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Friday, 29 January 2016

いつでもぼんやりしてゐたい

ぼんやりしたい。

絵を見に行つて、気に入つた絵の前でぼんやりと立ち尽くしてゐたい。
ただぼんやりと電車に揺られてゐたい。

「ぼんやりしたい」でWeb検索をかけると検索結果数がかなりの数にのぼる。ちやんと確認してゐないけれど。
結構「ぼんやりしたい」といふ欲求はあるものなのらしい。

さうなのかなあ。
道行く人も電車で乗り合はせる人も、なんだかものすごくあくせくしてゐる。
今朝、こどもを前に載せたお母さんが自転車でこちらにつつ込んで来た。どうやらこちらがよけると思つたのらしい。相手の意図がはかれぬ以上、よけたら危ないと思つたので立ち止まつたから相手がよけたけど、余裕が感じられないんだよね。

何年か前の平日の朝、東京駅を降りて日本橋方面をめざして歩いてゐたら、道行く人がみな殺気立つてゐて怖かつた。
よらば斬るぞ、といふ感じ。
それより前にやはり平日の朝そのあたりを歩くことがあつたけれど、そのころはそんな殺気はなかつたやうに思ふのは、もしかすると自分も殺気立つてゐたからなのかもしれない。

なぜそんなにあくせくと急いでゐるのか。
ぼんやりする時間を捻出するためか。
どうやらさうではない気がする。
急いで急いで、周囲の他人など眼中にないやうすで殺気立つて、ますますみづからを追ひ込んでゐる。
そんな気がする。

検索結果の中身まで見たわけではないが、ぼんやりする時間を過ごすのはいいことなのださうである。米国だかの研究の結果、それがわかつたのださうな。
でもきつと、米国の人でぼんやりする時間を必要としてゐる人は、ただぼんやりすることができないのだらうな。
だから「Zen」だとか「瞑想」だとか云ひ出すんだらう。
そんな名前だとか理屈だとかつけずに、ただぼんやりすればいいのに。

ぼんやりする時間を過ごすことも必要なのらしいが、おそらく程度によるんだらう。
やつがれは、いつでもぼんやりしてゐたい。
ほんたうは芝居や映画もぼんやり見たい。
でも動くものを見るとなんとなくぼんやりしづらい。動くものに集中してしまふからだらう。
昔はぼんやり見てゐたやうな気がするんだがなあ。

「ぼんやりしたい」と思ふからよけいにぼんやりできないやうな気もする。
この週末は「ぼんやり」を頭から追い払つて過ごすことにするかな。

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