establishment に憧れて
世に上流中流下流があるとして、自分は下流に属するんだらうなと思つてゐる。
中流以上に属する人間は「芝居見物をやめたらもつとまともな暮らしが送れるか知らん」などと考へたりしないと思ふからだ。
先日、Twitter で「地方出身だと文化的なものになかなか触れる機会がない。その結果、上京して生活をはじめても、文化的なものに触れやうといふ意識がわきづらい」といふやうなつぶやきを見た。
また、朝日新聞で、いはゆる下流老人はTVしか娯楽がない、といふやうな記事を読んだ。
我が家で芝居見物に行くのはやつがれだけだ。
いまはもう行かなくなつてしまつたけれど、演奏会に行くのもやつがれだけだつた。
展覧会もさう。こどものころ、一度だけ家族でピカソ展を見に行つたことがあつたけれど、五月の連休か何かでえらい混んでゐて、それ以降行つたことがない。
誘つても行きたいとは云はれない。
我が家がどれくらゐのレヴェルか。
あるときメトロポリタンオペラの来日公演でパヴァロッティを聞きに行つたとき、客席にドミンゴがゐて、幕間にすぐ隣をすれちがつたことがあつた。普段着のドミンゴは、そりやあステキだつた。
家に帰つて興奮して「すぐそばでドミンゴを見たんだよ!」と語つたら、「誰それ?」と云はれて終はつた。
そんな感じ。
こどものころ、どこかの時点で「これではダメだ」と思つたのだらう。
それでわかりもしないのにNHK FMなどでクラシック番組を聞いてゐた。
楽器を買へもしないのに楽隊に入りもした。学校で所有してゐる楽器を貸してもらへたからだ。
たぶん、Twitter で見かけた「文化的なものに触れる機会のない」人と、三多摩地区に生まれ横浜市のはづれに育つたやつがれとはほぼおなじやうな状況にゐたのだと思ふ。
違ふところがあるとしたら、幼いころに「これではダメだ」と思ふきつかけがあつたか否かだ。
そのきつかけは、緑深いところとはいへ都心に比較的近い土地に暮らしてゐたから得ることができたのだらうか。
否、とはいへない。
自分でもどうして「これではダメだ」と思つたのか、そのきつかけは思ひ出せない。
おそらく本を読むうちに世の establishment な人々は文化的なことにも造詣が深いものだと知つたのだと思ふ。
つまり、やつがれは establishment な人々の仲間入りをするつもりだつたのだ。
当時はもう仲間だと思つてゐたんだらう。
establishment な人々のことを知つたのは本、と書いた。
TVからもさういふ情報は得たやうな気がするけれど、でもそんな番組を見てゐたかなあ。
案外アニメーションなんかで敵のスノッブな感じの登場人物がクラシック音楽を聞いてゐたりしたのだらうか。
それぢやあ「戦国魔神ゴーショーグン」のブンドルか。しかしブンドルはカリカチュアされたキャラクタで、彼を見て「establishment とはかうしたもの」とは思はないよなあ。
まあ、「いさぎよく一括払ひだ!」はいまでも座右の銘(違)ではあるけれど。
あとはまんがかな。少女まんが。
まんがも本か。
少女まんがの影響は絶大だ。
さうか。「これではダメだ」のきつかけは少女まんがか。
きつかけが少女まんがなら、住んでゐる場所は関係ないのぢやあるまいか。
「これではダメだ」と思ひはして、しかし実際に自分であれこれ見聞きできるやうになつたのは働けるやうになつてからだし。
それでもすぐそばで文化的な催しがあるといふのが大きいのだらうか。
たぶん、大きいのだらう。
ところで、いろいろ見聞きするやうになつて、でもやつぱりダメなものはダメなのだつた。
ドミンゴを知らない(松田聖子とデュエットしたこともあるといふのに)やうな家族からは、それ相応の人間しか生まれない。
つくづくさう思ふ。
結局、演奏会へは行かなくなつてしまつた。
平日の夜開催されるものが多いのと、やはり懐具合の関係とで、な。
それに行つたところでどうなるといふものでもない。
むしろ自分が行くよりもほかの人が行つた方がいいのぢやあるまいか。行つて、得るものが多い人が行くのが正しいのでは?
演奏会が楽しくないわけではない。
でも、なんていふか、身にならないんだよな。
なにがどういいのかわからない。
そんな人間に行く値打ちがあるだらうか。
かういふさもしいことを考へる時点で、自分はやはり下流に属する人間なのだ。
次にやめるのは芝居見物だらう。
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