夫(当時)の「馬盥」がかかつてゐた。
夜の部の席はおさへてゐた。
あきらめきれずに南座の前まで行くと、ダフ屋が「チケットあるで、チケットあるで」と云つてゐる。
よつぽど買はうか、と思つてあきらめた。
夜の部の開場を待つあひだ、そばに並んでゐた人が「馬盥」の話をしてゐた。
そのうちひとりが相手に「馬盥」のあらすじを説明してゐたのだつた。
この人の話が滅法うまくてね。
なぜやつがれはそんなおもしろさうな芝居を見ることかなはぬのだらうか。
つくづくさう思つた。
歌舞伎座で孝夫の「馬盥」のかかつた暁には、幕見で毎日通ふんだ。
さう心に誓つた。
果たせてゐないがな。

結局、それから二十年ほどのちに博多座でかかるわけだが、それはまた別の話。

かくもチケットといふのは取りづらい。
取れぬとわかつてゐても最大限の努力をする。
かつての職場の一階にあつた公衆電話は、0と5と6とだけが反応が悪くなつてゐた。
毎月前売券販売開始の昼休みにやつがれがチケットフォン松竹にリダイヤルしまくつてゐたからだ。

それでも自分はまだまだ恵まれてゐる。
バンドや芸能人を心から愛する人々の話を聞くとさう思ふ。
なんであんなに取れないかね。

形のあるものであれば、いづれめぐり会へることもある。
本などは最近とくに新刊で出た直後に買はないとなかなか出会へなかつたりする。
でも何年も後になつて書店の本棚に並んでゐるのを見かけることがないとはいへない。
図書館に行けばある可能性もある。
あるいは友人にぽろつと話してみたら「それ、持つてるよ」といふことになるとも限らない。

演奏会や芝居にはそれがない。
そのとき見に行かなかつたらもう見られない。
つぎに見るときはまつたく別もの。
さういふものだと思ふ。

「また別の話」と書いておいてなんだが、博多座で見た仁左衛門の「馬盥」はほんたうにすばらしかつた。
幕間が三十五分あつて、中村又五郎・歌昇の襲名の口上だつた。
目の前の人が来てゐなくて、やつがれの正面には松嶋屋が座つてゐた。
それでもまだ「馬盥」を見た衝撃が去らなくて、「なんで自分はいまこんな口上を見てゐるのだらうか」といふ気がしてならなかつた。
「馬盥」モードから抜け切れなかつたのだ。

でもこの「馬盥」と南座で見られなかつた「馬盥」は違ふ。
見てゐないものをどうかう云ふことはできない。
でも違ふ。
それだけはわかる。

芝居のやうすはときに録画され、TVなどで放映されることがある。
これも、実際に見るものとは違ふ。

やはり南座の顔見世で、十三代目の仁左衛門の時平、我當の梅王丸、秀太郎の桜丸、孝夫の松王丸の「車引」があつた。
牛車が壊れて時平があらはれたとき、妖気が立ちのぼつた。
時平も背景も朧にゆらめいて見えた。

このときのやうすを後にTVで見た。
妖気など、まつたくなかつた。
普通に出てきて、普通に終はつた。
もちろん、すばらしい時平ではあつた。
しかし、実際に見たときのあのおどろに妖しい雰囲気は、それほど感じられなかつた。

実際に見なければ。
さう思つたものである。

そんなわけで、芝居の予定はすべてに優先する。
すくなくともあとしばらくはさうだらう。

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Wednesday, 24 February 2016

一億総取締係

ここのところ、大向かふへの風当たりが強い。

大向かふといふのは、歌舞伎でよい頃合ひを見て「何々屋!」と声をかける人のことをさす。
自分から「大向かふ」と云つてはいけない。
「大」といふのは「御」みたやうなものだからだ。敬称にするときにつけることばである。
しかるにみづから「大向かふ」と名乗つてゐる人は大向かふではない。

「大向かふ」と呼ばれる人々の心ないかけ声のことは、やつがれも気にはなつてゐた。
舞台上にゐるのは立役ふたりなのに「ご両人!」とかける、とかね。
さういふ関係のふたりなのかと思つちまふぢやあないか。
そんなのはまだ可愛いもので、妙な間でかけるとか、やたらと「何代目」を連発するとか、「待つてました!」「たつぷり!」をふさはしくない場所で遣ふとか。

勘九郎時代の勘三郎に「山廃仕込み!」とかけた、なんてのもあつたか。これは現場にゐ合はせてはゐないので聞いた話である。

あとは三階席より低い階にある席からかけるとかね。
一階席からかけるなんてなもつてのほかだよ。

以前、こんなことがあつた。
一階席から声をかけてゐる人がゐて、「あー、なんにもわかつちやゐないななー」と思つてゐた。
するとこの御仁、幕間にそばに座つてゐるご婦人方に云ふぢやあないか。「わたくし、大向かふをやつてをりまして」。
やれやれ。
どうやら定年退職を期に芝居を見るやうになつたのらしい。
誰も教へてくれなかつたんだね、大向かうのしきたりを。

とはいへ、一階席前方から市川右近に「うこーん!」とかけるご婦人の、その気持ちはわかる。

もとい。
昔からゐたわけだ。
俗に「チャリかけ」と云はれるどうにも芝居にふさはしくない声をかける人は。
で、その時々に、「ひどいかけ声だ」「なんとかならんのか」とみな思つてゐた。

最近、どうもそのあたりがきな臭い気がしてならない。

なんといふのか、「チャリかけをする輩は追ひ出してしまへ」といふやうな空気といふのかな。
さういふのを感じる。

一月歌舞伎座の「茨木」で、坂東玉三郎が大向かふの声をかけるのを禁じた、と聞いた。
きつと、大和屋の目に余るものがあつたのだらう。

また、以前は「誰でもかけていいんですよ」とか云つてゐた人がここにきて「大向かふにも約束ごとがあつて」などとぬかしはじめた。
いや、「君子豹変す」と云ふぢやあないか。
以前はともかく、いまは「誰でもかけていいんですよ」などと云つてゐる場合ぢやあない。
その御仁はさう思つたのかもしれない。
それは正しい判断であらう。

でもこの不寛容な方向に向かつてゐる感じが、なんともイヤでならない。

おそらくやつがれ自身が取り締まる側にまはつたときに徹底的に取り締まりたがる気質の持ち主だからだ。

自分が正しい、自分のゐる側こそ善だと信じて疑はない人間は、正しくない、悪の側にゐるものを徹底的に弾圧して疑問を抱くことがない。
ここでも何度か書いてゐる「校門圧死事件」がさうだ。
遅刻はいけないことだ。しかるに遅刻を取り締まる自分はなにをしてもいい。
生徒の身体の無事のことなど頭の片隅にもない。
意識的にさう考へてゐたとは思はない。自覚はなかつたらう。
無意識のうちにさうなつてゐたのだらうと推測する。

世の中には取り締まる側になると想像力の働かなくなる人がゐる。
多分、やつがれもそのひとりだ。

たとへば、世の人々には不評だが、やつがれは「染高麗」といふかけ声がとても好きである。
「そめかうらい」と声に出してみると、なんともやさしくていい音のことばなのだ。
からうじて「か(こ、だな)」の音だけがかたくて、あとはやはらかい。
いいことばだなあ、と常々思ふ。

このままではこの優にやさしいことばも消へてゆく。
市川染五郎自身が「染高麗」とかけられるのを厭うてゐるといふのなら仕方がないけれど、「チャリかけ」と勝手に決めた人々によつて、ないものにされてしまふ。
味気ない。

チャリかけをする人のことを援護するわけではない。
できればやめてほしいと思ふ。
だが、やつがれの「やめてほしい」はやつがれ基準の「やめてほしい」であつて、万人がさう思ふわけではない。
SNSなどを見て「ほかの人もあれはダメだつて云つてるから」と云ふ人もゐるかもしれないが、それだつて全体から見たらほんの一握りの意見かもしれない。

自分が善だと思つた途端に、さういふ想像力が働かなくなる。
それが怖い。

そんなわけで、そのうちやつがれも声をかけやうかと思つてゐる。
とりあへず、かけるときは三階席にゐると思ふので、その点だけは問題ないだらう。

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Tuesday, 23 February 2016

言ひ訳

通勤電車で不愉快な目にあつたとする。
「かういふこともあるよな」「お互ひさまだよな」と受け流せるかどうかは、睡眠が足りてゐるか否かにかかつてゐる。
さう思ふ。

タティングレースは進んでゐない。
先週、Curds & Whey を作つてゐると書いた。その後、昨日の昼休みにちよこつと結んだくらゐだ。
それ以外の日は、寝てゐた。
昼休みのあいた時間に、足りない睡眠を補つてゐたのだ。

以前はそんなことはなかつた。
昼休みのほんのちよつとのあいた時間さへ惜しかつた。
食事を終へたあとはとにかく結んでゐた。
あるいは編んだり紡いだりしてゐた。

それが、最近できなくなりつつある。

睡眠時間自体は、以前よりは長くなつてきてゐるはずだ。
以前、といふのは、四年以上前と比べて、だ。
三年くらゐまへに「これではいかん」といふのでできるだけ睡眠時間優先の生活に切り替へた。
その後は「いかん」と思ふ前よりは睡眠時間が増えてゐる。
その前の記録を取つてゐないので確とはいへない。
でも布団に入る時間が早くなつてゐるからね。

「いかん」と思ふ前は、寝る間も惜しんで編んだり結んだりしてゐた。
以前も書いたとほりである。
休みの前の日などはとことん夜更かししてゐた。

最近それをしなくなつた。
気をつけてゐないとすぐ夜更かしの癖が出てしまふので「絶対しない」とはいへない。
しかし、「もう寝なきゃ!」とは思ふやうになつた。
それで休日の朝も以前より早めに目覚めるやうになりつつある。
おしなべて、だけれどもね。
やはり睡眠不足のつづいたあとの土日はどんなに早く寝ても朝は起きられない。
用事があるときだけは無理矢理起きる。

睡眠不足だと本も読めなくなつてきた。
内容がまつたく頭に入つてこないのである。
はじめて気がついたのは桂枝雀の本を読んでゐたときのことだ。
そんなにむづかしく書いてある本ではない。
しかし、読んでゐて内容がまつたくわからない。著者がなにを云はんとしてゐるのか、さつぱり見当がつかない。
自分はもうダメになつてしまつたのではあるまいか。
そのとき、さう思つた。

それでちやんと眠れてゐるのかといふと、やはり睡眠不足であることには代はりはない。
以前よりも不足分が減つた。
そんな感じである。
ほんたうは、一日七時間は寝たい。
目覚まし時計のアラームをセットせずに寝ると、だいたい七時間前後で目が覚めるのでそんなものなのだと思つてゐる。
七時間眠るには、少なくとも布団には七時間半は入つてゐる必要がある。
のび太ぢやあるまいし、布団に入つて三秒で眠れるやうにはできてゐないからだ。
また、夜中に目が覚めることもあらうし、最低三十分くらゐの余裕はほしい。

七時間半横になるとする。
通勤時間と残業なしの勤務時間を合はせると十二時間半くらゐになる。
それだけでもう二十時間だ。
残りは四時間。
朝の支度や夕食の用意から片づけまでにかかる時間がそれぞれ一時間とする。
残りは二時間。
入浴の準備からあがつたあとの始末まで合はせると、一時間半はかかる。
残りは三十分。
掃除だのなんだのをしてゐたらあつといふ間になくなる時間だ。

書いてゐて絶望する。
朝の支度や夕食に関はることなどは、もうこれ以上減らせないと思つてゐる。かなり必要最低限のことを効率的にやつてゐると思ふからだ。
入浴時間は減らさうと思へば減らせるが、いまの時期きちんとあたたまりたい。
そう思ふと減らせない。

時折、「通勤時間帯の満員電車で本を読んでゐる人がゐる。混んでゐるんだからやめればいいのに」といふ話を聞く。
本を広げるスペースさへないほど混雑してゐる社内でのことだらう。
違ふんだつて。
その時間しか読む時間がないんだつて。

結局、削れる時間は睡眠時間だけ、といふことになる。
削つちやいけないのにね。

そんなわけで、通勤の電車の中にゐるときは貴重な読書時間なのだが、それも最近できなくなりつつある。
眠いからだ。
座れたら寝てしまふ。
もつたいない。

それは睡眠時間を削つてゐるからなのだがな。

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Monday, 22 February 2016

花のサロンか井戸端か

_Domino Knitting_ に掲載されてゐる _Striped Shawl_ は、三列目のまんなかを過ぎたところだ。

先日も書いたとほり、NHKの大河ドラマ「真田丸」を見てゐる。
見ながら Striped Shawl を編む。
いい感じで編めてゐる。
「これつてマルチタスクなのかな」「マルチタスクといふことは脳にダメージを与へてゐるのかな」などと思つたりもするが、そこはそれ、だらう。

かつて「伝説のオウガバトル」といふヴィデオゲームにはまつてゐたことがある。
シミュレーションRPGと銘打たれたこのゲームは、手持ちの兵力を何部隊かに分け、地図上に配置すると、あとはたまに戦闘があるくらゐで、そのあひだ編んでゐることができた。
まさにやつがれ向きのゲームだつた。

Striped Shawl はこの調子でいくと四列は編めさうである。毛糸の残り具合からいつてね。
それくらゐ編めれば十分な大きさになるはずだ。
問題は、できあがるころにはあたたかくなつてゐて遣へないだらうといふことくらゐで。

ところで、最寄り駅のそばにある手芸店の閉店が決まつたといふ。
あみものを初めたころからたまに買物しに行つてゐた。
たまになのは、以前は自宅のそばにも手芸屋があつたからだ。
また、平日は帰宅するころには営業時間が終はつてゐるので行けず、おなじく最寄り駅のそばにある図書館には日曜日に行くことが多いのだが日曜日は定休日なのでやはり行けなかつた。

それに、ものすごく編むやうになるとユザワヤに行つたり、最近ではWeb通販で買つたりするやうになつた。

これぢやあいかん、といふので、この店に赴いて買物をするやうにしたりもしてはゐた。
が、上記のやうな理由であまり行けずにゐたのだつた。
それに、もうこれ以上毛糸とか増やしちやいけないと思つてゐたしね。

金曜日に、早めに仕事をあがつてこの店に行つてみた。
狭い店内には刺繍糸やビーズ、毛糸にレース糸、副資材などがみつしりと並べられてゐる。
奥のちよつとしたスペースで、ご婦人お二人があみものとお喋りとにいそしんでゐた。
店員さんといふわけではないやうだ。
常連客だらう。

町の手芸屋さんつてかういふ感じだつたよね。

お店はお世辞にも広いとはいへないが、このお店で毛糸を買つた人や近所のご婦人が寄り集まつてあみものしながらお喋りに興じてゐたよね。

町の手芸屋とはいへないが、恵比寿にあつた Rowan もさうだつた。
行くといつもお客さんとおぼしき人が数人ゐて編んでゐたやうに思ふ。
中には店員さんもゐた。
他愛もない話をしながら時に編み方を教はり教へしてゐたやうに思ふ。

実を云ふと、恵比寿のRowanはさうした常連客の方がたくさんゐて、なんとなく入りづらい印象があつた。
すいません、部外者で。
訪れるたびにさう思つた。

でもそれは恵比寿といふ土地柄もあつたらう。
恵比寿に行くとやつがれは余所者だ。
余所者がその土地の手芸屋に行つたら、なんとなく疎外感を感じるのは仕方がないものと思ふ。

町の手芸屋は、ちよつと気取つたことばでいへばサロンだつた。
井戸端だつた、といつてもいい。

ユザワヤにはさうした雰囲気がない。
オカダヤにはもしかしたらあるのか知らん。
百貨店に入つてゐるホビーラ・ホビーレにもない雰囲気だ。
ましてやWeb通販。

井戸もなくなり、町の手芸屋もなくなりつつある。
人はどこで井戸端会議をするのだらう。
町中のそこかしこで、かな。
あるいはLINEとかだらうか。

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Friday, 19 February 2016

理想の手帳をくどくどと考へる

Bullet Journal をはじめて思つたことは、スケジュール帳のうしろに大量のメモページがあればいいんぢやないか、といふことだ。

大抵のスケジュール帳は、ほぼ日付欄のページだけでできてゐる。
メモページもあるけれど、十分とはいへない。
したがつて、仕事のときなどはスケジュール帳のほかにノートが必要となる。

システム手帳はそれを解消するものだつたのかもしれない。
スケジュール帳のリフィルとメモ用紙のリフィルとで、かんたんに作ることができる。
でも、やつがれの場合はシステム手帳はつづかなかつた。
理由は、余分なリフィルを増やしたからだと思つてゐる。
地下鉄の地図などはあつた方がいいとは思ふ。
でもいま思へば使はぬリフィルを大量にはさんで使ひづらいシステム手帳にしてしまつてゐたのだらう。

一月からスライド手帳を使つてゐる。
これがなかなかいい。
これまで予定を立てやうとしなかつたやつがれが少しづつではあるけれど、スライド手帳を使ふやうになつて以来予定を立てるやうになつてきてゐる。
またHIRATAINDERといふ専用バインダがまたいい。
店頭で見たときに「こんなに平たく開くなんて!」と痛く感じ入つた。
実際に使つてみると、その平たく開くさまにまた感じ入る。
とにかく書き込みやすいのだ。
システム手帳なので左側のページにはチト書きづらいけれど、でも通常のシステム手帳のバインダに比べたら断然書きやすい。

そこで思つた。
HIRATAINDERにスライド手帳のリフィルとメモ用紙のリフィルとをはさめばよいのではないか、と。
それを Bullet Journal 方式で使へばいいのぢやないか、と。

問題はいろいろある。
ひとつは MD NOTEBOOK 新書サイズが気に入つてゐること。
人形劇三国志の関羽のカヴァもつけちやつたしなー。
ほかにも玄徳、孔明、趙雲のカヴァがあるとはすでに書いた。

また、Bullet Journal は綴じノートを使ふことに意義があるのではないか、といふこと。
まだ見つけ出せてゐないけれど、Bullet Journal にはルーズリーフのやうなものではなくて綴じノートを使ふ理由があるんぢやないかといふ気がしてならない。
まあそんなのはシステム手帳で試してみればいいことだとは思ふんだけれどもね。

実は Bullet Journal 用に気になつてゐる手帳がある。
Rollbahn の年間手帳だ。
最初にカレンダー形式の一ヶ月の予定ページが1年分+αあつて、残りは大量のメモページといふ構成だ。
Bullet Journal によささうでせう。
方眼罫だし。

しかし、ここはひとつ HIRATAINDER を活用したいので、いま Bullet Journal 用に使つてゐる MD NOTEBOOK を使ひ終へたらまづはシステム手帳で Bullet Journal を試してみやうと思つてゐる。

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Thursday, 18 February 2016

Right Time, Right Place, Right Notebook

Bullet Journal はつづけてゐる。

それなりにいい感じに遣へてゐるのではないかと思ふ。
うつかり未来の予定などを書くページを作り忘れたり、「ここはちよつとどうにかならんかな」と思ふところもありつつ、日々あれこれ書き込んでゐる。

おそらく、遣つてゐる MD NOTEBOOK が気に入つたからだ。

Bullet Journal には MD NOTEBOOK の新書サイズを使用してゐる。用紙は方眼罫だ。
Bullet Journal にふさはしいノートはないかと探したところ、なぜか未使用のノートがたまたま手元にあつた。
運命だつたのかもしれない。

それまでにも MD NOTEBOOK は二冊ほど持つてゐた。
いづれも文庫サイズで、無地と罫線入りとである。無地の方はコットンペーパーで、紙は大変に気に入つてゐる。

しかし、これまで MD NOTEBOOK はなんとなく遣ひづらいノートであつた。
理由は、背表紙が平らなままだからだと思つてゐる。

MD NOTEBOOK の長所のひとつに「平たく開く」ことがある。
これは大変によい。
スライド手帳を遣はうと思つたきつかけのひとつも HIRATAINDER といふ平らに開くバインダだ。

平たく開くといへばほぼ日手帳もさうだ。
ほぼ日手帳を遣ひつづけてゐる理由のひとつも「平たく開くから」だ。
ほぼ日手帳の場合、手帳を開くと背表紙が湾曲する。ゆゑに右側のページも左側のページもほぼ常に同じ高さになる。したがつて右側のページに書き込むのも左側のページに書き込むのも高さはほとんどおなじ状態になるので書き込みやすい。

MD NOTEBOOK の背表紙は湾曲しない。
ノートを開くと、背表紙は平たいままである。
ノートの遣ひはじめなどは、右側のページは背表紙に近いあたりに机など接地面との間に空間ができる。
これがちよつと書きづらさを生むんだな。

六十ページの大学ノートくらゐの薄さならそれでも問題ない。
MD NOTEBOOKK は百七十六ページで、厚みが一センチメートル弱といつたところか。
これくらゐ厚みがあると、最初方の右側ページや最後の方の左側ページはちよつと書きづらいんだな。
下にちよつと厚みのあるものをおけばいいんだけどね。

MD NOTEBOOK の紙は好きなんだけどなあ。
ことにコットンペーパーはまことによろしい。
コットンペーパーは五周年記念の限定発売なので恒常的に手に入るものではなささうだけれども。

Bullet Journal に使用してゐる 新書サイズの MD NOTEBOOK にもこの最初の方の右側ページと最後の方の左側ページが書きづらいといふ欠点はある。
いまは先にも書いたとほり、ちよつと薄めのメモ帳などを下において書くやうにしてゐる。

それでもなほ、MD NOTEBOOK の新書サイズはいいなあと思ふ所以は、細いペンで書き込んだときの絶妙なかりかり感にある。

ナガサワ文具センターのオリジナルノートに LITERO がある。
LITERO には主に万年筆で「さらさら書く」「ぬらぬら書く」「かりかり書く」と書き味の違ふ三種類のノートがある。
どうも「かりかり」は苦手で、「さらさら」と「ぬらぬら」とは購入したが、「かりかり」は控へた。

「かりかり」が苦手と書きながら、無地のノートを遣つてゐると、書き込む文字が際限なく小さくなつてゆく。
細いペン先で細々と書いてゆくと、「さらさら」といふよりは次第に「かりかり」に近づいてゆく。
そんな気がする。

おそらく、やつがれは「かりかり」も好きなのだ。
そのことに、 MD NOTEBOOK 新書サイズを遣つてゐて気がついた。
かりかりとした書き味もありながら、しかし、かりかりし過ぎない。
そんな紙だと思ふ。

もう一つ、MD NOTEBOOK の新書サイズ方眼罫は、Bullet Journal にお誂へ向きといふのもよい点だ。
縦に三十二行あるから、MONTHLY PAGE が作りやすい。
公式ページにあるやうに縦に日付を作る場合は、だけどもね。
方眼罫だから自分でカレンダー形式の MONTHLY PAGE を作るのもかんたんだとは思ふ。これはそのうちやつてみるつもりでゐる。

まだはじめたばかりなのでこれは推測にすぎないが、Bullet Journal にはある程度ページ数の多いノートの方がむいてゐるやうな気がしてゐる。
六十ページの大学ノートだと一冊がすぐに終はつてしまひさうな気がするからだ。
すぐに終はつてもかまはないのかもしれないけれど、見返すにはちよつとページ数が多い方がいい。
かといつて、神戸手帳はすこし分厚すぎる。
以前も書いたやうに神戸手帳も Bullet Journal 向きだと思つてゐるのだけれど、あの分厚さが持ち歩きの際ネックになると思つてゐる。
一冊で手帳はすべてまかなへるのだから、あれくらゐ厚くてもいいのかもしれないけれど。

そこいくと MD NOTEBOOK は百七十六ページと適度にページ数も多く、サイズは新書だし、厚さも一センチメートルに満たないくらゐなので持ち歩きやすい。
この点に関しては云ふことなし、だ。

最後に個人的なことだけれども、人形劇三国志の関羽のブックカヴァをつけたところがとてもよかつたな、と思つてゐる。
いいんだよなあ、人形劇の関羽。
玄徳や孔明、(なぜか)趙雲のブックカヴァもあるので、そのうち気分によつて付け替へたいと思つてゐる。

そんなわけで、最近はすつかり Bullet Journal になんでも書くやうになつてしまつて、神戸手帳の方はお留守になつてしまつた。
どうしやうかな。いまの MD NOTEBOOK を遣ひ終はつたら、途中から Bullet Journal として遣つてみやうか知らん。

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Wednesday, 17 February 2016

修復不可能な脳へのダメージ

マルチタスクは脳によくないのださうだ。

きちんと元の記事を読んだわけではない。
見出しは「脳に深刻なダメージを与へる」となかなか衝撃的である。
しかも、永久的なダメージなのらしい。

うーん。

あみもののときにもしばしば書いてゐるやうに、やつがれはテレビを見ながらあみものをする。
ときにタティングレースや糸紡ぎのときもある。

テレビだけを見る、といふのが耐へられないのだ。
テレビを見てゐるのなら手は暇である。
そのあひだに、あみもののひとつもしたい。

無論、複雑な柄や模様のものは編めない。
編み図と首つぴきでなければ編めないやうなものはダメだ。
ひたすらメリヤス編みとかひたすらガーター編みのものや、くり返しの単純な模様だつたら普通に編めるし、テレビを見てゐるからといふ理由で編み間違へることもない。

はたしてやつがれは己が脳に深刻なダメージを与へつづけてゐるのだらうか。
音楽を聞きながら編むのもダメなのかな。

休みで家にゐる日には、酒を飲みながら本を読む。
はしたない? 失礼。
でも、お酒を飲みつつ本を読むのは実に楽しい。
これもダメなのかなあ。
ただでさへアルコールの摂取で脳によくない影響を与へてゐるといふのに、マルチタスクでさらにダメージを与へてゐるのだらうか。
ゐるんだらうなあ。

と、書いて、それでマルチタスクがやめられるのか。
そもそもマルチタスクつてなんなのだらう。
歩きながらスマートフォンを遣ふ。明らかにマルチタスクだな。
テレビを見ながら食事をする。マルチタスクだらう。
パワーランチなどといつて、昼食をとりながらミーティングをすることがあるといふ。これもマルチタスクには違ひない。
世の中、案外マルチタスクに満ちてゐる。
車の運転などはマルチタスクの最たるもののやうに感じる。
車の運転をする人は日々脳にダメージを与へつづけてゐるのだらうか。

元の論文(だらう、多分)と「マルチタスク」の指すものが違ふのかな。
違ふといいんだけれど。

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Tuesday, 16 February 2016

糸の巻き方

The Twirly をつなぐプロジェクトはあひかはらずお休み中である。

The Twirly とは Jon Yusoff のデザインしたタティングレースのモチーフだ。六角形で風車の形をしてゐる。
これをたくさんつないで最終的にはちよつと壊れた大きな六角形を作るのが「The Twirly をつなぐプロジェクト」である。

で、ただいま絶賛挫折中、と。

代はりといつてはなんだが、ちよこちよこと Mary Konior の Curds & Whey を結んでみたりしてゐる。
_Tatting with Visual Patterns_ に掲載されてゐる作品だ。

Curds and Whey in progress

Curds & Whey は、なんなんだらうね。
エジングでもないし、モチーフでもないし。
エジングにはしやうと思へばできないことはないけれど。
レースのテープのやうなものかな。
こんなレースを半襟に縫ひつけてみたいものである。

なんだかよくわからない Curds & Whey だが、何度も作つてゐる。
大抵は栞にしてゐる。
たまにビーズをあしらつてネックレスのやうなものを作つたりもする。

Curds & Whey はどちらも乳製品だ。
ここにも何度か書いたとほりである。
したがつて、Mary Konior の本にも白い糸で作つたものが掲載されてゐる。
これもおなじ本に掲載されてゐる Black Magic と同様に、みな思ひ思ひの色で作つてゐるやうだ。
本以外で白い Curds & Whey なんて見たことがないかも。
あ、以前、白に近い生成の糸に青いビーズをとほして「黴びた Curds & Whey」なんてなものを作つたことがあるから、それくらゐかなあ。

Curds & Whey のいいところはシャトルひとつでできることにある。
けれども、いつもなんだかうまくいかない。
これも以前書いたやうに、うまくリングの芯糸を引けないのだ。
引ききれない。
最初のスティッチと最後のスティッチとのあひだに芯糸が残つてしまふのである。

糸に妙な撚りがかかつてゐるのが原因かなあ。
それで時々シャトルをぶらさげて過剰な撚りをとりはする。
おそらく、シャトルに糸を巻く時点でダメなんだらう。
やつがれは GR-8 Tatting Shuttle を遣つてゐるから、ボビンに巻くとき、だな。

タティングシャトルやボビンに糸を巻くときは、糸を動かすのではなくて、シャトルやボビンを回すといいのだといふ。
よく本に載つてゐる方式だとシャトルを固定して糸をぐるぐる巻き付けることになる。
さうではなくて、シャトルをぐるぐる回して糸を巻き取るやうにするといいのださうな。
残念ながら試してみたことはない。
一度やつてみるか、と思ひつつ、そのままになつてゐる。

もうちよつと Curds & Whey を作つてみるつもりだ。
あとのことはそれからだ。

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Monday, 15 February 2016

ながらは悪いと知りつつも

今年の大河ドラマ「真田丸」を見てゐる。

最初は「見ないなー」と思つた。
去年も一度も見なかつた。
去年はナレーションが池田秀一だといふので一度は見たいと思ひつつ、見やうと思つたらもう放映が終はつてゐた。
今年は、これといつて見たい要素がなかつた。
いまでもない。
第一話だけ見て、「もう見ないな」と思つた。
実際、第二話と第三話とは見てゐない。
その後、第四話第五話は見た。

見てゐるあひだ、あみものができるからだ。

大河ドラマを放映してゐる時間にテレビは見ずに編めばいい、といふ話もある。
その方がきつとはかどるし、目の負担も少ないはずだ。
だが、それができない。
テレビを見ないのだつたらほかにしたいこともある。
本を読みながらだつて編めないことはないけれど、編みづらいよね。
あみものblogなどを見ると、あみものをしながら小説の朗読を聞くなどといふ人もゐるといふ。
Audio Book といふのだらうか。
いはれてみると Amazon ではさうした本(といはうかデータといはうか)を販売してゐる。
なるほどね。

でもまあ、テレビ番組とあみものとは相性がいい。
少なくともやつがれにはさう思へる。
ゆゑに、「真田丸」を見ることにした。
週に一度四十五分間は確実に編む時間を確保したわけだ。
途中でイヤになつて見なくなるかもしれないけどね。

ところで、ヨガソックスのあと、結局 Striped Shawl を再開した。
このままだと編み上げる前にあたたかくなりさうだつたし、やはりこのショールを仕上げたいと思つたからだ。
毛糸が足りないからショールぢやなくてマフラーになるかもしれないけれど、そこはそれ、だ。
とりあへず十分な長さがあることはわかつてゐるので、ショールになつてもマフラーになつてもいいと思つてゐる。

もちろん、できればショールにしたい。
Striped Shawl を編むことは二度とないと思ふからだ。
一列づつ編み上げていつて、現在三列目を編んでゐるところなのだが、編んでゐて編み地が重たいのである。
そらまあさうだよな。
ドミノ編みつてさういふものだよな。
いままでドミノ編みで大きいものを編んだことがなかつたので、わからなかつただけで。
そもそも、ショール自体がさういふものだ。
いままで編んだショールは、どんなに太い糸でもせいぜい中細までだつたし、編み地が大きくなつたら膝に載せて編んでゐたので問題なかつた。
Striped Shawl は合太から並太の中間くらゐの糸で編んでゐる。膝に載せて編むやうにはしてゐるけれど、うまく載らないんだなー、これが。
ひし形を編んでいく方のドミノ編みも大きいものを作らうとしたらかうなるんだらう。
ちいさいパーツを作つて最後につなぐのがいいのかもしれない。
Striped Shawl も考へてみたらさういふ風に作れないこともない。
さうか、さうやつて作ればいいのかな。

昨日は、かなりごきげんに編めた。
あまり進まないけれど、まあそれは仕方がない。
編んでゐて気分がよくないときは危険信号のときなので、よしよしといつたところだ。
この土日は異様にあたたかかつた。
まだ寒い日がつづくらしいから、そのあひだに Striped Shawl を仕上げたいなあ。

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Friday, 12 February 2016

多ノート遣ひに憧れて

長いこと、一度に使ふ手帳は一冊だと思ひ込んでゐた。

2010年に Moleskine のポケットサイズにあれこれ書きとめはじめて、それが自分の唯一の手帳・ノートだと思つてゐた。
その後も Smythson の Panama を使つたり、アサヒヤ紙文具店のクイル・ノートを使つたりしながら、でも「なんでも書きとめ帳」はつねに一度に一冊だと思つてゐた。

たしかに「なんでも書きとめ帳」としてはそれが正しい。
ほかにスケジュール帳も使つてゐたし、日々の行動だけを書きとめるためにほぼ日手帳や三年手帳も併用してゐた。

すなはち、自分は「多ノート遣ひ」だつたわけだ。

この事実に気づいたときの衝撃は大きかつた。
なにを大げさな、といはれるかもしれないが、だつてそれまで自分のことを「単ノート遣ひ」だと信じてゐたのだもの、そりやショックだよ。

そんなわけで、遣ひわけも考へたことはない。
気づいてみたら自然にさうだつた。

よく見かける「多ノート遣ひ」の人の blog などを読むと、母艦ノートと水雷……ぢやなくて小回りのきくノートとを併用してゐる、といふものが多いやうに思ふ。
普段持ち歩いてあれこれ書きとめるのには小回りのきくメモ帳などを用ゐ、重要なことを母艦ノートに書き写す。
そんな遣ひ方だ。

長いこと、「さういふノートの遣ひ方ができたらなあ」と思つてゐた。
ここに何でも書いてあるノートを一冊と、(自分にとつて)重要なことだけ抜き出して書き写す母艦ノート一冊と。
さういふノートの遣ひ方をしたい。
夢だつた。

でもどう考へても、母艦ノートに書き写す時間がとれない。
畢竟、メモ帳サイズの手帳になんでも書き、次第に長い文を書くやうになつた。

長い文を書き始めると、箇条書きのやうな短いものは埋もれていく。
やつがれの書き方が悪いのだらうが、さうなつてしまふ。

Bullet Journal をつけるやうになつて、そこになにか変化があらはれるだらうか。
あらはれてほしい。
そんな風に思つてゐる。

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Thursday, 11 February 2016

スケジュール帳が増えすぎて

Bullet Journal をはじめて困つたことがある。
現在使用してゐるスケジュール帳が三冊になつてしまつたことだ。

何度か書いたやうに、去年のうちから今年のスケジュール帳は MIGNON に決めてゐた。
暮れに突然スライド手帳が使ひたくなつて、急遽増やした。
そこに Bullet Journal が加はつてしまつた。
いまのところ、三冊とも使つてゐる。

ここ何年か、スケジュール帳には Smythson の SCHOTT'S MISCELLANY DIARY (以下、SCHOTT'S)を使つてゐた。
これがすこぶるやつがれにぴつたりの手帳だつた、といふ話は何度か書いてゐる。
うすくてかるくてちいさいからどこにでも持つていける。持つてゐるかばんのいづれにもおさまる。ゆゑに活用する。
さういふことだつた。
SCHOTT'S は読んで楽しく書き込んで楽しい手帳でもあつた。
ほぼ日手帳の今日のことばのやうな sentimental な内容はまつたくない。
その日に誰が生まれ、誰が死に、こんな事件があつたよ、といふ内容と、週に一度、変はつた単語の説明がある、そんな感じ。
巻頭と巻末も結婚何周年はなんと呼ぶとか、英国またはロンドンの名所などの電話番号、ワインの生産地と年とその評価などのお役立ち情報が載つてゐる。
事実だけ、それもときにちよつとした sarcasm といふか批評が淡く混ぜてある、そんな内容だつた。
なにも書かなくても十分楽しく読める手帳、それが SCHOTT'S だ。

最初は予定だけ書き込んでゐたのだが、いつしか実績を書き込むやうになつた。
実績、といふと大げさか。
その日持ち歩いたかばんや読み終はつた本の題名、あみものの始めた日と終はつた日などを書き込むやうになつていつた。
さういふのも読み返すのが楽しいんだな、これが。

SCHOTT'S が今年はなくて、ぢやあ Panama のほかの手帳にしやうかと一時考へた。
いろいろ悩んで、MIGNON にした。
MIGNON の紙もまた書き込んで楽しい紙だからだ。
SCHOTT'S は見開き一週間で、一日分のスペースは日付とその日にあつたできごと以外は空白だ。
それで好きなやうに書き込みやすかつた。
その分なにがなんだかわからなくなることもあつたけれどもね。
MIGNON も見開き一週間で、一日分のスペースには八時から十九時まで一時間ごとに罫線が横に引かれてゐる。真ん中で左右に分かれてゐて、左側が九時から十三時、右側が十四時から十九時らになつてゐる。
以前使つてゐたころはこの時間による罫線の区切りが使ひづらかつた。
これだと八時より前と二十時以降のことは書きづらい。
それに、実績も書き込みづらい気がした。

それで、今年は時間を無視することにした。
左側に予定、右側に実績を書くやうにしたのだつた。
右側にはその日使つたかばんやインキを補充した万年筆、読んだ書籍などを書く。
左側には予定を書く。
これでうまく使へてゐる。

予定、と書いたが、しかし、その予定がなかなかたてられない。
それで使ひはじめたのがスライド手帳だつた。バイブルサイズを選んだ。HIRATAINDER もあはせて使つてゐる。
先日、スライド手帳を使ふやうになつてから、次週(以降)の予定をたてるやうになつた、と書いた。
これはいまでもつづいてゐる。
今後もつづくといいな、と思つてゐる。

スライド手帳を使ひはじめてわかつたことがある。
これまでは、予定を立てることをおそれてゐた。
予定を立てて、そのとほりにものごとを運ぶことができない。
ゆゑに、予定を立ててもそのとほりにならないことを厭ふてゐた。
そのことに気がついた。
予定なんて、別に達成しなくてもいいのだ。
できなかつたからといつて地球が滅びるわけではない。
とりあへず、これがしたいといふことを書き出してみる。
それでいいぢやあないか。

それでもまだ、予定を立てることへのおそれはまつたくないわけではない。
まだあるけれども、それは今後緩和されていくんぢやないかな。
いくといいな、と、スライド手帳を使ひながら思ふ。

ところで、スライド手帳は HIRATAINDER といふバインダとあはせるとすこぶる調子のいい手帳だ。
HIRATAINDER はおどろくほど平らに開くバインダである。
ゆゑに書き込みやすい。
だから、左側のページに来る次週以降のページにはあれこれ書き込みたくなる。
逆に、リングが手に当たる右側のページにはそれほど書き込みたいといふ意欲がわかない。
すなはち、実績は書き込みづらい。
実際、一月からスライド手帳を使つてゐるけれど、こちらにはかばんや万年筆、書籍の名前はまつたく書き入れてゐない。
MIGNON があるからいいかな、とも思つてゐる。
でも、さうするといつまでたつても MIGNON とスライド手帳とを一緒に持ち歩かないといけないんだよねえ。

さらに、スライド手帳をバイブルサイズにしたことで、書き込める量がすくないことも気になつてゐた。
持ち運ぶこととサイズとを天秤にかけてバイブルサイズにした。これは正しい判断だつたと思つてゐる。
A5だとうまくおさまらないかばんもあるからね。

また、昨日も書いたやうに、日々いろいろ記録してもこぼれ落ちていくものが多いやうに感じてゐた。

そこに Bullet Journal だつた。

この三つをうまく統合する方法はないだらうか。
これが目下の問題点である。

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Wednesday, 10 February 2016

弾丸日誌はじめました

月曜日からBullet Journal をはじめた。

きつかけは Notebookers.jp だつた。
寡聞にして存じ上げず、「Bullet Journal ? なんだらうそれは」といふのでWeb検索をかけた。
おもしろさうだつたので、はじめてみた。

Bullet Journal については本家サイトの動画をご覧いただくのかまづはいいかと思ふ。
英語だけどやつてゐることはわかりやすいからね。
Bullet Journal は気に入つたノートとペンとを使ふ日誌だ。
主な構成はINDEXページ、Futureページ、Monthlyページ、Dailyページだ。あとは必要に応じて好きなページを作つてもいい。
なにをどのページに書いたかをINDEXページ、すなはち目次ページに書いておけばいいからだ。

Bullet Journal のなにがいいと思つたのか。
日々頭に浮かぶあれこれを書きとめておくのにいい方法かな、となんとなく思つた。
これまでは Moleskine のポケットサイズや Smythson の Panama、今だと神戸手帳に思ひつくことを書き連ねてゐた。
それでもう五年以上やつてきてゐる。
自分にあつた書き方使ひ方なのだと思ふ。
問題は、書いたら書きつぱなしになりがちなことだ。

一応、前日に書いたこと、一週間前に書いたこと、おなじノートに残つてゐれば一ヶ月前に書いたことを見返すやうにしてはゐる。
それでもこぼれ落ちていくものは多い。
こぼれ落ちていくのは、その時々に思ひ浮かんだどうでもいいやうなことなのだが、でも忘れたくないこともある。
Bullet Journal だとこぼれ落ちていくものを幾許かでもすくへるのではないか。
そんな気がしてゐる。

はじめるにあたつてはノートが必要だ。
幸ひ、手元に未使用の新書サイズのMDノートがあつた。
お誂へ向きに方眼紙だ。
一ページ三十二行だから、月間ページも作りやすい。
月間ページは縦に日にちを記入していくのだが、カレンダー形式の方が見やすいやうな気もする。
そのうちカレンダー形式を試してみるつもりだ。

月曜日からはじめて三日、それなりに気に入つたので、ノートにカヴァをつけることにした。
「人形劇三国志」の関羽である。

Bullet Journal

去年の三月から四月にかけて、水戸エクセルで開催されてゐた「三国志 川本喜八郎の世界」展にあはせて水戸エクセルにある川又書店にあつたカヴァだ。

Bullet Journal

新書サイズのノートだからぴつたりだ。
このままだとカヴァが汚れるのでビニルのカヴァもつけてみた。
ほんたうはMDノート用の透明カヴァがほしかつたのだが、生憎と近所には売られてゐない。
見つけたら買つてしまふかも。

ところで、参考にした Bullet Journal のヴィデオがチト古かつた。
そのため、まづ月間ページを作り、日間ページを書きはじめたところ、使ひづらい点が発生した。
来月以降のことをどこに書いたものやらわからないのである。

本家サイトの動画を見たら、ちやんと未来用のページを用意してゐた。
さうだよなあ。さうなくてはかなはぬかなはぬ。
日間ページの途中に未来用のページをはさんでもいいかな、と思つた。
Bullet Journal はそのあたり柔軟にできてゐて、目次のページにちやんとページ数を入れておけば問題なく使へるやうになつてはゐる。
でもそれだとなんとなくおさまりが悪い気がした。
とりあへず今月は未来用のページなしで行くことにして、来月月間ページを作る前に未来用のページをはさむつもりでゐる。

Bullet Journal をはじめる前に気がかりだつたことがある。
Bullet とは、箇条書きの前につける「・」のやうな記号をさす。
つまり、基本的に Bullet Journal とは箇条書きであれこれ書き記すものだ、といふことだ。
果たして自分にひたすら箇条書きであれこれ書きつけることができるのだらうか。

といふのも、なんでも書く用手帳も最初は箇条書きにしてゐたからだ。
それが次第に長い文を書くやうになり、いまでは一ページ一内容が基本になつてゐる。
一ページ一内容といふのは、一行だけ書いて別の内容は次のページに行くといふ意味ではない。
一ページびつしり一内容について書く。
神戸手帳だと一ページに書ける量が多いので、びつしりとは書けないことも多いけれどもね。
そんな自分が箇条書きで細切れにあれこれ書いていくことなどできるのだらうか。

まあ、いまのところできてゐるね。
とりあへず箇条書きで思ひ浮かんだことを書き連ねておいて、あとで文章用のノートに文を書いてもいい。
まづそんな清書の時間は取れない気がしてゐるけれど、いまはさう思つてゐる。

まだはじめて三日だけれど、次の Bullet Journal はマルマンのクロッキー帳のスケジュール帳がいいんぢやないかと思つてゐる。
いまでも売られてゐるかなあ。

さうさう、神戸手帳も Bullet Journal 向きのサイズだ。
問題は普段持ち歩いているかばんから考へるとちよつと分厚いんだよね。
Bullet Journal をつづけるやうならそのうち神戸手帳で試してみることもあるかもしれない。

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Tuesday, 09 February 2016

おやすみ中

先週一週間、タティングはしなかつた。

先週書いたとほり、「The Twirly をつなぐプロジェクト」にあまりにも間違ひが多くてやる気を失つてゐたからだ。

The Twirly は Jon Yusoff のデザインしたタティングレースのモチーフだ。六角形で風車に似た形をしてゐる。このモチーフをたくさんつないでちよつと壊れた大きな六角形を作るのが「The Twirly をつなぐプロジェクト」である。

休んで、やる気になつたかといふと、さうでもない。
でもムリにやる気を出してつづけるよりはちよつと休んだ方がいいかな、といふ気はした。
ここ二年ほど、ずつとこのプロジェクトにかかりきりだからだ。

最初は、チェインの部分の作り方を間違へてゐたので、21枚つないだところで一度やめた。
この時点で大きな六角形が3枚つながつてゐるので、ちよつとしたランナーにはなつてゐる。

気を取りなほしてもう一度最初から作りはじめて、現在70枚ほどつながつてゐる。
先は見えてゐる。

さう、先は見えてゐるのである。

今回もちよつと時間をおいて気を取りなほして、慎重に再開すればいいかな、と思つてはゐる。
でもその前になにか別のものを作りたい気もしてゐる。
栞とかさ。

ただその作りたいものが見つからないので停滞してゐるのだつた。
作りたいといふ気持ちはあるんだけどなあ。

「サンクコスト」と云はれやうが、The Twirly をつなぐプロジェクトは完遂するつもりでゐる。
いまのところはね。

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Monday, 08 February 2016

編みはじめられない

ヨガソックスは編み終はつた。

Yoga Socks

林ことみの「北欧ワンダーニット」に掲載されてゐるエストニアンスパイラルのくつ下だ。

ヨガソックスの効用はここにも何度か書いた。
電車の中などで足下が冷えるときに足首があたたかいといふだけでだいぶ違ふ、とかね。
でも一番いいのはかかととつま先といふ一番ダメになりやすいところが最初からないところだ。
ゆゑに履いて外に出てゆきやすい。
かかとがあると靴とすれてそこから穴があいたりするからね。

そんなわけで、あともう一足くらゐは編んでおきたい。

このくつ下は、Regia の Crazy Color といふ毛糸で編んだ。
確か三ツ葉屋で買つたものだ。
エストニアンスパイラルにする必要はなかつたなと思つてゐたけれど、この毛糸とエストニアンスパイラルは合つたな。
柄もできるだけ合はせてみたつもり。

次に編むヨガソックスはなにかほかの模様にする予定だ。
いままで編んだ中で気に入つてゐるものか、あるいは編んだことのないくつ下のかかととつま先とを編まないやうにするつもりである。
まだどの毛糸でどんなくつ下を編むか、具体的には決めてはゐないけれども。

ところで、ほんたうはのヨガソックスは昨日編み終はつてゐるはずだつた。
「真田丸」を見ながら編むつもりだつたからだ。
実際、見ながら編んだのだけれども、編み終はらなかつた。
編む速度が落ちてゐるんだなあ。
地震があつて暖房を切つてゐたから手先がかじかんで編みづらかつた、といふのもあるにはある。

Yoga Socks

こんな風にちやんと次に編むものも用意してゐたといふのにね。

暮しの手帖79号」に掲載されてゐる帽子を編むつもりでゐたんだな。

しかし、突然気が変はつた。
去年、この毛糸で大きな三角ショールを編んだ。
それに合はせて帽子を編まうと思つてゐたのだが、お揃ひにするのはマフラーといふかネックウォーマがよからうと思ふに至つた。
だつてショールを肩にかけたつて、襟元は寒いぢやん。

さう思つて、いろいろ考へてまづはアフガン編みのマフラーを編みはじめてみたのだが、すでにほどいてしまつた。
この毛糸はとてもやはらかくて手触りがいい。
アフガン編みにすると、裏はあまり手触りがよくないのだつた。

しかし、だからといつて代はりにどう編んだものやらわからない。
思ひ浮かばないのだつた。

なんか、こー、編む力が落ちてるんだよなあ。
ヨガソックスを編んでゐる蔡中もちよつとそんなことを思つた。

とりあへず、Striped Shawl の続きを編むかな。
さうしないともう暖かくなつてしまひさうだし。

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Friday, 05 February 2016

二人だけぢやダメなんぢやよ

人間、ひとりでは生きていけない。

朝起きる。
布団から抜け出して思ふ。
布団を作つたのは自分ではない。
買つたのは自分かもしれない。
しかし買ふためのお金は誰かがくれたものだ。
そこからして、もうひとりではなにもできない。

そもそも布団を作つた人がゐる。
作つたのは人ではないかもしれない。
でも布団を作つた機械があるだらう。
といふことはその機械を作つた人がゐる。
機械を設計した人がゐる。
以下、エンドレスである。

「ヒカルの碁」に、「神の一手」にせまるには等しく才能に恵まれた人間が「二人ゐるんぢやよ」といふセリフがある。
ひとりだけぢやダメなのだ。
碁はふたりで打つものだから、最低でもふたりゐないと「神の一手」はのぞめない。

だが、ほんたうにふたりだけでいいのだらうか。

「神の一手」にせまれるやうな才能に恵まれた人間が出てくるのはどういふ状況だらう。
おそらくは、「神の一手」など到底のぞむべくもない人々が碁に親しんでゐなければならないのではあるまいか。

野球で考へてみやう。
なぜ世界大会で日本が勝てるのか。
いまはともかく十何年か前までは、男の子がやるスポーツといつて一番人気は野球だつたからではあるまいか。
有象無象が野球をやる中から、優れた選手がたまさか登場する。
さうして登場した選手が集まつて強いチームができる。
有象無象は気の遠くなるやうな数必要だし、時間もまたさうだらう。

「神の一手」にせまるにも、さうした名も知れぬ人々の脈々とした碁への取り組みが必要なのだと思ふ。

たまに映画を見る。
よほどのことがない限り、エンドクレジットも最後まで見る。
途中からまつたく名前が追へなくなる。
エンドクレジットに名前の出てくる人々は、ちやんとこの映画に携はることでお給金をもらへてゐるのだらうか。
いつもそれが心配になる。

芝居もさうだ。
自分が見はじめたときよりも明らかに役者が減つてゐる。
当時あつた名前がいまはない。
襲名候補さへゐないといふ名跡がいくつもある。
役者だけぢやない。
大道具や小道具、衣装に使ふ素材を作る人がゐなくなつてゐるといふ。

おそらく、今月、国立小劇場に行つたらまた思ふのだらう。
人間、一人では生きていけないのだ、と。

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Thursday, 04 February 2016

Feedbackといふ名の報酬

今日も引き続き feedback loop について考へる。

正確にいふとちがふかな。
feedback となる「報酬」「ご褒美」について考へたい。

昨日、とあるblogでblog主の人がご自身が可哀相なので、ジャンクフードなどおいしいけれども健康には悪いものを食べてしまつてゐた、でももうやめた、といふやうな内容のことを書いてゐるのを読んだ、と書いた。

では、疲れたときや自分なりによくやつたなあと思つたときには、どうすれば自分を entertain できるのだらうか。

feedback は早い方がいいと考へたら、結局おいしい(けれども躰には悪い)ものを食べるか、買物をするのが手つ取り早い。
即効性がある。
しかもかんたんだ。
そりやーつひつひジャンクフードを食べたりいらぬものをオンラインでポチつたりしがちなわけだよ。

ところで先日も書いたミニマリストである。
ミニマリストはものを所有することに重きをおかない。
必要最小限のものしか所有しない。
とはいつても自分の好きなものは手元に置くだらうといふ気もするが、それだつてやつがれの目から見たらないもおなじだ。

ミニマリストの人は、どうやつて経済に貢献するのだらうか。

ちよつとweb検索をしてみたところ、やはりさういふ視点でミニマリストを語る人もゐるやうだ。まだ中身までは見てゐない。検索結果をざつと眺めての感想である。

だいたい、出費つてものを買ふときに発生するだけぢやないからね。
旅行だつて芝居だつてスポーツ観戦だつてなにがしかの出費がかかる。
スポーツ選手や芸能人、音楽家や役者に惚れ込んだら大変だぜ。
日本全国津々浦々、場合によつては世界にまで出かけていつて惚れた相手の performance に酔ひしれることになるかもしれない。
ものを買ふよりも、この方が断然経済への貢献は大きい。

やつがれの知る範囲では、ミニマリストの人は旅行のやうなものへの出費については云々してゐないやうに思ふ。
それともしてゐるのかな。
ま、いいか。

ものを所有することだけが経済活動ではない。
feedback もまた、物理的なものを得ることだけで得られるわけでもない。

つまり、だ、これまではつひジャンクフードやムダな買物に向いてしまつてゐた feedback を、芝居見物だの演奏会だのに費やすやうにしたらどうだらうか、といふ話だ。

これは一見いい案だ。
でも、即時性に欠ける。
月曜日にものすごくがつくりくるやうな仕事を請け負つて、その気晴らしに芝居見物をしやうとしたら平日のあひだはムリだつたり。
こんなことはザラにある。

やつがれの場合は、ジャンクフードを食べたり「ポチつとな」をしたりする代はりに、「人形劇三国志」を見てもいいことにしたらどうだらうか、と考へたりしてゐる。
現在は夜寝る前にちびちびと見返してゐる「人形劇三国志」だが、これをやめる。
そして、「今日は疲れたなー」とか「今回はがんばつたぢやあないか、ヲレ」といふときにだけ、見ていいことにする。
どうだらうか。
いいんぢやあるまいか。
問題は、普段見ずに過ごせるのか、といふところだな。

ひとまづははじめてみるか。

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Wednesday, 03 February 2016

Feedback が必要だ

feedback loop について考へてゐる。

先月、Jon Ronson の So You've been Publicly Shamed を読んだ。
なかに、速度制限の道路標識の下に自分の運転する車の速度を表示する装置を取りつけたところ、スピード違反が減つたといふ話があつた。
標識に書かれてゐるのが 35 mile/hour で、自分の車が 37 mile/hour で走つてゐるのがわかると、人はスピードを落とすのだといふ。

これが feedback loop なのださうだ。

さういへば小学校のときに、テストの結果はテストした翌日のうちに返す方がいい、といふ話を聞いたことがある。
テストを受けた記憶の残つてゐるうちに結果が返つてきた方がテストの内容が記憶に残るのだとか。
これも feedback loop の例だらう。

以前、どこかのblogで、「もうこれ以上自分のことを可哀相と思つてはいけない」と書いてあるのを読んだ。
blog主は、仕事などで疲れ切つてゐる自分が可哀相で、それでつひ甘やかしてジャンクフードのやうな躰にはよくないがおいしいものを食べてしまつてゐた、その結果体重が増えてしまつた、といふのだ。

それは思ひあたる節がある。

なんかもう今日は疲れてしまつたし、かんたんな食事でいいよね。買つて帰るか食べて帰るかしやう。
さう考へることはよくある。
ほかに疲れを癒す方法を思ひつかないのだ。

あるいは Amazon や楽天でつひ買物をしてしまふ。
働いて疲れてるんだからいいよね。
これもまたほかに疲れを癒す方法を思ひつかないからだ。

食べることも買物することも、feedback は即やつてくる。
ほかにさういふものを思ひつかないんだよね。
なにかあれば、そちらを優先するのに。

先に書いたblog主は自分を可哀相と思はないことにしやうと書いてゐたけれど、やつがれの場合は疲れたと思はないやうにしなければならないのだらうか。

うーん。
それは多分ムリ。

といふわけで、なにかすぐに feedback を得られるやうなご褒美(といふことばは好かぬが)を考へなければならない。
しかし食べるとと買物することと以外に、有効な手だてはあるだらうか。

いまのところ思ひつかずにゐる。

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Tuesday, 02 February 2016

失敗ばかり続くので

失敗に次ぐ失敗に、「やめやうかな」といふ気持ちになつてゐる。
The Twirly をつなぐプロジェクトのことである。

The Twirly とは Jon Yusoff のデザインしたタティングレースのモチーフだ。六角形で風車のやうなかたちをしてゐる。これをたくさんつないでちよつと壊れた大きな六角形を作るのが「The Twirly をつなぐプロジェクト」である。

年末から、年賀状用のモチーフを作るのでプロジェクトは停滞状況にあつた。
年が明けて再開してみたところ、なんだかしよつ中間違へてゐる。

最初はモチーフを間違つた位置につないでしまつた。
そのモチーフを切るときに、ほかのモチーフのさらにほかのモチーフをつないでゐるピコを切つてしまつた。
そこはなんとかやり過ごしたが、次につないだモチーフは六つ目のくり返しをつなぐのを忘れてしまつた。

うーぬ。

六つ目のくり返しをつなぐのを忘れてしまつた件については、糸でつなぐでなんとかならないかなあ。

手当を最小限にしやうとさう考へる一方で、「なんだかもうやめちやはうかな」と思つたりもしてしまふ。

ここまでつないできたのに、だ。

ここまでつないできたけれど、こんなにしよつ中間違へてゐるのでは先が思ひやられてしまふ。

どうしたものかのう。

「ここまでつないできたのに」と考へてしまふのは、サンクコストのせゐなのではあるまいか。
さう考へると、もうここでやめてしまつた方がいいやうな気もする。
そもそも The Twirly をいま考へてゐる形につなぐのが間違ひだつたのではあるまいか。
ほかの、もつとつなぎやすい形のモチーフの方がよかつたのでは。
さうも思ふ。

ひとまづはやる気が回復するのを待つしかないか。

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Monday, 01 February 2016

2016年1月の読書メーター

2016年1月の読書メーター
読んだ本の数:7冊
読んだページ数:1728ページ
ナイス数:26ナイス

長考力 1000手先を読む技術 (幻冬舎新書)長考力 1000手先を読む技術 (幻冬舎新書)感想
ほかの題名はつけられなかつたのだらうか。題名ありきで書いたのなら書き手が悪いし、あとから題名をつけたのなら題名をつけた人が悪い。内容自体は悪くないので、ほんと、題名大事。
読了日:1月2日 著者:佐藤康光
[決定版]鎌倉の寺社122を歩く (PHP新書)[決定版]鎌倉の寺社122を歩く (PHP新書)感想
鎌倉のガイドブックを買ふつもりでゐたが本屋で見比べてみてもどれがいいのかよくわからずこの本を買つてしまつた。平日に行つたといふ記述が多いのがチト不安ではある。鎌倉を歩いて回るつもりなので、参考になるといいなあと思つてゐる。
読了日:1月7日 著者:槇野修
So You've  Been Publicly Shamed (English Edition)So You've Been Publicly Shamed (English Edition)感想
明日は我が身、なんだらうなあ。道路の速度制限の話がおもしろかつた。速度制限の標識の下に通過する自動車の速度が表示されるといふもので、この仕組みを入れてから速度違反が減つた、といふ話。feedback loop ぢやないか、といふんだけど、この仕組みをほかのことにもうまく使へないか知らん。自分も義憤にかられやすい(つまり自分の思ひ通りにならないと怒る)タイプなのが心配だ。
読了日:1月16日 著者:JonRonson
料理と科学のおいしい出会い: 分子調理が食の常識を変える (DOJIN選書)料理と科学のおいしい出会い: 分子調理が食の常識を変える (DOJIN選書)感想
「理系の料理」といはれて思ひ浮かぶのはかういふ話、かなあ。加工食品を食べるのは勧められない訳はわかるが、大抵の場合は熱は加へないといけないわけで、その時間をどう捻出するか、だなあ。服作りのやうに料理も趣味として楽しむ人の方が必要にかられてする人よりも増えていくのだらうな。もうすでにさうなつてゐるのかな。
読了日:1月19日 著者:石川伸一
Bartleby, the Scrivener A Story of Wall-StreetBartleby, the Scrivener A Story of Wall-Street感想
これつてさー、主人公は絶対バートルビーのことを忘れられないよね。ひどい話だ。切ない話だ。「モンキービジネス」で読んでゐるはずなんだけど、こんなにをかしい話だつたつけか。ターキーとニッパーズとの対比とか、をかし過ぎる。生姜豆は生姜豆だし。そこにやつとまともさうな人がやつてきたと思つたら、だもんなあ。ひどい話だ。切ない話だ。
読了日:1月21日 著者:HermanMelville
『罪と罰』を読まない『罪と罰』を読まない感想
やはり刑事コロンボと思ふのか。実は二度ともマルメラードフに身につまされて挫折した自分が読み切れたのは、「コロンボのモデルが出てるんだよ」と云はれたからだつた。コロンボが好きなわけぢやないし、ほんたうにモデルかどうかは知らないけど。でも結構忘れてるし、「あ、あれは「贋作 罪と罰」だつたつけか」みたやうなところがたくさんある。読みなほした方がいいのかも。それにしても、こんな風に読んだことのない本を「これはどういふ話か」と推理し合へるのつてちよつと羨ましい。「罪と罰」だからできた技か。
読了日:1月21日 著者:岸本佐知子,三浦しをん,吉田篤弘,吉田浩美
真田太平記(一)天魔の夏真田太平記(一)天魔の夏感想
こんないいところで終るんだつけか。かなり忘れてゐるなーと思ひつつ何年ぶりかに再読。忘れてゐる分楽しめてゐると思ひたい。
読了日:1月24日 著者:池波正太郎

読書メーター

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同時に編む

ヨガソックスは、片方編み上がつた。
くつ下編みの極意は、「片方が編み上がつたら即もう片方を編み始める」である。
手袋もさうかな。
セーターなどの袖もさう。
カーディガンなど前身頃が分かれてゐる場合もさうだな。

くつ下のやうに対になつてゐるものは同時に編む、といふ方法がある。
くつ下の編み方の本に、そんな方法が出てゐるものがあつたやうに思ふ。残念ながら購入してゐないので書名などはわからない。

対になるものを一緒に編む場合のよい点として、増減目や模様をおなじタイミングで入れるのがかんたんになる、といふのがある。
袖などは増減目がやたらと多いので、同時に編むとその恩恵がよくわかる。
カーディガンやヴェストの前立て部分の減らし目もさうかな。
くつ下だと脚部分の長さやかかと・つま先のあたりを段数をあまり数へずに編めるやうになる。

また、同時に編むので、編み上がりもほぼ同時になるのもいい。
セーターを編んでみると、案外袖に時間がかかる。
片方編めたのだから、次はもつと早く編めるだらうとたかをくくつてゐると、さうは問屋がおろさなかつたりする。
あれは、なぜかねえ。
不思議だ。

もちろん、同時に編む場合の短所もある。
糸がふたつ針にぶらさがるので、取り回しに気を遣ふといふのが一点。
前身頃だとか袖はかなり幅があるので、針につけたままだと大きさがわかりづらいといふのが一点。
あとは針にぶらさがる編み地がちよつと重たくなるといふのが一点。

この前セーターを編んだときは輪の状態で編んだこともあつて、袖は別々に編んだ。
後ろ身頃前身頃袖と別々に編むのだつたら、両方の袖を同時に編むなー、きつと。
実際、以前前あきのヴェストを編んだときは前身頃は左右同時に編んだし。
まあ、おそらく今後しばらくは着るものを編むことはないだらうけれど。

くつ下の一足同時編みはたまにやりたくなる。
同時編みのときはマジック・ループを使ふことにしてゐる。
たまにやらないとやり方を忘れさうな気がするんだよね。

ところで片方を編み終はるのにかなり苦労したヨガソックスだが、もう片方はすでに脚の部分が半分くらゐまでできてゐる。
なんだか突然サクサク編めるやうになつたんだよね。
ちよつと前までは「もう編み物できなくなるのかも」とか思つたりしてゐた。
もしかしたら、さうなるかもしれないけれど、まあいまのところは大丈夫かな。

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