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Wednesday, 06 January 2016

飯田市川本喜八郎人形美術館 死者の書 ほか 2016

飯田市川本喜八郎人形美術館では十二月五日に展示替へを行つた。
今回はその新展示のうち人形アニメーションの展示について書く。

今回の人形アニメーションの展示は「死者の書」だ。
展示室の入口に近い方から大津皇子、身狭乳母のケースがあり、身狭乳母の後ろに持統天皇のケース、その向かつて右側に大きなケースがあつてそこに當麻寺の媼と郎女、展示室最奥のケースに恵美押勝と大伴家持とが采女ふたりとともにゐる。

大津皇子はいつものやうに座してゐて、背後には「七歩詩」が掲示されてゐる。
いつも書いてゐることで恐縮ながら、「七歩詩」つて絶対曹植の作つた詩ぢやないよね。
もし曹植の作つた詩だとしたら、曹植は曹丕もまた苦しんでゐて、先に逝くのは曹丕だとわかつてゐたことになる。まあ実際さうなわけだけれども。
なぜなら、豆殻だつて燃えてゐるからだ。
豆の煮える前に豆殻の方が燃え尽きるのぢやあるまいか。
「なんぞ太だ急なる」つて、ぢつくりじりじり燃えろといふのかね。それもひどい話だ。
それはともかく、大津皇子のやうすは凛々しい。映画ではギリシャ神話の神と紛ふやうな姿で出てきたりもして、それもまた似合ふ。
そんな顔立ちでもある。

今回、といふか、今回も、といふか、身狭乳母がいい。
鳴弦をしてゐるところで、全身が弓であるかのやうな立ち姿だ。
背を大きく反らせてきりりとした表情をしてをり、実にきつぱりとしてゐる。
やうすがいいわー。
見蕩れるわー。
風になびいてゐるのか衣装が背後に流れてゐるのも動きがあつていい。
大津皇子とはまた違つた凛々しさが身狭乳母にはある。

身狭乳母の背後のケースには持統天皇が立つてゐる。
これまで見てきた中では、顔を仰向けて天をきつと睨みつけてゐるかのやうな表情が印象的だつた。
今回はそれほど上を見てゐるといふやうすはないし、そのせゐか睨んでゐるといふ感じもしない。
顔が上向いてゐると、照明の光があたりやすくなるせゐか目がきらりと輝いて見える角度がある。
それで睨んでゐるやうに見えてゐたのではないかな。
そんなだから持統天皇にはいつも「炎の人」といふ印象を抱いてゐた。
衣装も背景も真つ赤だしね。
でも今回はちよつと違ふなあ。
もうちよつとおとなしい感じがした。
これまで見るたびに「この角度から見ると坂東玉三郎によく似てゐる」といふ角度があつたのだけれども、今回はそれもない。
ちよつとしたことで変はるんだなあ。

郎女と語り部の媼とは、機織りのケースにゐる。
これまで見たことがあるのは、郎女が機織りをしてゐて、媼は織り機の向こふで郎女になにごとか話しかけてゐる、といふやうすだつた。
今回は媼の位置がかなり違ふ。
映画で見たときのやうなふしぎな老婆といつた趣だ。
これまでのやうに郎女と直接向き合つてゐるわけではないのに、郎女との関はりあひを感じるからさうなるのかもしれない。
でもさう感じられるのつて、映画を見たからかなあ、とも思ふ。
映画を見てなくてもさう思ふかな。

郎女は機を前にして座つてゐる。
いつも機の方にばかり注目してしまふのがやつがれの欠点である。
だつて、ほんたうに織つてあるんだもの。
作中では蓮の糸を織つたことになつてゐるけれど、実際は絹糸かレーヨンの糸を織つたものだらう。
撮影前の準備でかなり織つたらうし、撮影中も織つただらう。
郎女が、と云ひたいところだが、ここはやはり人間が、だな。
こんな小さい織り機を作つて、こんな細い糸で織るだなんて。
だれが織つたのかなあ。何人かで織つたのか知らん。
毎回気になるのは高機だといふことだ。
これは折口信夫も「高機」と書いてゐるからそのとほりなのだけれども、なんとなく古い日本の織り機は地機といふ思ひ込みがあるので違和感を覚えるのだらう。
中国では高機が一般的だつたのかなあ。
といふのは、おそらくこの織り機は唐渡りのものだらうからだ。
「死者の書」の展示のときはこの織り機がとても楽しみである。
でも郎女は写経中の姿も好きなので、そちらも見てみたいなあと思ふのだつた。
飯田の展示では織つてゐる最中の郎女、といふことに決まつてゐるのかな。
織り機のそばにはかせくり機とおぼしき道具もあり、かせになつた蓮の糸をいくつも載せた棚もある。
右側には寝所が設けられてゐる。ここを使つてゐる郎女なんかも見てみたいなあ。

展示室の一番奥のケースは恵美押勝邸の一場面を展示してゐる。
向かつて右側に恵美押勝と采女1、左側に大伴家持と采女2とが座つてゐる。押勝と家持との前には酒と肴が用意されてゐる。
押勝はやや前屈みで、家持の方に目の玉を寄せてゐて、意味ありげな表情を浮かべてゐるやうに見える。すでにきこしめしてゐるのか、あるいは酔つてゐるやうに見せかけてゐるのか。
一方の家持は背筋をのばして座つてゐる。表情もおとなしやかな感じだ。
采女たちもそれぞれ対照的である。
采女1は押勝の話に「おほほ」と笑つてゐるやうに見えるし、采女2は聞き入つてゐるやうに見える。
この展示で話題になるのが玻璃の器だ。
押勝も家持も玻璃の酒器を手にしてゐる。采女たちも玻璃のとつくりのやうなものを持つてゐる。
この時代にガラス製品があつたのか、といふと、どうやらこれも唐渡りであつたのらしい。
屏風なのか衝立なのか、ちよつとわからないけれどこれの柄が天平柄といはうか如何にも「奈良」と思つたときに思ひ浮かべるやうな柄である。
また、雨戸なのかなあ、戸のやうすがおもしろい。当時はこんなだつたのかな、と見るたびに思ふ。

ホワイエにはブーフーウー、ほろにがくん、ヤンヤンムウくん三態、サンワガールと大きなかぶに加へて、「世間胸算用近頃腹之裏表」の嫁と姑、「風の子ケーン」のケーン親子が展示されてゐる。

「風の子ケーン」は番組を見た記憶がない。
でもケーンと父シュマロ、母ローランはいつ見てもいい。
川本喜八郎のシルクロードものへの執着の一環だと思ふからかもしれない。
以前も書いたやうにシュマロはどこか馬騰と似てゐる。馬騰はここから生まれたんだらうな。
ローランはいつ見ても美人だ。展示室の中にはちよつとかういふ美人はゐない。
それを云ふならケーンもさうで、おなじ少年である弘農王や陳留王とはまつたく趣が違ふ。

「世間胸算用近頃腹之裏表」は、映像も見ることができた。
展示で見ると嫁の方は見るからにラテンだ。1970年代の流行だつたのかな。真つ赤なブラウスにはぎあはせの青のロングフレアスカートで、このままフラメンコを踊り出してもまつたく違和感がない。
姑はといふと、「おばあさん」といつたときに思ひ浮かべる典型的なおばあさん像だと思ふ。白髪をおだんごにした頭に割烹着姿だ。
これが呂大夫の語りに乗ると、また違つた風に見えてくるんだよなあ。
姑の語りには「伽羅先代萩」の八汐のセリフがそのまま出てくるし、実際八汐・岩藤なんぞといふおそろしげな女の人の名前も出てくる。さうなると、ほんたうに怖くて強い女の人に見えてくるからふしぎだ。
嫁の方も見るからに当世風でラテンなのに、呂大夫の語りにかかるととたんにしほらしい嫁のやうにふるまつたかと思ふと、一転「恨み晴らさでおくべきや」と恨みにこりかたまつたおそろしさを見せる。
映像を見たあとあらためて展示を見ると、やつぱりラテンな嫁に典型的なおばあさんの姑なんだよなあ。
展示と映像と両方見ることができて実に幸運であつた。

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